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富野監督の「原理原則」 

[2007/06/30] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 ずいぶん前になりますが、子犬さんこんなことを言っておられました。

富野資料も集りすぎるとある発言のソースがどの媒体だったかわからなくなってくる。確かに聞いた・目にした覚えはあるのだがなんだたっけなぁ・・・ということが往々にしてある。そんなときに思うのがキーワードで検索できる富野レファレンスがあればなぁ・・・ということ。
例えば「原理原則」というキーワードを入れるとそれを含む富野資料がずらっと表示されたりする。

 で、CGIとかじゃないんですけど、FC2マイサーチというおもちゃを与えられたときに、「トミノスキー・エンジン」という怪しげな検索エンジンを作ってみまして、これでweb上にある富野語録を調べられないかと妄想してみたわけです。

 そんなにうまくは行かなかったんですが、いちおうできたものはこれです。タイトルが変なのは「原理原則」+「富野」で検索をかけているためです。

→ 原理原則 富野とは - トミノスキー・エンジン

 でも年代順にしてみたくなるのが定めですよね。(笑)

≪1998年1月 日経産業新聞 「デジタル時代を語る■7 映像制作者、基本に立ち返れ アニメ演出家 富野由悠季氏」≫

アニメには視覚印象が見る者にどんな刺激や心理的影響を与えるのかといういった原理原則があるわけです。クリエーターが映像表現の原理原則に立ち返ることが大切です」 「たとえば画面に登場する人物が、向かって右から左へ流れていく表現と、左から右へと流れていく表現の意味するところは全く違うんです。力の強いキャラクターが登場するときは右から左へ、弱いキャラクターが登場するときは、左から右へ流すのが基本です。」

雑記帳/1997.11~1998.3◆そうよ、私は富野ファン(98/1/27)

≪1998年8月 富野由悠季のコーヒーー・ブレイク≫

自分で商品を選びたいマニアなお客様と、何も解らない初心者のお客様は、観察すれば1分で解りますよね。原理原則は、初対面の人が会ったときに不愉快にさせない言葉使いであったり、物腰であるはずです。それが何なのか、一番根本のところで気を使えるかどうかなのです。ビジネスだからといって、絶対にマニュアルで区切れるものではないんです。まずは生身の部分と、ビジネスの間にある垣根を取っ払うしかないでしょう。そういう感性を育てて欲しいのです。

富野由悠季のコーヒーブレイク 第2話(web.archive)

≪1999年1月号 『Newtype』≫

映画は、ついにSFXやCGの技術を使いこなしながら、そういう刺激だけに頼らない原理原則のお楽しみという部分を手に入れてきた、と。では、アニメはどうなんだと考えたときに、アニメの場合は実写と違ってすべてを嘘八百のところから積み上げていく世界ですから、その根元を支える設定がなければいけない。・・・つまり、おとぎ話とか童話がもっている原理原則が物語のベーシックな部分、これを全部、今度のガンダムには入れました。

富野語録 in ∀ガンダム

≪1999年3月? 「スーパーロボットジェネレーション―SUNRISE1977‐1987」 富野インタビュー≫(たぶん)

僕が「ブレンパワード」と「ターンAガンダム」で久々に現場に戻ってきて思ったのは、アニメのメカデザイナー志望という人たちが、原理原則すら知らず、基礎学力ももってないということです。だから今、建築や工業デザイナーを目指して大学で勉強なさっている方は、とにかくつづけてほしいし、そのうえで現場に行って図面を引いて、それからこの世界に参入してくれたら、と思います。

ひびのたわごと 21世紀への再生 その3

≪1999年8月『ブレンパワード・スパイラルブック』≫

それでも、一つ、そうは言ってもインテリの私小説的な部分を引っ張ってるっていうのはなんなんだろうかっていう疑問はあります。 どうも今の20代後半から30代のような人たちでも、映画を作るということはどこかで、先に芸術っていう言葉が頭に浮かんでるんじゃないかっていう気がしてしょうがないんですよ。 作るんだったら私のことを分かって欲しいとか、作るんだったら俺の作り手の気持ちを分かれよっていう部分がありすぎて、見てもらって楽しむ、楽しませるっていう一番原理原則を言葉としてとか認識として排除してるような気がしてしょうがないんです。

富野&庵野語録倉庫

≪2001年10月号 「ザ・スニーカー」オーラバトラー戦記完結―。富野由悠季インタビュー ≫

世界というものの根本には、大きな原理原則がある。それを作るのは手間がかかる仕事です。その世界を作っている文化が、何に根ざしているかをわかっていないと作れないし、作ってはいけない。

ひびのたわごと 実は読み終えてないのですが・・・

≪2001年10月『∀ガンダムWeb』 富野道 Vol.1 ∀とアメリカ(1)≫

そのとき、物語というものは、基本的にハードウェアをベースにしていきながら実はソフトウェア──つまりコンセプトってものを掲げているものだ、ということに改めて気づかされました。だからこそ、「∀」という、まさにAをひっくり返してもう一度最初から始めよう、という言葉を考えたのが出発点になったのです。なので、『∀ガンダム』という作品がむしろこのタイミングで来春に公開されるのはとってもいいことだ、ってところまで話が行っちゃうのです。これ以上なにも付け加える必要がないくらい原理原則に立ち返っている作品なのです。

『∀ガンダムWeb』 富野道 Vol.1 ∀とアメリカ(1)

≪2002年11月 上智大学学園祭 富野講演『ガンダムから君へ』≫

個性というのはその人が固有に持っているもの。固有に持っているものを大事にしなければならないのは事実なんだけど、絶対に間違っちゃあいけないのが固有に持っているものが「才」、才能であるわけでなくって、原理原則でしかない。才能があってスキルがあるって思ってはいけない。・・・今、若い人達に言っているんだけどお前らの個性なんてものがやろうとしている事は、お前が好きだからやろうとしている事であって「才」でないから認めない。だからまず、解るようにしろ、表現として一般的に解るようにしろ、だってテレビで映るんだもん。映画にするんだもん。ヒットしたら百万人が観るかもしれないんだもん。百万人の人にまず解るという一般的な表現があって、そのスキルもなくって、俺はこうしたいんだから、って作ったのが百万人の人が観て解るものになるか? ならないです。

富野由悠季監督講演『ガンダムから君へ』

≪2003年9月号 月刊ガンダムエース 対談連載第4回「富野さん、こんにちは」≫(→ 『教えてください。富野です』に再録あり)

坂村・おっしゃりたいことはよくわかります。でも、科学技術が人間の生き方や考えを変えるのはある程度しかたがないんじゃないかなという気はするんですよ(クーラーの涼しさを生み出しながらも、自然の涼しさも次世代へ継承する必要性、科学の功罪、しかし科学で人間が進歩した部分もあると一気に語る)。
富野・技術者の坂村先生がそこまで気になさる必要はないんですよ。技術というのはそういうものだし、むしろ突き進めるところまで突き進んでいいと思います。必要なのは、原理原則とその応用、それから概念としてあるものを一緒くたにするんじゃなくて、それらをきちんと分けて認識できるインテリジェンスなんです。

週間よっしー

≪2005年10月 北里大学白金祭 富野講演会「ニュータイプを継承するために」≫

概要→ 北里大学白金祭 富野由悠季氏講演会「ニュータイプを継承するために」:シャア専用ブログ

≪2005年12月 『プロ論。2 』≫

アニメ業界には残念ながら、そういった考え方をする人が少ない。ですから僕は、若い頃からアニメ業界に染まらない努力をしてきました。染まってしまうと仕事が小さくなってしまうんです。だから、その努力をしながら、映像作品を作るということだけを考えていました。 そうするうちに、仕事をするうえで最も大事なことは「原理原則を核とし、それを守り続けること」だと気づいたんです。 食品だったら、おいしいものを作ることだし、アニメだったら、動く絵で伝えられる面白さを追求すること。原理原則が核にあれば、時代を超えて支持されるものを生み出せるってね。 皆さんも、自分の仕事の原理原則が何であるか常に意識していないと、単なる「作るのが好きな人」で終わってしまいますよ。それはプロではない。公共に向けたものに、趣味は発動してはならないのです。

プロ論。2「Chapter5 誰もが注目する作品を生み出したいとき
富野由悠季」要約版:シャア専用ブログ

≪2007年1月号『オトナファミ』富野インタビュー「ガンダム世代を叱る!!」≫

ひとりの人間には、あらゆることを知ることはできません。 ... だから、原理原則を学べ、人がなぜ生まれて生かされているかということだけを理解すればいい。 ... 大局を把握しないと、各論だけでは突破できない問題がでてくるから、原理原則を持って、大局を見るセンスを身に付けなさいということです。

こンにちは、ツネヒコです ファミ通1月26日号増刊 オトナファミ掲載
富野由悠季インタビュー「ガンダム世代を叱る!!」前編

≪2007年2月 京都国際マンガミュージアム「GUNDAM 来たるべき未来のために」オープニング記念対談 富野由悠季×杉井ギサブロー≫

その、兵站論というのは決定的にあるだろう、補給論というのは決定的にあるだろう。そういうものを抜きにして、アニメといえども戦争を描いてもらっちゃ困る。て言う、ような事が、現在まで、大人になってもです。その、ガンダムを持ち出す事が、学生に対して持ち出す事が恥ずかしくなくなった。 ていうのは僕は、そういう原理原則を触っていた、いたからだろうし、ということは、あのー、ありますし。 そしてそれよりまた、一般、一般論もです。 物語というのはまず、基本的に、そのー、原、、、「人の心」の情の「原理原則」という風に触っていなければいけなくって、 お前程度の、つまり一漫画家、一作家、一シナリオライターの、お前程度の心情の物語なんて言うのは百万人のお客さんは見もしないし、読みもしないだろう。 ていう所に、えー。思考回路が行っていただけると良い、な、っていう風に思っています。

玖足手帖 - 大富野教信者の生き様&富野由悠季講演会より
~富野、戦争と文化を語る。~

 ざっと検索してみたところでは、こんな感じでした。百聞は一見にしかずで別に付け加えることもないんですが、

  • いわゆる「映像表現の原理原則」。
  • それは「初対面の人が会ったときに不愉快にさせない言葉使いであったり、物腰」に通じる?
  • でも「メカ的なセンスだけで成立する物語は一切ない」 的な話(メカ的な技術論≒原理原則?)。
  • →「見てもらって楽しむ、楽しませるっていう原理原則」(少し幅が広がった?)
  • 食品だったら、おいしいものを作ることだし、アニメだったら、動く絵で伝えられる面白さを追求すること。
  • → 「原理原則を学べ、人が何故生まれて生かされているかと言う事だけを理解すればいい。」(大きく幅が広がった?)
  • 「兵站論」「補給論」のような原理原則 < それよりまた一般論としての「人の心」の情の「原理原則」

・・・といったような、変遷があるのかな、と思いました。大体思っていたとおりにまとまった気がします。

 もっと楽にできるかと思いましたけど結局、思った以上に大変でした。まあ富野監督が好きなので、こういうのはやってて楽しいですけどね。(笑)

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[tag] 富野由悠季 fc2ファビコン

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