小説 『機動戦士ガンダムF91 クロスボーン・バンガード』  

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 このところブログも書かんと富野由悠季の小説ばっかり読んでるわけですが、まだ熱は冷めやらない感じ(笑)でありまして、今日は『クロスボーン・バンガード』の感想をメモしておきます。

機動戦士ガンダムF91クロスボーン・ガンダム(上) 機動戦士ガンダムF91クロスボーン・ガンダム(下)

 前にも書きましたが、世代的なこともあって私は、富野由悠季の「小説」には、半ば無意識に抵抗感を抱いて来ました。富野由悠季のファンを自認してるのに、我ながら妙なタブーを設けて来たものですね。
 そしてこれも前に書きましたが、『F91』というアニメも、私の中では釈然としない印象として記憶されている作品だったのでした。幸い、この小説は勢いで手に取ったので、そのあたりも変に構えて読まずにすんだのですが、感想を書くというと、そのへんのことも微妙にフラッシュバックして来てしまいそうです…。

 アニメと比べると、出来事の前史にあたる部分のボリュームの大きさが、小説版の特徴になるかと思います。
 普通は鉄仮面=カロッゾ・ロナが、いかにして、あのような暴挙に及ぶに至ったかという、アニメで説明しきれなかったところの補完を重点的に読むのかもしれません。富野由悠季という人が、内面に抱いた思想の代弁者として。
 …でも今回、私が思いきり強い印象を受けたのは、たぶん作者のもう一人の分身である、シオ・フェアチャイルドのほうでした。
 カロッゾのほうは、ある意味作者の叶わぬ(叶えてはならぬ)願望を、代償としてフィクションの中で形にしてみせてしまっているわけですが、このブンガク崩れの小市民たるシオという人物の惨めさたるや!
 それと、富野監督の娘さんたちの年齢を詳しくは知らないのですけど、この作品での「親子」の関係というのはそれ以前の富野作品とはどうも違って、ダメな親だけど親は親で一生懸命・・・だけど、やっぱりダメなのよね、というような、人の親の立場のほうから見つめなおした視点というのを不思議に親密なものとして感じました。

 富野監督、当時50歳ですか。『ブレンパワード』で「世代を重ねる意味」というテーマがひとつ、ぽんと投げ出されてあったわけですが、「人は手前1人でおぎゃあと生まれて1人で勝手に死んでいくものではなくて、それには他の人が大なり小なり関わっている」ということが、まさしくこの小説の「序」には懇切に書かれてありました。ナルホド納得。

 富野アニメを批判する人たちが言うことには、たとえば父親が王様で兄弟が将軍とかで、家庭内紛争みたいなのばかりをやっている、あれはリアルな戦争じゃない、みたいな話があるわけですけど、それは違うんですね。別に富野監督はリアルな戦争を描きたいのじゃなくて、人間の問題が最初にあって、その必然として家族の問題がある。ひとつの家庭だけでその暮らしがなりたつわけではないのが世の中だから、その衣食住をまかなってくれる、あるいは生計をたてるために両親が出てゆく、そういうものとして社会がある。
 そうしたことを丁寧に分かりやすく示しているのが富野監督の作品なのですね。(それに、少なくともガンダムのシリーズでは、戦争らしい戦争を描いたのは最初のガンダムぐらいであり、この作品もそうですが、あとは微妙に「内紛」というのに近いようなレベルの戦いに抑制されて描かれているということも、そのあたりの節度というものをわきまえているから、このようになるのではないかと私は思います。)
 なので上巻の全21章のうち7章までを費やして描写されているロナ家の事情というものこそが、この作品ではとりわけ魅力的であり、まだ物語は動き出してもいないのだけど、ちっとも退屈せずに読み進めることができました。

 もうひとつ、「あれ?」と思ったのはラストの部分が大きく違う、ということで。
 (・・・!) この間の肝心の本編にあたる部分をすべて飛ばすとは、何たること!!(笑)
 いや、アニメでよく分からなかったことが「そういうことか」と納得された部分はいくつもあったのですが、まあそこは個人的には、そんなに重要ではなかったということです。淡々と事象が積み重なっていって、悲劇が拡大していくという。

 で、終劇の迎え方ですが、やけにあっさりと終わったなぁと。いや本当は、なかなか余韻が残る、いい終わり方でしたが。
 それでアニメのことは見事に忘れて小説の物語だけにすっかり入っていたので、その時にはささいな違和感という程度だったのですけど、・・・今になって考えてみると、アニメではラフレシアの撃破以上に重要な感じで描かれていた、虚空を漂うセシリーを探す、あのシーンがごっそりとなかったことに気づき、ちょっと愕然。
 アニメであれを見たときには、富野監督は「ニュータイプの“認識力の拡大”っていうのは、エスパー的な戦闘力のことではなくて、こういうもののことなんだよ」というのを、とても強調したかったんだなぁと私などは感じていたわけです。その部分、丸々カット。(笑)

 ただ、このほうがずっと良かったですね。いまだからそう思えるんで、リアルタイムのあの頃に、そんなふうに思えたかどうかは分かりませんけど。

 生み育ててくれた母と父がいるならば、そこに戻るのが人でしょう。
 もちろん、その逆もあって、不幸な生立ちをもてば、両親を憎しみ忘れようともします。ときには殺そうとも・・・・・・。
 それも、父と母がいるから起ることですから、結局は、戻ることなのです。

 ここから始まる物語は、「世代を重ねる意味」こそが主題であって、ガンダムらしくニュータイプの話などを入れなければならない、などと欲目を出すべきではなかったのでしょう。
 たとえ、父をその娘が殺める悲劇の物語であったとしても。

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[2008/11/27 02:48] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(3)
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『SAMURAI 7』 見終わっちゃいました。 

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 この頃「・・・見終わっちゃいました」的なタイトルをよく書いてるような気がします。その都度感想がなかなか書けなくて、気づいたら「あ、見終わっちゃった」っていう感じです。でも『SAMURAI 7』、ラストはなかなか盛り上がりましたよ。盛り上がったんですけど、ね・・・。

SAMURAI 7 第5巻 (初回限定版) SAMURAI 7 第6巻 (初回限定版) SAMURAI 7 第7巻 (初回限定版) SAMURAI 7 第8巻(初回限定版)

 それにしたって、1〜4話5〜8話と感想をメモしてきて、あと今回いきなり9〜26話って、ちょっとひどいな自分。(笑)

 出だしは着想の面白さにワクワクしながら見始めました。で、8話ぐらいまで見たところで、“物語が加速してこないなー”って、もうじりじりし始めてましたね。(笑)

 第9話「真っ二つ!」は、“機械のサムライ(=ほとんどモビルスーツ)”の野伏せりたちととカンベエさんたちが、初めて本格的に戦いを繰り広げた回。第1話の冒頭に先の大戦での合戦シーンがあったので、なんとなく雰囲気は分かってたはずだったんですが。 ・・・・・・。こりゃあすげぇ ・・・って感じでした。(笑)

 なんか容赦ないです。つえぇぇぇ。。。(汗)

 アニメ的には本来こういう表現もありなんだと思うんですけど、なまじ相手がガンダムの“モビルスーツ”そっくり(笑)の巨大な敵なもんだから、カンベエたち等身大で生身のサムライにバッサバッサとぶった切られていくのに違和感を感じるのもやむを得ないところ。(慣れればアニメ的快感だったりするのかもしれないですが・・・。)

 キャラクターたちの性格付けはとても魅力的です。7人のサムライのうち、カンベエをはじめ、シチロージ、ゴロベエ、ヘイハチ、それにキュウゾウ、彼らは皆、ひと癖もふた癖もある一人前のサムライ。農民上がりの機械のサムライ、キクチヨが半人前のコメディリリーフ役。
 ストーリー的には、特に精神面で未熟者のカツシロウの成長が一つの軸。彼を修羅の道に誘ってしまったことを悔いるヒロインのキララちゃんとの交情も面白いんですが、この淡い恋愛は意外な方向に向かうんで、そこはなかなか「うわぁぁぁ」って感じでした。(笑)
 大筋ではサムライのかっこよさを堪能するドラマ。なので、アイタタタのカツシロウはともかく、カンベエなんかはあまり思い悩むことなどもありません。そこがちょっと感情移入がしにくいところです。
 個人的には、もっと芝居を詰め込んで、各キャラクターの個性を堪能させて欲しかった気がします。私がストーリーばかり気になるほうで、絵づらのカッコよさをあまり重視しない人のせいかもしれませんが、ちょっともったいない感じがしました。

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[2008/11/24 13:21] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(0)
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小説 『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』 

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 小説やコミックより、絶対にアニメというメディアのほうが好きな私ですが、これは率直に言って面白かったです。読むのが遅い私にしては、かなり速いペースで読み終わることが出来ました。富野さんの小説への個人的な評価を、少し上方修正しないといけなさそうです(笑)。

機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ〈上〉 (角川文庫) 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ〈中〉 (角川文庫―スニーカー文庫) 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ〈下〉 (角川文庫―スニーカー文庫)

 ソノラマ文庫時代の『機動戦士ガンダム』 (1979-80年)や『伝説巨神イデオン』 (1981-82年)と、1989-90年に角川スニーカー文庫で出版されたこの小説を読み比べると、テンポが良くなってることがはっきりと感じられると思います。約10年の間に、けっこうな数の小説を書いておられるんですよね。
 しかし、ここから『クロスボーン・バンガード』 (1991年)を経て、先日読み終わった感想を書いたばかりの『機動戦士Vガンダム』 (1993-94年)へという ’80年代末から’90年代前半あたりというのが、富野さんの“小説家”としての活動に、一番脂がノッていた時期だといえそうです。

 前にも書いたかもしれないけど、富野小説のテンポっていうのは、絵コンテを文章化したとでもいうような印象が私にはありまして。・・・その言い方で言うと、初期の『ガンダム』や『イデオン』のノベライズでは、世界観の文字設定みたいな部分が多く、それはアニメの世界観を補完するという意義は大きかったんだけど、文章表現のテンポとすれば、ストーリィの動きがそこだけ止まっちゃうという短所もありました。
 その点、この『閃光のハサウェイ』では、(相変わらず能書きが多い傾向はありますが、・・・)よどみなくストーリィが流れていきながら、そのテンポを止めることなく物語空間を構築するテクニックがかなり巧みなものになっている気がします。

 もっとも、『ガンダム』や『イデオン』では、(例えば"モビルスーツ”という概念ひとつの説明などをとってみても、)そこでの世界観を一から構築しなければならなかったというハンディがありました。『閃光のハサウェイ』はシリーズものの続編のほうなのだから、そんなもんでしょうという言い方もあるかもしれないけど、単体で(自律した)“小説”として立てようとする強い意識は、それらに比べると、明らかに薄くなっていると言えるかもしれません。よく言えば、肩の力が抜けてきているということ。
 私は“ラノベ”という概念がよく分からないんですけど、そうしたものに近づく傾向というのか・・・というよりも、時代的にも“軽い”ものが志向されるようになってきたところに合わせてきているのか。「小説>ラノベ」、「重厚>軽薄」、いずれも自明のことではないと私は思ってますので、そこで良し悪しも何もないわけなのですが。(読みやすいに越したことはないけど、・・・。)

 ただし文体は、そういうわけで軽やかさを身につけてきていますけど、物語の内容的には、これはもうドシッと重たい(!)。
 そこのギャップが逆に生々しい切り口となって、作中で展開される事象に手触りのたしかさ、ふくよかさが感じ取れる。それが、この小説の大きな魅力になっているのではないかと私は思いました。
 してみると、この時期のアニメ作品(『逆襲のシャア』〜『F91』〜『Vガンダム』)のほうでは、(同様に“続編の楽さ”の中で仕事をしているにも関わらず、)実のところここまでテンポよく物語を弾ませることができていなかったと思います。作家というよりむしろ、アニメ職人というべき(?)富野由悠季にして、何故そうなってしまったのかな、と思わずにはいられません。
 それこそつまりは、個人の中から生まれる小説という媒体と、スタッフワークによるアニメというものの差異、・・・ということになるんでしょうか。

 『逆襲のシャア』に出てくるハサウェイ・ノアというキャラクターが、(クェス・パラヤもそうですが、)私はあまり好きではありませんでした。何のために出てきて、何のために生き残ったのか。入れなくてはならない気がするから入れたはみたが、最後まで監督自身が若者は分からない、としてしまったような印象があります。
 なので、『ガンダム』に一つのピリオドを打ったあの作品の中で、ハサウェイの物語だけは奇妙な中途半端さで宙吊りになっていて、そういうところを直視する。きっちりと結末を付ける。いわゆる二次創作のサイドストーリィ的なものを原作者本人が敢えてやる。
 ・・・そうして考えていっただけで苦しくなってくるのですが、クェスの死という傷を経てきたハサウェイという少年は青年に成長し、そしてきっちりと彼自身の物語を締めくくりました。無残な悲劇ですが、その透徹ぶりにはちょっと感動があります。その痛切さはまったくTVアニメ的ではなくて、かなり文芸的、強いて言えば映画的なものでした。

 この本を実際に手にする前、そのあらすじだけを聞いて私は勝手に、ガンダムという名は冠していてもモビルスーツとかは出てこない、もの凄くストイックなストーリィなのかな、という思い込みを持っておりました。あにはからんや、なかなかの活劇でもあって、渋い物語ながら不思議な実在感のある青年たちの人間ドラマは、実にエンターテイメントだったなぁと。
 余韻の残る結末ですが、読後感は爽やかであるのが何とも言えない。とにかく魅力のある小説でした。

[2008/11/17 02:11] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(6)
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