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囚人さんのジレンマ w 

[2007/06/28] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

 最近たまに耳に入ってくる“サバイブする”という言葉の用いられ方(受け取られ方?)への、漠然とした違和感のことを書いたのは、本当は、そのちょっと前の記事にいただいたコメントで「囚人のジレンマ」というキーワードを与えられたので、そのことを考えていたら、話がそういう方向へ行ってしまったのでした。

 “サバイブ”に「非常に殺伐としたニュアンス」を付与するのは和製英語でしょ、という指摘もいただいて。言葉って本当に難しい。なるほど、もう少し情緒を排したドライな言葉なのかもしれないですね、本来は。

囚人のジレンマ - Wikipedia

 「個々の最適な選択が全体として最適な選択とはならない状況の例」だそうです。「1対1」が基本パターンですが、プレーヤー複数の場合(社会的ジレンマ)や、選択機会が何度となく繰り返される場合(繰り返しゲーム)など、バリエーションもいろいろ。
 これを特殊状況と捉えるのは、“個々が最適な選択を積み上げていけば、多くの場合、全体も最適化される”という考え方ですよね。私なんかはへそ曲がりなのか、そうすんなり行くほうがレアケースのような気がしますけど。(笑)

 これら、複数の主体の存在する状況下での意思決定についての研究アプローチの方法たる“ゲーム理論”の考察ということだそうで。なんかゲーム的な事物の単純化って好きじゃないんですけど、そうした研究の目的が、「ゲームの望ましい帰結はどのようなものかを探る」というところは、私も気に入っています。
 「ゲームの望ましい帰結」についてのビジョンの有無によっては、“サバイブ”という語に接した場合の「非常に殺伐としたニュアンス」の様態も変わってしまうでしょう。

 しかし言葉って難しい。素人が聞きかじりで使うには荷が重い言葉なんですけど、でも、それこそ“的確に状況を判断すること”を専門家任せにしていられる時代じゃないぞ、という意味で“サバイブ”感覚が必要という時代認識には、私も大賛成。

 こうやっておぼつかないブログを書きなぐってみたり、『人間の条件』(ハンナ・アレント)がなかなか読み進められないのにじっと耐えてみたり。(笑)
 賢からぬ私なりに自分の頭で考えるということが、苦しいんですけど楽しいんですね。私には、こういうことのほうに生きてる実感があります。

 例えば《全体》と《個》というのは、人間の生きることというのを、半永久的なサイクルとしての自然の円環運動の一部と捉えるのか、生れ落ちた瞬間から死にゆく刹那までの(前後からは隔絶された)直線運動と捉えるのか、の問題でもあるのかもしれません。

 しかし、こんなこと考えていて、私は“サバイブ”できるんですかね?うん、確かに怪しいです。(笑)

余談

 まったく。すぐにログアウトしちゃうんで、この文章4回ぐらい、消えては書き、消えては書きを繰り返しました。今回はそういう“囚人さんのジレンマ”のエントリーにもなっちまいましたよ。

 もう! ぷんすかぷんぷん!w

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[tag] 全体最適化 fc2ファビコン 哲学・思想入門 fc2ファビコン

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コメント

> 対したことではありませんが

>なんかゲーム的な事物の単純化って好きじゃないんですけど
このあたり、世の一般的な人々が
イメージしている「ゲーム」像で捉えられているように見えました。

「ゲーム理論」の研究者が、現実と乖離したろくでもない研究をしている場合もありますが、上記の理解は、そういう批判とはまた別です。

学問というものは、世の中の様子をつぶさに観察し、共通する特性を見出し、それをできるだけシンプルに記述することを目的としています。

ゲーム理論というのは
調停など、利害が絡んだ複数の主体(人間、組織、社会)がいて、そのときの主体の行為が他の主体に影響を与え、結果によって自己が受ける影響がある問題を対象に、
そのプロセスを記述するための方法だと考えられるとよいでしょう。

人々は常に
与えられた状況下で選択し、
行動を行い、
その行動の結果を享受し、
次の選択を行います。

それを表すならば「ゲーム」という言葉が適切である、ということです。

ーー
外部から情報を受け、
外部に情報を発信する際、
「こんな風に見える」といった印象、すなわち
自らのマインドをフィルターに通している、という事実が重要なのです。

それが正しい理解の阻害や偏見の発信につながることのないよう
ゆめゆめお気をつけください。

ーー

囚人のジレンマは
2人のプレイヤー(囚人)が
普通に利己的で、かつ自分の知りうる情報の範囲で合理的に動く、という
仮定をおいています。これが通常の人間の考え方とそれほど大差ないから議論になりうるのです。

でも、常識的であるにしてもやはり「仮定」なのですね。

仮に一方にでも信義に厚い人物(囚人で? 、たとえば政治犯とか?)がいたら、議論の成立は危ういでしょう。

あと、個々が個別に選択するという特殊状況でもありますね。

ーー
このように世の中で言われている
法則なり、理論なりといったものは
シンプルに記述するために
重大な仮定をおいているのだ
ということを理解し、
その上で現実の現象を見る助けとなるものである、ということを心に止めておいてください。

> なるほど

若干は、専門家にあらざるものが「難しいことはよくわかんないですけど~」と言っている感じがしたほうがいいだろうと、にわか勉強っぷりを隠さずに出してしまったのですが、ちょっと目に余るところがあるようでしたらご容赦ください。
単純化された考察は、本当に、むしろ私のような賢からざる人間には、ありがたいことだと思っています。しかしシンプルな記述とするために置かれた、重大な仮定というものがある。それを知った上で、現実の対象を見る助けとすべきものである、と。
懇切なご指摘、勉強になります。ありがとうございます。

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