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私、まさしくサラリーマン。 w 

[2007/09/27] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

 これはあまりに痛いところを衝かれました。なので、≪ここは言及して傷を深めたりしないで、軽く読み流しておくべきかな≫と思いながら、数日を過ごしてみて、・・・それでもやっぱり気になったので、おずおずとあれこれ感じたことをとりとめなく書いてみます。

→ PSB1981の日記 - サラリーマンの決めゼリフ

 私、まさしくサラリーマン。

「自分はサラリーマンにはなりたくない(なかった)」
「自分はサラリーマンに向いていない」

 (笑)
 あまり口には出さないけど、私もそう思うことはしばしばありますねぇ。(1/3っていうか、逆に「自分はサラリーマンになりたかった」って口に出して言う人には、私はめったにお目にかかりませんが。そんな疑問を持たない人が2/3程だと言われれば、そんなものかもしれないですね。)

1. 昼間:嫌々仕事
2. 夜:アニメ鑑賞
3. 深夜:mixiかブログに思いの丈(アニメの感想や、世間への違和感)を書き綴る

 あー、ここ痛い!めちゃめちゃ私に当てはまってる!
 「そんなにサラリーマンが嫌なら、"2"と"3"につぎ込んでる(膨大な)リソースを他の事へ回したらどうだろうか…?」
 仰るとおり!(笑)

 ただね、動揺してしまいましたけど、

このライフサイクルで人生を(それなりに)やり過ごしていけること自体、彼等がサラリーマン向きであり「現代社会にバッチリ適応したフツーの人達」であることを証明してしまっているのでは

・・・というのを何度も反芻してみて、“現代社会に適応できてる”ってことなら、考えてみれば、それも悪くはないなぁと。不適応って言われるよりも、そのほうがいいのかもしれないよなぁと。
 「もっと器用に、要領よく生きたい」って、けっこう切実にそう思ってます。「その程度のことしか考えられない人間だからこそ、サラリーマンが務まる」というのも、器用に要領よく生きる以上の“何か”に憧れはしても、それを具体的に語れる頭もないわけで。それより迷わず要領よく生きることを追求するほうがいいですよね。
 どうせサラリーマンやってるんだったら、上手に適応してサラリーマンをやりおおせてみせたほうが、ずっと立派だと思います。まあ上手というほどではなくとも、愚痴愚痴言いながらサラリーマン続けているだけで、不適応というほどでもなく君もフツーに社会に適応してるうちだよ、って言ってもらえるのは、本来≪そうなんだ、よかった!≫≪ありがたい!≫ぐらいに思うべきなのかな?(笑)
 冒頭で、「これは決してサラリーマンをバカにするために書いているわけではありません」って書いておられるのはそういう意味かなぁ。

 ・・・と、こういう素朴な感想を、ブログで恥ずかしげもなく大公開することは、私のけちなプライドの安全保障に有益なのか、不利益なのか、そんな判断も私にはうまく付かないんですが。
 だから、器用に要領よく生きる以上のことを“何か”としか表現できないところで、もう、あんまり背伸びしないほうがいいよ(→自分)って感じなんでしょうね。それってつまり、アニメを見たり、ブログを書いたりにつぎ込んでるリソースを振り向けるべき、もっと有益な「他の事」が分かっていないってことなんだと思うんです。

→ Something Orange -  すべての恋愛は交換可能な関係である。
→ 忘却界抄:アニメについての与太話

 それはそれとして、このへんの話を読みながら、私ってば、けっこう個性のあるアニメを“愛しちゃって”いるんじゃないだろうか(笑)とか、馬鹿なことを(反論というほどでもなく)考えてみたりもしたんですが、んー、やっぱりうまいこと言えそうもないです・・・。(駄目だね、こりゃ)

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コメント

> すべての反体制は制度化する

元ネタは「オタリーマン」でしょうか。それにしても、アニメを含む芸術は、そもそも反体制だったわけです。「漫画ばっかり読まずに勉強しろ」です。けれどいつのまにか「パンとサーカス」のサーカス(権力が慰撫するために民衆に与えるもの)になってしまう。そいう問題意識なのではないでしょうか。
わたしは「パンがなければケーキを食べれば」のケーキだとアニメ・漫画を考えていますが。

> 書き手ご自身もそうお感じであらんや

読んでみて、まさしくそのとおりだと僕も思います。そこまで卑下するような言い方せんでもええやんかなア、とも思ったんですけども。

そこから一歩出る事は少なからず可能であるし、それがより「まし」であるか否か、少なくとも当人が幸福に暮らせるか否かは実際それぞれだとも思います。「歴史が僕を問いつめる」のは、どっちの側にもあり得るです。
むうぅ、そういう意見がもう既にステロタイプになっちょるなぁ。

ただまあ、どこまで自分を切磋琢磨したとしても、逆にとことんまで甘やかしたとしても、人間誰しも、ナルシストである事を止める訳にはいかんのじゃないか、とも思うっス。ナルシストである事、井の中で過ごす事自体が否定すべき問題ではない気もするっス。


そして、揚げ足とるつもりはないのですけども、
このような諦観自体が、もう既に多くの先人によって開かれた視点だという事を各人が気づいたとき、その事でがっかりして意欲を失ったりしないようなタフさをお持ちになれますように。

ミクロにもマクロは含まれるし、
マクロにもミクロは含まれるのであります。

>

あえてヒドイことを言ってしまえば、
作り手、作者、制作会社などはそうした人々の消費によって
支えられているのですから、
「是非今後もサラリーマンでいてください」
と思っているに違いありません(笑
社会の最底辺たる作家志望アマチュア物書きの私も、
もしメジャーデビューしたらそう思うに違いない(ぇ

というのは身も蓋もない話ですが。
まあしかし、仮にアニメ見ているリソースを有効利用して
脱サラして何かを(たとえば作品の発信者を)
始めてみたとして、けど本質的な違いって
実はそんなにないような気もしたり。

宮崎駿監督は、自分の仕事をラーメン屋にたとえていました。
来る日も来る日も同じラーメン作り続けている生活と、
来る日も来る日も絵コンテ描いて原画描いてる日々の間に
何の違いもない、と。
仕事になっちゃえば、きっとそんなもんです(笑

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