『聖戦士ダンバイン』 最終話
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『聖戦士ダンバイン』最終話の感想メモです。本当は不安だったんです。この話、最後でぐだぐだになっちゃうんじゃないかと。でも、個人的な感想ですが、すごく感動的な最終回でした。

最終話 チャム・ファウ
ゲア・ガリングと刺し違えたゴラオンを失って、シーラ・ラパーナは「総がかり」を指示。そのどさくさに紛れてドレイク暗殺を企てるミュージィ・ポゥでしたが、あえなく失敗。ニー・ギブンとキーン・キッスのボチューンが、ウィル・ウィープスのブリッジに乱入したのは、ミュージィに脱出のチャンスを与えてしまっただけでしたが、そのミュージィのブブリーによってキーンが堕とされてしまうのは、どういう因業なのでしょうかねぇ。
ドレイクとシーラが共倒れすることがショット・ウェポンの狙いでしたが、ハイパー化を抑えながらオーラ力を強めることに成功したショウとマーベルによって彼も倒されます。しかし、ここで致命傷を負ってしまったマーベルは、そのことを隠したまま、ショウに聖戦士の義務として、ドレイクを倒せと。(ショウは、最後までマーベルの死を知らなかったかもしれないですね。)
前にもそんな話がありましたが、ミュージィというのは、元々リムル姫の音楽教師だったんですね。そんな彼女を勇猛な女戦士に変えてしまったのはショット・ウェポンとの愛。(「ルーザに、お前のような可愛さがあれば、こうは・・・」というドレイクの述懐は興味深かった。)結局、ショットを討ち取らせまいとして、彼と運命を共にする彼女というのは・・・彼女は幸せな人だったのかなぁ。
「バイストン・ウェルの世界、いいえ、オーラの力は、戦いさえ終われば、必ず私たちに報いてくれます」と確信を持って告げていたシーラ女王。「シーラはバイストン・ウェルの意思を挺して私に臨んでいるのだ」と、ドレイクも見抜いていました。そのドレイクは、ルーザが死んだ今、「迷いは消えた」と。“迷い”というか、第47話で得た「我々は地上にあっては粛清されなければならん存在なのだ」という悟りが消えて、生への執着が再び強まったという気がしますけどね。(ドレイクが抱いていたルーザ王妃へのこだわりというのも、何だか不思議な気がしますが、しょせん人間はそんなものなのかもしれないですね。)
シーラのグラン・ガランがウィル・ウィープスに体当たりしようとする刹那に脱出を図ったドレイクを、見事に討ち取ったニー・ギブンでしたが、そのまま壮絶な討ち死に。
「後は、己の憎しみの心を地上に残さぬよう、・・・ショウ!」
「貴様はぁ、その怨念で、何を手に入れたぁ!」
「力と、狡猾さだ!・・・さすれば、勝つ!」
「俺は人は殺さない!その怨念を殺す!」
シーラの“浄化”は、典型的なデウス・エクス・マキナです。でも、ここではこれ以外にはあり得ないと私には思えました。彼女は「人々よ、バイストン・ウェルへ帰還します」と言ったけど、あれはオーラ・ロードが開いたようには私には見えませんでした。(魂が帰還する場所がバイストン・ウェルだものなぁ。)
「バイストン・ウェルは別世界じゃないんだ。我々の魂が戻るところなのだとさ。この精神世界が、我々地上界の人間にテキストの戦争を演じさせているのさ」
アメリカ軍の司令官が“テキスト”と語ったのは、つまり戦争についての寓話ということなのでしょうか。寓話とは「不可解で神秘的な印象を与えることも多い」もの。
それゆえに、ミ・フェラリオの伝えるバイストン・ウェルの物語を伝えよう・・・。
こんなにきれいに物語の環が閉じるとは思っていませんでした。・・・いい作品でした。
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コメント
「ダンバイン」は富野監督の持ち味の「とっ散らかってる感」を絶妙なバランスで保ち続けた良作だと思います。
キーンが唐突に死んでしまうのは、もう戦争とはそういうものであると割り切るしか…
そういった地味に大事な役柄を、これまた地味なキーンが請け負ってしまったというのは今まで本当にお疲れ様でした、という気持ちでただ一杯です。
素晴らしい最終回だけど、欲を言えば湖川さん作画ならなあ!というところが引っかかってしまう~~。
主人公が
大学生サークルのような若者数名のチームに所属してますね。
ザブングルの頃も若者だらけで
大人がいませんが割と大所帯
ガンダムとイデオンは年齢は近いものの
微妙に視点の違う人々(育ち、年齢のわずかな差など)が集う点で
ある種の社会っぽさがあり
Zは大人のストレス社会に立ち向かった
若者は狂ってみせるしかなく
ZZは、その反省か
ある種(ブライトさんに)守られた
空間にいる子供たちが
頑張ってみせて
細かい違いを無視して
大雑把に大別すると
大所帯のWB,ソロシップ型と
小サークルなゼラーナ、ターナ型
かな
そのまんま家族なキングビアルとか、
若者サークルよりもっと若い子供中心のホワイトアークとかは
また違う気もしますが
古い作品なんで、これだけまとまった感想が見れるのはホント貴重でありがたいです
地上に出てからがグダグダな感じなんですが、好評だったようで、またラストを美しいと感じてもらえたようで嬉しいです
ラストのドレイクの行動はいまだに謎なんですよね。
リーンの翼でも妻に裏切られるという構図は同じですし、オーラバトラー戦記でも同じで、ここではルーザは後添え様なのです。
執拗に、同じ構図を描いているのは、富野さんにとって何か表現したい部分なんでしょうが、ルーザに対するドレイクの「迷い」とはなんだったのか、興味深いところです
地上に上がってからのグダグダが酷すぎて、観るに耐えませんでした。借りてしまった後だったのでえらい後悔しました。
>KUROさん
KUROさんはグダグダではない、どんな作品がお好きなのでしょうか。私などは、この混沌としたところこそが好きだったりするんですけどね。
しかし最終回が良かったので何も言う事はない
印象的な最終回でした。
物語前半のあのプロローグみたいなのが
あんな形で最後に出てくるとは思わなかった
が、後半グダグダ感が強かったのも確かです…最近になるまで見直す気にはなりませんでしたが、最終回は何故かひどく心が揺れたのを覚えています。ここしばらくのあいだに全話見直しましたが、やはり最終回では心が揺さぶられました。理由はわかりませんが…最後の方で空母の艦長が「あれは…人のオーラが放つ光だ」というあたりから、優しい曲が流れる中、もうショウもマーベルもニーも…バーンも、いないんだと思うと胸が詰まってしまうんですよ。やはりどうしても忘れられない作品の一つです…私にとっても多分、バイストンウェルは…あの頃のバイストンウェルこそが、心のふるさとかも知れません。
返事を書いていたら記事になっちゃいました
http://zmock022.blog19.fc2.com/blog-entry-1465.html
コメントありがとうございました。返事を書いていたら長々と暴走してしまいました。よろしければ、ご覧ください。
いまさらですが....
もうだいぶ語りつくされているでしょうか??
私もこのラストに全員消滅みたいな終わり方は
イデオンと同じく好きなのですが....
最後の最後で納得いかないのが、主人公ショウ・ザマの
不甲斐なさでしょうか??(笑)
マーベルと共にショットを討ったのはともかく、
ドレイクもルーザもニーが討ったし、
ゲアガリングはゴラオンと刺し違え違えだし、
ウィルウィスプもまたしかり。
最後にバーンと刺し違えたと言ってもその直前、
ビルバインはガラバに結構ボロクソやられているん
ですよね。
戦争とはそういうものでしょうが、対極の局面を
他のキャラに取られ過ぎた様な気がします。
主人公の不甲斐なさ
http://zmock022.blog19.fc2.com/blog-entry-1465.html
ここや、
http://zmock022.blog19.fc2.com/blog-entry-1330.html
ここで書きましたが、
>物語作者の中に降りてくる「アーティスティックな衝動」に神は宿っているのか、あるいは(それこそ「お客様は神様」ではないですが)ハッピーエンドなエンターテイメントを希求する大衆の心理の中にこそ神は宿っているのか。
という問題の一面かな、と思います。
主人公の活躍によって、爽快な結末がもたらされることが大衆の願望ではあるのでしょうが。
そういう操作をするのを“神の手”と見做すのか、どうかなんですよね。
たしかに...
ただしわたしはダンバインのラストはあれで良いと思う肯定派です。
あそこに至る過程に主人公ショウ・ザマがもう少し
主役として活躍して欲しかったな~という感じだけですね。
破滅エンディングはたしかに悲劇でしょうが、一方で悲劇は人の心を揺さぶります。
これが感動の押し売りかどうかは、それまでの物語が薄っぺらいかどうかだと思うんです。
そういった意味ではイデオンも、ダンバインも物語作りに成功しているとわたしは思うんですよね。
なんか偉そうなこと書いてますけど....(笑)
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