「測ったな、シャア!?」 

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 「そうそう当たるものではない!」っていうお話です。

 コンビニでふっと目にとまって。1回500円ですが、ついつい。

測ったな、シャア!

 ・・・当たっちゃいました!
 まあ「C賞」ですけど、これは当たり判定でしょ。(笑)

 サイズ約20cmって書いてあるんですけど、ご覧のとおり箱がけっこうでかいです。・・・正直、受け取るのも持って帰るのも恥ずかしかった。(汗

ガウ攻撃空母の雄姿を見よ!

 ディティールは甘くておもちゃっぽいですが、こうやって宙に浮いてる状態で見ると、そこそこカッコいいです。このまま飾っておけるようなパッケージだったらよかったのに。

コムサイ発進!

 コムサイ分離!下面に車輪が付いていて、メジャーになってます。「測ったな、シャア!」
 下の面に車輪が付いていて、それを転がすとメジャーが巻き込まれるギミックになってます。

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[2008/11/19 01:12] | 戯れごと | トラックバック(0) | コメント(3)
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「批評はうざい、面倒くさい」・・・とは私は言いたくありません。 

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 「批評はうざい。面倒くさい。」とは私は言いたくありません。

 何の話かというと、例えば“アニメ「批評」の問題は、アニメ史と切り離しては語れない気がする”という記事の中で、東浩紀さんについて、次のように言及してしまいました。

 「世の中が“データベース”的になってるということを書いてた頭のいい人の頭脳が、けっしてデータベース的ではないらしい」

 こういうのを(自分でもいい加減なこと書いてるなーと思いつつ、ついうっかり手抜きをして)書いてしまうと、「東さんの言う“データーベース”とは、そういう意味ではないですよー」というご教示をいただける。やっぱり私は読解が粗雑ですねー。
 ただ、私などはどのみち“観客”という立場から、アニメにも、批評にも、楽しく接していければそれでいいやと、しっかり思っちゃっています。つい「面倒くさいなぁ」と、つかの間、頭をよぎったりもしちゃいました。

 せっかくご教示いただいたのに、大変失礼な本音を吐露しております。申し訳ありません。

一生懸命なにか考えて書いても、ちょっとした名前のミスとかなんとかで鬼の首でも取ったように非難する、そしてそれを「見識」だとカンチガイしている読者が多すぎる

 ここでふっと思ったのは、アニメ批評のタコツボ化を嘆いた東さんも、「面倒くさいなぁ」という本音をついポロッと漏らしたんだろうなぁということでした。まあ裏返しみたいな話ではあるんですけど。

 自分の読解力のなさを棚上げして言っちゃってますが、とりあえず地頭の悪いやつ、向学心のないやつ、リテラシーのないやつは読んでくれなくてもいい、とはっきりそう思う人は、そういうふうにやっていただければ、それで全然かまいません。だけど人のタコツボを笑う自分がまた、タコツボにハマっているという構図になっちゃうと、あまり格好がよくないですね。・・・総タコツボ化状況のポストモダンが云々、とか、そこからまた面白い話は展開できるような気もしますけど。(・・・と、また粗雑なことを。 笑)

 上手く言及できないんですが、職業としての「批評家」というのと、「批評」そのものには、微妙に差異があると思うんですよ。批評家を職業軍人にたとえると、総タコツボ化の塹壕戦が膠着している場合、目覚しい手柄こそ立てられないが、そこに常に戦線があるという意味では食いっぱぐれがない。どこかの戦線で和平が結ばれたりすると、違う戦局にわざわざ新たな戦線を求めたりするのが、プロの業の深いところでもあったりするのかもしれないです。
 あるいは、泥をなめるような思いをして小さな丘一つをめぐる地道な塹壕戦を戦ってきたのに、突如その頭上で空中戦をはじめられるのはたまらん、という気持ちも分かる。・・・気持ちが分かるだけじゃなくて、レイヤーの違う空中戦だけでは戦局は決まらないですよね。うんうん。

 誰のため、何のための批評なのかという話がすぐに脱臼してしまうのは、戦略目標(大きな物語?)がない中で局地戦ばかりが続いているからなのかもしれないですね。『スカイ・クロラ』の中で見た、見世物としての戦争(というゲーム)のようなもの? あれが空中戦オンリーだったことは案外示唆的だったのかなぁ?

 こんなの「そりゃそうだよ、当たり前じゃない」って空中戦のレイヤーにいる批評サイドの人は言われるのかもしれないですけどねぇ・・・。

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[2008/11/18 00:54] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(4)
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小説 『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』 

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 小説やコミックより、絶対にアニメというメディアのほうが好きな私ですが、これは率直に言って面白かったです。読むのが遅い私にしては、かなり速いペースで読み終わることが出来ました。富野さんの小説への個人的な評価を、少し上方修正しないといけなさそうです(笑)。

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ〈上〉 (角川文庫) 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ〈中〉 (角川文庫―スニーカー文庫) 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ〈下〉 (角川文庫―スニーカー文庫)

 ソノラマ文庫時代の『機動戦士ガンダム』 (1979-80年)や『伝説巨神イデオン』 (1981-82年)と、1989-90年に角川スニーカー文庫で出版されたこの小説を読み比べると、テンポが良くなってることがはっきりと感じられると思います。約10年の間に、けっこうな数の小説を書いておられるんですよね。
 しかし、ここから『クロスボーン・バンガード』 (1991年)を経て、先日読み終わった感想を書いたばかりの『機動戦士Vガンダム』 (1993-94年)へという ’80年代末から’90年代前半あたりというのが、富野さんの“小説家”としての活動に、一番脂がノッていた時期だといえそうです。

 前にも書いたかもしれないけど、富野小説のテンポっていうのは、絵コンテを文章化したとでもいうような印象が私にはありまして。・・・その言い方で言うと、初期の『ガンダム』や『イデオン』のノベライズでは、世界観の文字設定みたいな部分が多く、それはアニメの世界観を補完するという意義は大きかったんだけど、文章表現のテンポとすれば、ストーリィの動きがそこだけ止まっちゃうという短所もありました。
 その点、この『閃光のハサウェイ』では、(相変わらず能書きが多い傾向はありますが、・・・)よどみなくストーリィが流れていきながら、そのテンポを止めることなく物語空間を構築するテクニックがかなり巧みなものになっている気がします。

 もっとも、『ガンダム』や『イデオン』では、(例えば"モビルスーツ”という概念ひとつの説明などをとってみても、)そこでの世界観を一から構築しなければならなかったというハンディがありました。『閃光のハサウェイ』はシリーズものの続編のほうなのだから、そんなもんでしょうという言い方もあるかもしれないけど、単体で(自律した)“小説”として立てようとする強い意識は、それらに比べると、明らかに薄くなっていると言えるかもしれません。よく言えば、肩の力が抜けてきているということ。
 私は“ラノベ”という概念がよく分からないんですけど、そうしたものに近づく傾向というのか・・・というよりも、時代的にも“軽い”ものが志向されるようになってきたところに合わせてきているのか。「小説>ラノベ」、「重厚>軽薄」、いずれも自明のことではないと私は思ってますので、そこで良し悪しも何もないわけなのですが。(読みやすいに越したことはないけど、・・・。)

 ただし文体は、そういうわけで軽やかさを身につけてきていますけど、物語の内容的には、これはもうドシッと重たい(!)。
 そこのギャップが逆に生々しい切り口となって、作中で展開される事象に手触りのたしかさ、ふくよかさが感じ取れる。それが、この小説の大きな魅力になっているのではないかと私は思いました。
 してみると、この時期のアニメ作品(『逆襲のシャア』〜『F91』〜『Vガンダム』)のほうでは、(同様に“続編の楽さ”の中で仕事をしているにも関わらず、)実のところここまでテンポよく物語を弾ませることができていなかったと思います。作家というよりむしろ、アニメ職人というべき(?)富野由悠季にして、何故そうなってしまったのかな、と思わずにはいられません。
 それこそつまりは、個人の中から生まれる小説という媒体と、スタッフワークによるアニメというものの差異、・・・ということになるんでしょうか。

 『逆襲のシャア』に出てくるハサウェイ・ノアというキャラクターが、(クェス・パラヤもそうですが、)私はあまり好きではありませんでした。何のために出てきて、何のために生き残ったのか。入れなくてはならない気がするから入れたはみたが、最後まで監督自身が若者は分からない、としてしまったような印象があります。
 なので、『ガンダム』に一つのピリオドを打ったあの作品の中で、ハサウェイの物語だけは奇妙な中途半端さで宙吊りになっていて、そういうところを直視する。きっちりと結末を付ける。いわゆる二次創作のサイドストーリィ的なものを原作者本人が敢えてやる。
 ・・・そうして考えていっただけで苦しくなってくるのですが、クェスの死という傷を経てきたハサウェイという少年は青年に成長し、そしてきっちりと彼自身の物語を締めくくりました。無残な悲劇ですが、その透徹ぶりにはちょっと感動があります。その痛切さはまったくTVアニメ的ではなくて、かなり文芸的、強いて言えば映画的なものでした。

 この本を実際に手にする前、そのあらすじだけを聞いて私は勝手に、ガンダムという名は冠していてもモビルスーツとかは出てこない、もの凄くストイックなストーリィなのかな、という思い込みを持っておりました。あにはからんや、なかなかの活劇でもあって、渋い物語ながら不思議な実在感のある青年たちの人間ドラマは、実にエンターテイメントだったなぁと。
 余韻の残る結末ですが、読後感は爽やかであるのが何とも言えない。とにかく魅力のある小説でした。

[2008/11/17 02:11] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(6)
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