「サバイブする」という言葉 

[2007/06/26] | 随想系 | トラックバック(1) | コメント(3) | TOP ▲

 h-nishinomaruさんも言ってましたが、『機動戦士ガンダム』の企画時のアイデアの根っこには、宇宙版『十五少年漂流記』というモチーフがあったんだそうです。(→参照『銀河漂流バイファム』)

二年間の休暇〈下〉―十五少年漂流記 (偕成社文庫)

 ご存知『十五少年漂流記』は、SFの父と称されるジュール・ヴェルヌが(なんと)1880年に発表した冒険小説で、無人島に漂流した少年達が力を合わせて生活していく物語であります。(そういえば、ヴェルヌ原作の『海底二万マイル』を下敷きにした、『ふしぎの海のナディア』をGyaOで観ています。そのうちまた、気が向いたら感想を書くかもしれません。)
 まさに文字通りの“サバイバル”をテーマとした作品というわけで、ガンダムの次回予告の決まり文句が「君は、生き延びることができるか!」だったのは、その名残もあったんでしょうね。

 で、「サバイバル」という言葉のお話。

サバイバルは人間が文明や人間社会から隔絶された状態もしくは文明の恩恵を十分に享受し難い状態で、生存しつづける事である。この状態は、当人が死ぬか、文明社会に帰りつくまで続く。またこれらは、生存欲求という人間の本能に強く訴えかけるため、小説や映画・ドラマ等の題材としても人気がある。

サバイバル - Wikipedia

 最近、“サバイブする”という言葉が、小説や映画やドラマや、・・・とりわけアニメとか、むしろそういう架空のお話から、ちゃんと早く卒業して、厳しい世の中の現実と向き合いましょうね、というような意味合いでよく使われているような気がしたんだけど、その趣旨に賛成かどうか以前に、言葉の使い方の部分で妙な抵抗感があるな、と思って。・・・英語の原義に照らすとどうか、じゃなくて、やっぱり“サバイバル”するって言うと、上記のような意味だと思うよな、ということで。

 架空のお話と、世の中の現実のことは、まあ置いておいて。厳しい世の中の現実ときちんと向き合うことを、そのままサバイバルと捉えることは、一見すごく的確な比喩に思えます。
 ただ気になるのは、それってつまり、今の世の中は「文明や人間社会から隔絶された状態もしくは文明の恩恵を十分に享受し難い状態」に限りなく近いってことなのか、と。

 文明とか、社会のシステムとか、今はそういうものが全然信用できない時代だ、ということが言われているんだろうとも想像は付くんですけどね。
 「現実に帰れ」と言われてる対象の人たちっていうのが、コミュニケーションを上手にできない人たちだと一応仮定すると、その人にとって外部の“社会”って、その人という“個”を取り囲む“全部”に思えちゃうんじゃないかと思うんですよ。その中での「サバイバル」って、まさに“個”としての生き残りを賭けた、熾烈なバトルロイヤルのようなイメージにしかならないのではないかと私は危惧するんだけど、そういう理解でいいんでしょうかね?

 サバイバル状態は、当人が死ぬか、文明社会に帰りつくまで続く。帰りつくべき文明社会の有無を疑っている余裕は確かにないわけなんだけど。

 これは「用語は本当に的確なのか」という話ですけどね。言葉どおりとすれば、サバイバルの第一歩は“安全な場所・空間の確保”。そして最も注意すべき事は、“的確に状況を判断すること”。(最もすべきではない事は、本能の赴くまま、直情的に行動すること。)そして・・・こうハマると面白いですね。

仲間と一緒に居る事が、個体にとっての生存率を飛躍的に押し上げる要因となる。

 架空のお話とはいえ『十五少年漂流記』では、少年たちが力を合わせることで、サバイブできたわけなんですよね。だから、もし“サバイブせよ”という言葉を向けられる対象が、コミュニケーションを上手にできない人たちのことなのであれば、その言葉が“個”としての生き残りを賭けた、熾烈なバトルロイヤルのようなイメージには伝わらないようにする配慮が要るんじゃないかと私は思うのですよ。

 違うのかなぁ。言われていることは、安全な場の確保→「引きこもるな!」/状況の判断→「まず行動せよ!」/仲間と一緒に→「群れるな!」・・・なんですかねぇ。
 だとすれば、“サバイブする”という言葉でない言い方を考えたほうがいいのではないかとも思ったのでした。

以下追記

 書き終わって風呂に入って、ちょっと考えたら、「やっぱ違ったな」と思ったので、あわてて追記。(笑)

 “サバイブする”という言葉で言われているのは、サバイバルの要点である“的確に状況を判断すること”の部分で、人々が引きこもっている場所は、“今はもう安全な場ではないですよ”という、そこが一番肝心なところなんでしょうね。そこは外しちゃ駄目なところでした。
 まあ、それでもキャッチとしてはともかく、用語として最善のものであるのかには、引き続き半分首をかしげているのでありました。

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コメント

> えーと

「君は、生き延びる事が出来るか」
じゃなかったっけ?>ガンダムのナレーション。

> ふえ・・・?

あじゃっ!!
フォローさんくす、です。
(^^ゞ

> 語義の変遷

最近、「サバイブ」あるいは「サバイバル」を、「殺し合い」というようなニュアンスでつかっている文章に出くわしてドキリとさせられます。「サバイブ」はいまや和製英語に化けていて、もともとはサバイバルゲームに由来してるようです。
それにしても語義は変遷するもので、「負け組」「勝ち組」も、生まれたときは、現在とは全然ちがう意味だったといいます(参照:http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_4b9f.html)。世代というか、時流というか、ふしぎなものですね。

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[批評]「サバイブ」も困った和製英語?

囚人022さんが、囚人022の避難所 「サバイブする」という言葉で「サバイブ」のつかわれ方について感想を述べられています。 この英単語を和製英語に変えたものは「サバイバルゲーム」だと思います。くわしくはサバイバルゲーム - Wikipediaとその英語版を見てみましょう。