『星の鼓動は愛』は“純愛”否定? 1
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・自分的には、『カミーユが「妥協の産物」としてファを選択』であっても、『カミーユが、恋愛的な反比例距離を克服して物理的な距離の近さまで近付きたかった結果としてのファ』であってもどちらでも良い
・ただ、どちらの感情が根底にあっても描写の不足感を強く受ける(カミーユに感情移入し難い)
・なので、『星の鼓動は愛』のラストで、映画の主題が「純愛」だからといって、その予め用意されていた結末のエピソード(=カミーユは崩壊せずにファと結ばれる)に向かって、なんの脈絡もなく唐突にファへ向かって愛情を注ぎだすカミーユ描写は、まるで「デウス・エクス・マキーナ」的ではないか?
・あの様な、作品(とかその先の観客)への「愛情優先主義」ではなく「尺優先主義」で作られた描写不足なラストでは納得出来ていない
これについての私の理解は、先日書いたとおりですが(→「恋愛至上主義」と「星の鼓動は愛」、私の雑感 )、つまり“描写が足りない”のではなく、カミーユとファの恋愛ドラマは“意図的”に少なめに描かれたものではないのかと考えています。
(ご指摘のように「中学生ぐらいからのお隣さん」を幼馴染と言う言わないは別にしても、)彼らが互いに好ましく思っていることは、既に先刻承知のことなのですよね。これは「何の脈絡もなく唐突」ではないと思います。
だから、それに「納得がいかない」というのは、彼らの恋愛が“ドラマチック”な要素を欠いているという不満感なのではないのかと私には思われます。
つまり、ここで問題提起されているのは、「恋愛ってそんなにドラマチックなものじゃなきゃ駄目なの?」ということだと私は考えているのです。そして作者がそういう考えの持ち主であれば、“ドラマチックでない普通の恋愛”を、まさにそのように表現してみせなくてはなりません。――これは物語の長さ(尺)には関係のないことであり、「〜優先主義」という言い方をすれば、むしろ“何も優先しない”(ドラマチックな恋愛と普通の恋愛とで、どちらが上でも下でもない)ということを、そのままに見せたのが、この作品の表現ではなかったでしょうか。
(余談ですが、“〜優先主義”という言い方は、“〜至上主義”よりも、この場合のニュアンスとして適当なものかもしれないですね。つい、言葉のインパクトに引っ張られて“〜至上主義”、“〜原理主義”などと用いてしまいがちですが、ご指摘のおかげで「語弊もある」ということを教えてもらった気がします。)
さて、もちろんカミーユは、いくら苦労をしてきたとはいえ老成した大人ではありませんから、まだ若いねもさんやルロイさんと同じように、純粋なものへの憧れを失ってはいないでしょう。ただ、(またものりのりさんがうまいことを言ってましたが、)それはそれとして“純愛”の理想は“殉愛”だけでいいのか、という疑問形はあり得るとは思いませんか?
対照的にZガンダムのサラ・ザビアロフが「頭でっかちな純愛(恋愛至上主義)」を貫いた子なんですよ。「私とハプテマス様は地上で唯一無二の特別な関係なの!」とか言って。でも、サラって本当はカツやカミーユにも揺れてたんです。そこで素直になっておけば良かったのに、そうしないで頭でっかちな純愛を貫いた結果、ああなってしまったんですね。
psb1981さんのこの指摘も、私は慧眼だなぁと感心しました!
偉そうに言ってるように聞こえたらいやなんで、正直に書いておきますが、「手近な現実と向き合うということが、すごくみっともないこと、納得の行かないことに思えていた自分を、この作品で発見した」気がしているのは、ほかならぬ私自身です。
そういや、「下衆なもの」と表現されているそれは「人間の生理に根ざしたもの」ということではないでしょうか?
・・・とのりのりさんが鋭くご指摘のとおり。
「生きている喜び」や「好きな人と抱き合える喜び」――私のような夢見がちな人間は、往々にして(&いくつになっても)“それだけではない何か”を求めてしまうのですが、夢を追いかけるあまり、大元にある“それ”を、いつしかつまらないこと、どうでもいいことだと思いなしていたようです。どうもそこで(少なくとも私は)「アップアップ」してしまっていたような気が。(笑)
そういうわけで、これは私自身には、実によく当てはまる話だったので、「“恋愛至上主義”というもののためにアップアップ・・・」というのを前提に文章を書いてしまったのですが、「そんなものは一般論ではない」と言われると、なるほど少し、普遍性を再検討する必要は感じております。
(続く)
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「恋愛至上主義」と「星の鼓動は愛」、私の雑感
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正直な話恋愛至上主義という感覚は自分には理解できないものでして、割と最近まで女子高生とリアルに接することができる立場だった人間としては(笑)、不思議だなぁと常々思っていました。そういうのを否定したいって気持ちも実に分かるんですが、そういう感覚って古今東西全ての女性が持っているものだと思うんですよ。最近の恋愛至上主義傾向っていうのは、単純に女性の嗜好が世間に反映されやすくなっただけなんじゃないかと思うのです。もちろん世相はありますけどね。
だから、「君たちちょっとそれは違うんだよ、恋愛とはそうではないのだ」という言い方は、ただの大人の傲慢でしかないんじゃないの?とは思いますね。
ただ、自分が新訳Zのラストで腑に落ちないのは、単純に過程の描写が足りてないっていうだけで、ああいうラストになること自体は全く否定するつもりはないんですよ。せめて、ファがもっとカミーユに片思いしている描写があればもっと伝わるのに…と、そう思うだけなのです。(ルロイさんのコメント)
若い人は羨ましい…とか、とりあえず、つい口をついて出てしまいますが(笑)
なるほど御大の言い方自体が「今の30代が恋愛にアップアップしていて、一生シングルかもしれない」ですから、それは現在ただいま、全然“アップアップ”してない人には、はじめから通じない物言いかもしれないと思いますね。
はてなブックマーク > タグ > 恋愛至上主義
このあたりを眺めていると、確かにそういう問題を実感している層は(特にサブカル界隈?でなのかもしれないですが)実在すると思うんですけどね。
それから、もう少し広くネット上を見回していくと、「恋愛至上主義」という言葉に対する男女での感じ方の違いというのも、なるほどあるような気がしてきました。(それをうまく言い当てるところまでは到底行きませんけどね。)
若い人が“純愛”に憧れる気持ちを持つのは普通のことだと思います。ただ私も「大人の傲慢」を恐れずに言うと、それは“夢”と言い換えることも出来ます。(この世のものじゃないかもしれない。)
だけど“夢”を持つこと自体を否定する立場でもないんだろうなぁ。“夢のない大人”になんか、なりたくってなるやつなんて誰もいないんだ。
ただね、いくつになっても夢ばかり見がちで現実を直視できないでいて、なおかつ(自覚のある場合もない場合もあるでしょうが)それに起因して、目の前の現実にうまく対処できないという“大人のなりそこない”が、現に世の中に一定数以上いたと仮定するなら、それに対して「夢を大事にすることも忘れてほしくないけどね、…」と語りかけることは、それは「大人の傲慢」じゃなくて、むしろ大人の責任なんじゃないかと。
そういう文脈で言うと、ファとカミーユの関係は、描写が足りないんじゃなくて、むしろある意味では、わざと“純愛”らしさを避けて下司に、それこそ“手近なところで間に合わす”感覚をえげつなく描き出しているんじゃないでしょうか?…だって、あそこでファと(みっともなく)抱き合うことが出来るカミーユだからこそ、今回は“崩壊”しないで済んだんですよ?(そこにカミーユとファの“純愛”をあらかじめ描いておいたのでは、あのラストが“みっともなく”は見えないでしょう。)
たぶんそれこそが狙いなので、「表現としては、ああでしかあり得なかったんだ」というのが、白状すればルロイさんの問題提起をきっかけにして、ようやく私の至ることの出来た理解です。(私もね、あの下品とさえ思える抱き付き合いは、いったい何なんだろうなぁ〜と思っていたんですよ。)
夢はなくしたくないんですよ。だから夢を完全に壊すことはしないように配慮もされてはいるけれど、でも夢を追い続けるだけでは(夢見る主体である)自分自身が崩壊してしまうかもしれないような状態に置かれたなら、みっともなくても手近な現実ときっちり向き合うことも、描いておく必要がある、のではなかろうか。
Zガンダムというのは現実認知の物語である、という初期からのプロットがあったと思うんですが、その責任を最終的に取るということが、実はああなるんじゃないかと。
それは今、一見みっともないだけに見えるかもしれないけど、これを観た人の深層心理の中に潜み、やがていつか、彼/彼女が夢と現実の相克に直面し、崩壊の危機に瀕したとき、「みっともない手近な現実と向き合うことだって、そんなに全否定されるべきものじゃないんだよ」と少しだけ、現実を生き抜くために背中を押してやる役割を果たせたなら。
……何よりも、(ひどいことを言えば、)何十年も前の旧作をいまさらやり直すという、そのこと自体も言ってみれば、監督にとっての“みっともない手近な現実”のひとつだったのですから。
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『星を継ぐ者』/『恋人たち』/『星の鼓動は愛』
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一気に見て、間違いなく一番よかったと思えるのは、新訳の世界に没入できるので、テレビ版の記憶が邪魔にならない点です。通しで見てみて、情感は一本で通っていると実感できました。これはやっぱり断じてツギハギ映画なんかではありません。
ただ、正直に言って、これだけの長時間、画面に集中し続けるというのは気力・体力ともにキツイ…。さすがに第二部終わりから第三部初めぐらいは、ちょっと集中力が切れそうになりました。
けど、『星を継ぐ者』のイントロから『星の鼓動は愛』のエンディングまで、きれいに呼応して物語の輪が閉じていくのを見るのは、すごく心地いいカタルシスです。このストーリーは、シャアに始まってシャアに終わるという言い方も出来ますけど、その出会いから始まったもろもろの出来事を通じてカミーユという少年が、(決してシャアに教えられたものではない)自分自身のものの見方、考え方を獲得していった、そういう物語だったと改めて思えました。
劇場では遠慮してなかなか出来ないことなんですが、“声を立てて笑う”という場面が、特に(ちょっと意外な感じでしたが)第二部『恋人たち』で何ヶ所もあって、それは人間味のある“小芝居”のいくつかなんですけど、なるほどエンターテイメントになっていると実感。(今回は一部から一気に見ているから、こっちもキャラクターに情が入っているので、それで成立する面もあるのかな、と思わなくもありませんでしたが。)
とにかく没入して見てましたので、細かなディティールについて云々ということは、今回は何も言えないんですけど、各キャラクターの情、とりわけ主人公カミーユの情の流れというのが、想像以上に丁寧に、描かれていたのを発見したような気がします。ほか、「意外にそうか!」と思えたのは、特にサラであったり、細かいところでエマさんだったり、レコアさんだったりといったところでしょうか。
三部作を通しで見たことで、『恋人たち』の印象が、単篇で見ていたときよりも格段に良くなりました。これは予想できたことでしたが、予想以上でした。それから、第一部から丁寧に見ていけば、(思った以上に)初めて見た人にも分かりやすい描き方がちゃんとされているという気がしました。
これを劇場で見なかった人は、やっぱり損したんじゃないかと私は思います。せっかく見るんであれば、劇場というのは集中して見ることが出来るいい設備だということをしみじみと。(笑)
今から見るという人は、やむなくDVDで見るしかないわけでしょうけど、これは集中して見ないと面白さの半分も分からないかもしれないですから、一回は無心に話に没入してご覧になられることを強くオススメしておきます。(最近は、これってけっこう難しいんですよね、ついつい話のネタ探しをしてしまいがち。けど、それだけじゃ損だということ。)で、鉄は熱いうちに打て、ということで、なるべく三部作を短期間で見るのが一番だと思います。(第三部だけ見ようなんて論外!)
本当は、この作品は、『∀ガンダム』(日替わりで第一部/第二部を上映)みたいな短期間で完結までを見られる公開方式だったら、もっと評価が違ったような気がします。(興行的には、ある程度の期間、話題を引っぱりたかったりするでしょうし、評価と興行成績は必ずしも一致しなかったでしょうけどね。)
うん、とにかく自分的には通しで見て、あらためて納得できたし、これまで以上に新訳三部作を評価できる気がしたので良かった。(何がどう、ということをちっとも言っていないので、皆さんには何のことやらだったら申し訳ないです。 笑)
[2006/09/12
18:14]
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