「貴様なぜ自分の任務を果たそうとしないんだ?」
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「ぶったね!……二度もぶった!親父にもぶたれたことないのにっ!!!」
「PSB1981の日記 - ブライトの苦悩(ガンダムシリーズ/富野由悠季)」の話がずっと気になってたので、少し遅くなりましたけど、考えてみます。何かと“大人”の役割を担わされるブライトさんだけど、ファーストのこの頃ってまだまだ未熟な若造の一人なんですよね、本当は。
焦ったブライトが思いつきで出したパトロールが結局は裏目になってしまって、「パトロールしてわざわざこっちから仕掛けることなんてない」とアムロが言ったとおりの結果になっちまってるっていう、そういう精神的な負い目もこの場面でのブライトにはあるし。
改めて物語を振り返ってみるとブライトは、第9話「翔べ!ガンダム」でのこのエピソードの前には、とにかくガンダムを出せと言うリード中尉に「アムロには休息が必要です」と抗弁したりもしています(第6話「ガルマ出撃す」)。「アムロ、貴様なぜ自分の任務を果たそうとしないんだ?」
「ブライトさんはなんで戦ってるんです?」
「…今はそんな哲学など語っている暇はない。立てよ、おい」
このへんの時期のホワイトベースの“大人”代表ってのは、そんなわけで本来はリード中尉なんだけど、「生き抜くだけなら簡単だよ、ブライト君」「ホワイトベースを捨てりゃあいいんだ」とかコイツ言っているし。正規の軍人はほとんどいないし、ジオンの重囲下で連邦軍との連絡さえままならないこの局面では、白旗を掲げるという選択肢だってないじゃあなかったはず。…そういう意味では、アムロじゃなくても「ブライトさんはなんで戦ってるんです?」と、その哲学を聞いてみたくなるような気持ちは分からないでもない。
思い切り辛目に言っちゃうと、この場面で殴ってわめいて気分を晴らしているのは、むしろブライトのほうなんじゃないのか、って思うのは、自分も少し歳を食ってきて、仕事の中で自分が最前線で戦うだけじゃなく、後輩をうまく働かせるように気を遣わなきゃいけないブライト的なポジションに近づいてきたせいもあるかな?(苦笑)
ブライトがアムロを二度殴ったことよりも、「それだけの才能があれば貴様はシャアを越えられる奴だと思っていた。残念だよ」というオダテのほうが結局は効果的だったっていうのも、実際なかなか教訓的ではあります。
やる気さえ出せばすごい才能を発揮するニュータイプのパイロットよりも、頑張ってるんだけど、ときどき判断ミスもしてしまうオールドタイプな中間管理職にシンパシーを感じてしまうのは、自分でも少し哀しいです、ハイ。
…というのは、今や古典的になったアニメの話なんだけど、どの年代の視聴者や読者を想定するかということはありますね。そしていろんな視点からの評価に耐えるのが、『機動戦士ガンダム』の名作と言われるところなのでしょう。
実は、以下の連想の方が長いのでご注意。(笑)
「アニキ」が死んだ世界で、どう生きていくか? 〜『天元突破グレンラガン』第11話によせて
そう、たしかに僕らは今、「アニキの死んだ世界」に生きている。正しいことを知っている大人に、黙ってついていけばいい、なんて発想はむしろヤバい。もしかしたらその大人は、僕らにサリンを撒けと命じるかもしれないからだ。歴史や社会だって、もう個人が「生きる意味」を与えれくれない。
善良な市民(宇野常寛) さんは、「…今はそんな哲学など語っている暇はない。立てよ、おい!」って憎まれ役を買って出てくれているのかなぁ。
でもブライトさんを「アニキ」と考えちゃうと、碇シンジがエヴァに乗ること(社会的自己実現)を拒否するずいぶん前から、アニキたちはあんまり当てにはならなかった。(笑)
個人的なことを言えば「なんで戦ってるんです?」なんて反問する間も与えられずに「貴様なぜ自分の任務を果たそうとしないんだ?」ってどつきまわされてる間に、気が付けば死に体のアニキの一人に私もなっちゃっていたので、「哲学など語っている暇はない」のも事実だけど、遅まきながら自分の頭で考えなきゃいけないなぁと、ハンナ・アレント『人間の条件』なんか読んでいるのかも。
むしろ、事実として残るのは、マルクスが、どの時代の作品においても、人間を<労働する動物>と定義づけておきながら、次いで、労働というマルクスによれば最も人間的で最大の力をもはや必要としない社会に、ほかならぬ<労働する動物>である人間を導いているということである。つまり私たちは、生産的な奴隷状態か非生産的な自由かという、どちらかといえば悲惨な二者択一に迫られているのである。
(第三章 労働)
難しいですねぇ。(面白いんですけどねぇ。)
なぜ自分の任務を果たそうとしなきゃいけないんだ?(笑)
いや、労働は生きていくために必要なだけでなく、「自然の定められた循環の中に留まり、甘んじてその循環を経験できる唯一の様式」だということも読んでいるうちに分かってきましたけどね。それを実感できる労働なんて限られているような気もして、早く読み進めなきゃと焦っております。
ポジティブとかネガティブとか、感情をそのまま発露するような低レベルの話をしているんじゃないんだよ。これまでの常識を疑わずに生きたときに本当にサバイバルできるかどうかもわからないほど大変なこれからの時代に、「サバイバルするための戦略性って何? 」っていうことを考え抜いて、あんまり誰もやっていないことかもしれないけれど、きっとこういうことが勝負どころなんだろうな、と確信したことを逐一、行動に移して、それを公開しているだけなのである。
My Life Between Silicon Valley and Japan -
サバイバルのための人体実験を公開すること
あるいはまた違う視点からの話でいうと、梅田望夫さんが珍しく強い調子で、“低レベルなところで思考停止するな”と言っておられたのは、否応なく巨大な社会変化の時代を実感しているから、こういう発言になるんでしょう。…やっぱり時代を拓いて行く、新しい感性は重要だということかと。
私は今さらニュータイプにはなれそうもない(笑)ですが、それでも(だいぶ足腰は弱ってますが)自分自身の足で立ちたい、と願うものの一人です。
ただ、“「新しい感性」を支援せよ”というだけではなくて、古今の感性から分け隔てなく、考える材料は得たいと考えています。(とはいえ、文化をパワーゲーム的に利用することへの、転叫院さんのこの警句もまた、実に貴重なものですね!)
コメント
この場合、リュウの方が近いかと
やり方は利口じゃないけど、模範を示してくれた、とブライトさんも
いってるし
いや、ちょうど昨日リュウが死ぬあたりを
見てたもので
十五少年漂流記
というか、ブライトはZZにも逆シャアにも出ていて、見かけは老けません。だから、そこから逆に1stのころもすでに老けて見えてしまう。
ところで、グレンラガンのアニキは、ナデシコの山田さんに似たポジションだと思っていたら、やっぱりそうだったみたいですね。
とりとめのないコメントで失礼しました。
タイトルにドキドキ
落ちついてからも一回読みます。
ただ、
>これまでの常識を疑わずに生きたときに本当にサバイバルできるかどうかもわからないほど大変なこれからの時代
というのは、むしろそれこそが世界というものの本質なのかも知れない、とも思います。それを意識せずにすんだ時代があったという、その事のほうが特別なのかもしれません。
それとも、だからこそ、歯を食いしばってでも「割れたガラスを放置しない」、自分の責任を果たす事が以前より大事なものとして支えるべき時代に、僕らは至っている。のかもしれません。
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