善良な市民さんは、なぜタコツボを見つけては急降下爆撃するのか 

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宇野さんあたりはタコツボを見つけては急降下爆撃してるような気がするけど、アレは何なんだろう?

 「アニメ批評のタコツボ化」という話をしていた前のエントリー(「批評はうざい、面倒くさい」・・・とは私は言いたくありません。)で、ちょっとこういうことを書いたんですけど、頭の中でぐるぐるしてるので、とりあえずメモ。

 タコツボというのは、もう少しスマートな表現に直せば「島宇宙」という言い方もありますが。

  1. そもそも、なぜタコツボが生まれるのか、なぜタコツボに安住しようとするのか、なぜタコツボ批判はここまで反発をくらうのか?が彼の批評にはある。
  2. やはり宇野さんは世代的に90年代チルドレンで、オウム事件を見て、つくづくタコツボはまずい、と思ったクチ・・・である。
  3. このタコツボ化こそが、今の時代の文化的なクリティカルポイントだ・・・と彼は判断している。

 正直言うと、私にはそこまで『ゼロ年代の想像力』が読解できていませんが、こういうようなアドバイスをいただいたので、そういう理解の下に、ダメな富野アニメファンらしい連想ゲームを。

  • 地球の重力=いわゆる「大きな物語」
  • ユニバーサル・センチュリー=「大きな物語」の失われた中に人々が暮らす時代
  • 重力に魂を引かれた者たち=「大きな物語」の夢を忘れられない人々
  • ニュータイプ=「大きな物語」の失われた過酷な環境をサヴァイブするために適応した人々

 まあ、めちゃくちゃ荒いですが、概略こんなような話だとして。(笑)

 たぶん宇野さんは、“人類みんなをニュータイプに進化させなきゃならない”と、けっこう本気で思っている・・・のかも。

 で、意識としては、重力に魂を引かれた者たちを粛清するために、アクシズを頭上から落っことしている・・・のであったりするのかも。

 ただ、この例えだとどっちかと言えば、それぞれが引きこもっているタコツボは、“地球”というよりは、宇宙に投げ出された人類が、そこで子を産み、育て、そして死んでゆくほかはない、“スペースコロニー”のほうなんではなかろうか、と私などは思ったり。
 そこにはいくつかのラグランジュポイント(サイド1・文学、サイド2・美術、サイド3・音楽、サイド4・映画・・・そして一番新しい建設途上のサイドにコミックやらアニメやら・・・)があって、ポイントの周りをぐるぐるとしながら、その各サイドの中でまた喧々諤々とやりあいつつ、それぞれのバンチ(コロニー)ごとに引きこもっている、・・・みたいな。(笑)

 で、もちろん地球上でぬくぬくと既得権益にぶら下がっている「エリート官僚」みたいなのがいるのもたしかだと思うんですよ。よく分かんないけど文壇とか画壇とかの偉い人とか、たぶんそんなの。人類のほとんどが今やスペースコロニーで子を産み、育て、そして死んでゆく時代なのに、そういうのに全然関係なく、のほほんとしていられる一部の人たち。その価値観こそが、永遠不滅の権威だよっていうスタンス。
 そういうものたちは「私、善良な市民が粛清しようというのだよ!」っていう思想なのであれば、それは分からないでもないのでした。

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[2008/11/20 15:46] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(3)
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「批評はうざい、面倒くさい」・・・とは私は言いたくありません。 

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 「批評はうざい。面倒くさい。」とは私は言いたくありません。

 何の話かというと、例えば“アニメ「批評」の問題は、アニメ史と切り離しては語れない気がする”という記事の中で、東浩紀さんについて、次のように言及してしまいました。

 「世の中が“データベース”的になってるということを書いてた頭のいい人の頭脳が、けっしてデータベース的ではないらしい」

 こういうのを(自分でもいい加減なこと書いてるなーと思いつつ、ついうっかり手抜きをして)書いてしまうと、「東さんの言う“データーベース”とは、そういう意味ではないですよー」というご教示をいただける。やっぱり私は読解が粗雑ですねー。
 ただ、私などはどのみち“観客”という立場から、アニメにも、批評にも、楽しく接していければそれでいいやと、しっかり思っちゃっています。つい「面倒くさいなぁ」と、つかの間、頭をよぎったりもしちゃいました。

 せっかくご教示いただいたのに、大変失礼な本音を吐露しております。申し訳ありません。

一生懸命なにか考えて書いても、ちょっとした名前のミスとかなんとかで鬼の首でも取ったように非難する、そしてそれを「見識」だとカンチガイしている読者が多すぎる

 ここでふっと思ったのは、アニメ批評のタコツボ化を嘆いた東さんも、「面倒くさいなぁ」という本音をついポロッと漏らしたんだろうなぁということでした。まあ裏返しみたいな話ではあるんですけど。

 自分の読解力のなさを棚上げして言っちゃってますが、とりあえず地頭の悪いやつ、向学心のないやつ、リテラシーのないやつは読んでくれなくてもいい、とはっきりそう思う人は、そういうふうにやっていただければ、それで全然かまいません。だけど人のタコツボを笑う自分がまた、タコツボにハマっているという構図になっちゃうと、あまり格好がよくないですね。・・・総タコツボ化状況のポストモダンが云々、とか、そこからまた面白い話は展開できるような気もしますけど。(・・・と、また粗雑なことを。 笑)

 上手く言及できないんですが、職業としての「批評家」というのと、「批評」そのものには、微妙に差異があると思うんですよ。批評家を職業軍人にたとえると、総タコツボ化の塹壕戦が膠着している場合、目覚しい手柄こそ立てられないが、そこに常に戦線があるという意味では食いっぱぐれがない。どこかの戦線で和平が結ばれたりすると、違う戦局にわざわざ新たな戦線を求めたりするのが、プロの業の深いところでもあったりするのかもしれないです。
 あるいは、泥をなめるような思いをして小さな丘一つをめぐる地道な塹壕戦を戦ってきたのに、突如その頭上で空中戦をはじめられるのはたまらん、という気持ちも分かる。・・・気持ちが分かるだけじゃなくて、レイヤーの違う空中戦だけでは戦局は決まらないですよね。うんうん。

 誰のため、何のための批評なのかという話がすぐに脱臼してしまうのは、戦略目標(大きな物語?)がない中で局地戦ばかりが続いているからなのかもしれないですね。『スカイ・クロラ』の中で見た、見世物としての戦争(というゲーム)のようなもの? あれが空中戦オンリーだったことは案外示唆的だったのかなぁ?

 こんなの「そりゃそうだよ、当たり前じゃない」って空中戦のレイヤーにいる批評サイドの人は言われるのかもしれないですけどねぇ・・・。

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[2008/11/18 00:54] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(4)
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アニメ「批評」の問題は、アニメ史と切り離しては語れない気がする 

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 WEBアニメスタイルでアニメ様が「アニメ様365日」という連載をはじめておられて、これが私には面白くて面白くて。驚いたことに毎日更新されていて、どうもこのタイトルからすると、1年間毎日書き続けるという決意なのかなと。内容はというと、アニメ様こと小黒祐一郎氏の個人的アニメ史とでもいうことになるようです。

『さらば』だけは特別だ。気軽に観られない理由のひとつは思春期に真剣に観た作品であるから。もうひとつは『ヤマト』シリーズに関するトラウマのためだ。トラウマについては同年輩の人間でないと理解できないかもしれない。

 以前から「近い世代かも・・・」という印象はあったのですが、「俺達が、あの時に劇場で流した涙はなんだったんだ」にあまりに共感(笑)してしまったので確認したら、やっぱり同い年ですね。

 WEBアニメスタイルって、アニメのクリエーターのインサイド寄りって印象があったんだけど、この頃アニメ史的な内容が多くなってる気がして、私にはなかなか嬉しいです。
 それで、ちょっと最近ネットで読んだ中で思ったことを書いておきたくなりました。

ぼくの考えでは、アニメ批評がいまなぜ低調かといえば、知識があるひとがいないとか情熱があるひとがいないとか以前に、そもそもアニメ批評は、読者の(読者の、です。書き手の、ではありません)質があまりに悪すぎて、いま批評を志す人間にとってコストが高いわりにリターンが少ないからです。

 具体的には「一生懸命なにか考えて書いても、ちょっとした名前のミスとかなんとかで鬼の首でも取ったように非難する、そしてそれを「見識」だとカンチガイしている読者が多すぎる」ということだそうで、世の中が“データベース”的になってるということを書いてた頭のいい人の頭脳が、けっしてデータベース的ではないらしいということを知って、けっこう共感(?)したりしました。

 「大人向け、すなわちアニメに関するリテラシーを相当に有するマニア向け」に創刊されたとおぼしき『アニメージュ オリジナル』というアニメ誌に関して、先の東さんのつぶやきにも言及しているこの記事の中で、津堅信之さんみたいな人が自分を中途半端な「アニメ・ウオッチャー」だとおっしゃるのには驚きました。

 すなわち、アニメを本質的に捉えようとしているのか、アニメ批評の本来形を示唆しているのか、マニアたちの渇望に応えているのか、新たなファン層を発掘しようと啓蒙しているのか、そのあたりの「落ち」である。
 正直なところ、私はたぶんついていけない。その私はといえば、文字通り半端モノであって、こういう雑誌の編集に関われる生粋のファン、ライターの知人は複数いるのだが、その人たちからは、「お前は、アニメーションのことは知っているが、アニメのことは知らない」と、お叱りを受けているのだ。
 その意味では、作品の完成形に至るまでの、単なる「メモ」「原材料」でしかない絵コンテやレイアウト、原画類の存在価値と読解能力をここまで求められるアニメというのは、他の芸術・芸能分野と比較して、著しく特異的といえるのかもしれない。

 この人もやはり同世代と言っていいと思うんですけど、「作画解説にあたって原画をひもとき、絵コンテやレイアウトの重要性を強調するなど、これは疑いなく1970年代にアニメに開眼し、ひいては80年代にそのことにこだわった「オールド・ファン」の視点」というような、歴史観を下敷きにした考察に、私はもの凄く説得力を感じるんですよ。

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[2008/11/15 21:31] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(6)
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