GyaOで『ダブルオー』第一期を全話無料配信だそうです +α
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第二期がもうすぐ始まるタイミングということなのでしょう、GyaOで『ガンダムOO』の第一期の25話を一挙配信だそうです。10月6日(月)正午まで。(Macユーザーの人は見れないんでしたっけ?ごめんなさい。)
後半を知ってしまうと、前半はどんな感じがするんでしょうかね。(ちょっとしんどいかも。)
このところ少し忙しいんで・・・。全部見たら10時間以上ですねー。(まとめて見るのはあまり得意ではなかったりするのです。)
って言うか、GyaOでは昭和TVで「ルパン三世 TVスペシャル バイバイ・リバティー・危機一発!」と「劇場版 スペースアドベンチャー コブラ」を見るというノルマがまだ果たされていない・・・。(こちらは10/1正午まで。)

なんでこんな「出崎統」祭りをやってるのか知りませんが、やっぱ見なきゃならんでしょう。(笑)
いろいろ書きかけている記事もあるのですが、どれも中途半端で、どんどんタイミングを逸していくのでありました。あまり気張らずに、気楽に行きたいと思ってます。それにしても時間が・・・。
[2008/09/27
01:23]
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[FC2 tag] ダブルオー
「これからはどちらかと言えば、政治と無縁のまま過ごせる方が特権階級」
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これまで政治というのは特権階級の仕事と思われていたけど、これからはどちらかと言えば、政治と無縁のまま過ごせる方が特権階級で、庶民は、たとえば自分の仕事と家族と趣味を守りたい、というささやかな望みを持つだけでも政治に関わらざるを得ない。
上記のようにessa先生が書いておられて、何か“ビビビッ”と電気が来たんですけど(笑)、なんだったっけなーと、考えこむことしばし。
essa先生が直接言及しておられる「MIAU」というのはぜんぜん知らなかったです。ググってみてなるほどそういうことかと。
ネットワークの自由には価値がある。
ネットワークの自由は古い制度に縛られている。
ネットワークの自由を主張し擁護する組織的主体がない。
だから作ることにした。
それがMIAUだ。
私はWEB音痴ですけど、ネットワーク技術の発展が、世の中そのものの急激な変化を促しているというのは分かります。その発展を制限する方向に働く既存の社会制度に対し、「ネットワークの自由」を働きかけていく、という趣旨の運動に対して、それが「社会派」的な色を帯びることの是非についての対話というふうに理解させていただきました。(違っていたら、ご教示くださいませ。)
それで、「社会派」的な色を帯び過ぎると支援が得にくくなる、現実的な調整が必要かも、という懸念に対し、
それは一般的な観点ではあるとは思うけど、一方で、ネットに関する技術やビジネスは本質的に政治的なものであるとも私には思える
というのが、essa先生の見解のようでした。
以上は長い前置きで(笑)、「これからはどちらかと言えば、政治と無縁のまま過ごせる方が特権階級で、庶民は、たとえば自分の仕事と家族と趣味を守りたい、というささやかな望みを持つだけでも政治に関わらざるを得ない」という言葉を読んで私が“ビビビッ”と来たのは、よくよく考えてみたら、たまたま先日目にして、ちょうど『ニーチェ入門』とか読み直していたので強く印象に残っていたCrowClawさんのブクマコメントにあった言葉でした。
ニーチェの予言通り末世=現代とは奴隷が権力を握る時代のこと。寄生獣ではないが余暇=暇とは本来人間の良心の源泉であり、心に暇のない人間は必然的に悪魔化する
『ゼロ年代の想像力』を読んでいたら、どうもニーチェ先生との違いが分からなくなってきたので読み直している『ニーチェ入門』(まあ、“入門”なところで私の地頭の良くないところは察していただくとして、)なのですが、読み合わせると個人的に大変面白いんですね。(素直じゃないとも言う。)
それがこういうところでも一考の価値があるなぁと、思ったのでありました。
“ネットの自由”を掲げる運動が、“ネットの奴隷”になってしまう可能性とでもいうんでしょうか。ネットの「先進ユーザ」という考え方は、よい意味のエリート論でもあるような気がします。
ネットに関わる人は、技術者もビジネスマンもユーザも「自分たちは核のように危ない領域に関わっている」という自覚が必要だと思う。
と、essa先生がおっしゃっているのは、エリートの義務について述べているのではないかと。
また、あるいは、“「誰かが『社会派』をやってるけど、自分は『普通のネットユーザ』」みたいな錯覚”には注意すべきだという言い方のほうは、ポストモダンの今の世の中の中では、誰もがゲームのプレイヤーであり、そこから逃げることはできない(特定のエリート任せはあり得ない)という、『ゼロ年代の・・・』的な話にも繋がるのかもしれないな、などとも思ったり。
少し背伸びして、私の理解力を超えたところの話を今日は書いてしまったのですけど、たまにはこういうのもいいでしょう?(笑)
っていうか、基本的にはルサンチマンの塊のような私なんですけどねー(笑)。いろいろ私の認識違いとか、読み違いとか、ありましたらご教示いただけましたら幸いです。
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引き続き、低空飛行継続中です。今月下旬まではこんな感じ。どうにもこうにも。
期間限定とかいろいろあるんだけど、休めないし。もう基本あきらめる方向で。ちょこちょこっと空いた時間に気分転換であちこち覗いてみるのが精いっぱい。
きょうはこちらで紹介されていたリンク先「冒険野郎マクガイヤーの人生思うが侭ブログ版」を拝見。
「ふしぎの海のナディア」の話がメインで、ガイナックス好き、ナディア好きには美味しい話なんだろうと思いながら読んでましたが、私、あんまりナディアって得意じゃなかったんですよね。
日本アニメの黎明期ではなく、青春期に立ち会えたのは幸運だった。「俺達の熱い思いが伝われば、視聴率なんてどうでもいいぜ!」みたいな考えが受け入れられた。そして、アニメが生活の手段になる前に辞めることができた。
明け透けに好きなことを言うなぁ。ついつい富野監督の顔を思い浮かべながら読んでしまいました。
そもそも、一年間のTVシリーズのような長いアニメを作る時は、最初の段階から一年分の脚本が完成しているわけではない。視聴者やスポンサーや様々な人間の反応をみて軌道調整していくわけで、シリーズの終わりのほうになると、色々な要素がどう転がっていくか分からない。
だから、シリーズ開始前の初期設定の段階で、布石となるキャラクターを置く。例えば富野さんは「ガンダム」において、カイ・シデンやハヤト・コバヤシが最後はあそこまで転がっていくとはシリーズ開始前に予想していなかった筈。あたかも将棋を指すかのように登場人物をうまく配置した結果、意外なところで活きてきた。
これが僕達の世代のクリエーターは苦手である。一見無駄と思えるキャラを容易に配置できない。将棋に対するチェス型で、終わりに近づく程どんどん動かせるコマが少なくなっていく。キャラが使い捨てられていく。
でも、こういうことを率直に言えるのも、オタキングならでは。こういうキャラクター論はとてもよく分かります。
しかし、僕たち実際族の思いとは裏腹に、「ナディア」最終回はどんどんキャラクターショーになっていった。でもそれが面白い。庵野は予算的にも時間的にも不利な状況で、しかも「チェス型」のキャラ配置という理由から動かせるキャラが制限されていく中、よくこの最終回を作った。
こう分析されると、『ナディア』という作品のこと、自分が感じた内容が少し分かった気がしました。
以前は「言いたいことを言わなければ損だ」と思っていた。
それが、BSマンガ夜話なんかでちょくちょくTVに出るようになって、「なるべく楽しそうな顔をして、楽しそうな話をしなくては」に変化してきた。
現在は「TVとは時間と季節を表すショーウィンドーである」と考えている。茶室の中にある花のようなもので、そうでなければあんなに黒くて大きな物体を部屋に置いておく必要はない。TVに出演するということは、その中のパーツの一つになりきるのが正しい。
大学で講義をするということも同様。アカデミズムとか良い授業をするとかが重要なのではなく、いかにも大学で講義していそうな人の顔をして、いかにも二十歳くらいの人の心に届きそうなことを言うのが重要。
これは、諦めているのではなく、「形から入る」という考え方に近い。そこで求められる風景の一部としての自分になりきる。その風景が空気を作り、時代を作る。
今回、この記事を読ませてもらったことを書き留めておこうと思ったのはここの部分。
まあ「アニメが生活の手段になる前に辞めることができた」と言える人だから、こういう考え方になるんだろうし、「そこで求められる風景の一部としての自分になりきる。その風景が空気を作り、時代を作る。」っていうのは、時代の空気の成り立ちについて的確な分析なんだろうなぁと感心もしました。
だけど、やっぱり違和感があるのは、そういうアニメの「青春期」が過ぎちゃったことは百も承知で、製作の現場に向き合い続けている人もいるのになぁという感覚です。なんか、ちょっと悔しいんですね。(笑)
求められる自分になりきって、対象世代の心にちゃんと届きそうなことを言いながら、なんとか「言いたいこと」を入れ込めるように、みんな苦労してるんじゃあないのかなぁと。
ただ、それが必死さが出ては駄目なんで、「なるべく楽しそうな顔をして、楽しそうな話をしなくては」というところが、ある意味では現代のプロ論なんでしょうね。そこは納得。
[2008/05/05
01:34]
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