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『ガサラキ』 最終巻 ~ うわぁぁぁ、これは ・・・ 

[2007/01/22] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 通常の三倍速!(笑)
 どう見ても、大人の事情(放映打ち切り?)の存在がありありと見えてしまって、ここまでの出来がすばらしかっただけに、正直、失望はぬぐえません。
 感情任せに「アニメの打ち切りのされ方」論でも書きたい衝動に駆られますが、ここはぐっとこらえて、最終二話の感想をメモしておきます。

ガサラキ Vol.9 ガサラキ Vol.9
矢立肇、 他 (1999/09/25)
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第24話 句読点
激しくも 哀れ空しい 句読点 撃ちてし止まむ それぞれの秋

 冒頭のアメリカ軍出撃シーンは緊迫感のあふれるものですが、話を圧縮したせいなのか、よく分からないディティールがあります。“EMガン”(電磁レールガン)を装備しているのはどうも一機(コードネーム:クルセイダー1)だけで、通常の火器が動作しない極超低温のコンピュータ室の破壊はこの機体で、と言ってるようですね。(そういう見せ場が本来は、きっと想定されていたんでしょうか。)
 細かいツッコミを入れると、米軍のTA部隊が空挺侵攻してくるまでに、なんら自衛隊の抵抗がないなぁと。空中で輸送機ごと撃破すれば楽勝(笑)なんですけど、それを無力化する描写がちらっとでも「きっとあったんだろう」と脳内補完しながら見るしかないですね。敵のTAも、たまたまちょうど当方と同数の4機であったりとか。両軍ともここが天王山の最終決戦にしては、戦力の出し惜しみがあるような気もします。「これが今出せるありったけ」という描写も「きっとあったんだろう」、ウン。
 「これがTA戦だ!」と予告されていた戦いぶりは、緊迫感があってまずまず。ミリタリーマニアにはたまらないのかもしれない兵器用語が唐突に続々出てきます。(“ヘッシュ”って何?みたいな。)それはまあ見ていれば大体、想定外に強力な敵装備なのねという程度に分かるのでOKなんですが、兵器の性能に依存する描写が多いのは、やや難。はじまったばっかりで「残弾15%」とか、特自TAチームは少し敵を侮っていたのかな?(既にビル内に突入してしまった敵を追撃する形になってしまっている点も、阻止する戦闘としては手ぬるい感じ。ドラマ的にはそれはそれでいいんで、なぜそうなってしまったかの描写が・・・「きっとあったんだろう」。)
 「トランスポーターを突っ込ませろ!!フォーカス4の盾にする!」カッコいいぜ、我らが速川隊長!そうなんです。兵器の性能差をひっくり返す、こういう描写が“燃える”んですヨ!(笑)
 双方二機ずつがほぼ相討ちという状況で、敵はジャマーを使って特自側のトランスポーターからの電子的バックアップを遮断。(いい描写なんだけど、やるんならもっと早くやればいいのにね。)ここでの描写、難しいですね。安宅大尉機は狙いをはずしたと見せて、ガスタービンのコントロール機を破壊して相打ちに持ち込んだのかな。ユウシロウ機は・・・まああれなんですが(笑)、ロボットアニメ好き的にはどこかで1カットぐらい、TA同士のぶん殴り合いを入れて欲しかったなぁと。ほぼ射撃戦オンリーですからねぇ。
 ということで、本作品最大の決戦は、見応えはまずまずとはいえ、それにしてはあっけなく終了。(ちょっとみんな、いっぺんに安心しすぎな感じはありました。)ミハル側のエピソードも、本当はもっと何か「あったんだろうなぁ」。メスとの別離に“思いがけず涙?”の描写は良かったですね。
 米軍は通常兵器による第二次攻撃を準備するんですけど、自衛隊だって全力で迎え撃つ準備をすべきだろうに。(きっと本当は、そういう描写も「あったんだろう」。)アメリカの大統領が思いがけず立派な人で、第二次攻撃も経済戦争も回避されるという流れ(言われているほど反米な作品ではない気が)。
 「まさか、まさか西田さん!」・・・そこは走るところだろ、広川参謀!(笑)
 「西田さん、あなたは命を賭して、一幕の狂言を終わらせようとした。だが、残念だが、この狂言、まだまだ終わらせるわけにはいかない!」という一清。そういえば、この経済戦争プログラムを豪和はバックアップとかしてなかったっけ?と思い出されるのですが、・・・。(ごほごほ・・・。)

第25話 餓沙羅
餓沙羅なる 遥けき便り 打ち捨てむ そは呪われし 回文にして

千、いや、万年の漂流から、今、還る。自分の時、自分の生を生きるために。無窮の力も、永遠の生も、幻想に過ぎない。人は人として生まれ、人として死ぬのだ。(予告編)


 テーマは前回最後の予告編で分かりやすくまとめてくれましたね。オープニングも曲を入れずに話を少しでも進行。・・・ 「神譲り、かつて国と神を奪われた民が、今度は自ら国を奪わんとする。」「そして、世界を。」「業、…ですね。人間、そう、あなたこそ人間の業そのもの。」・・・というわけで、例の経済戦争プログラムのほうはどこへやら(笑)。一清は“ガサラキ”降臨の実験に全精力を傾けます。
 西田さんの遺言は「特自の解体」。「西田さんが究極において目指したもの、この地上から国権の発動たる軍事力を抹消する、それをこの日本が先んじてやる。」・・・うーん、唐突感は否めないなぁ。こういう理想を掲げる人は、そうたやすく死んでもらったら困るんだが。本当は、ストーリーの進行と絡んでもっと語られる描写が「あったんだろう」と思うしかない。
 物語として描写しきれなかった部分を全て、西田と一清のキャラクターに依拠して話を進行せざるを得なかったというのは、やはり痛いですね。
 「・・・まさか!」「ちょっとぉ、どこ行くのよ」・・・肝心のクライマックスに、特自の仲間たちがカヤの外っていうのも寂しいなぁ。
 美鈴の“カイ”としての覚醒に、ユウシロウの傍らにあるミハルの存在が影響するのはいいですね。「“カイ”の怒り、千年の時。この地に消えていった数知れぬ人の怒り。そしてそれは、無間の恐怖への扉。」「怒りが、哀しみが、“ガサラキ”を呼ぶ。」うーん、“ガサラキ”ってなぜかそういうものなのね。
 300万年待っていたと“ガサラキ”は言っております。このへんの内面描写的な絵ってのは、こういうふうにしか表現できないんでしょうかね。エヴァンゲリオンでもそうでしたけど、正直、あまり“映像”としての力がない気がします。実写を交えても何をやってもかまわないけれど、こういうことをしばしばやりたいんであれば、日本の商業ベースのアニメも、もっとアートアニメーション的な表現の手法というのを徹底して研究しなければダメですね。・・・っていうか、“ガサラキ”の語り自体が説明的過ぎると思う。たとえば『2001年宇宙の旅』みたいに、こういうクライマックスは、個人的にはもっと謎に満ち満ちていて、ちっともかまわないと思うんですよ。
 ドラマ的には、あちら側へ行ってしまった美鈴の心をこちら側に呼び返すというのがこの場面のテーマなんですけど、ここまでにそれほど美鈴の内面の孤独、寂しさ、そういうものが表現として十分に置かれていたとは言い難いから、この観点からもカタルシスが弱いんですよねぇ。(残念!)
 一清は、最後にあっちに連れて行ってもらえて良かった。やっぱり高橋監督は優しいなぁ。(笑)

 「風が・・・。」
 「生きてる・・・。」


 いろいろ未練も残るエンディング。居眠りしてる脇坂検事には、笑っておくしかないですね。
 この最終二話は、言ってみれば『THE IDEON』接触篇にも匹敵するような(笑)圧縮感が、いかにも辛かったです。結果として残されたもの、目の前に残されている作品が全てだと思いながら、想像で三倍ぐらいに膨らませながら見るしかないという苦しさ。どこかの時点でストーリー構成を再編成して、説明はどうでもいいんで、もう少しドラマとして、表現として、まとめられなかったものかとは思いますが。実に、実に惜しい感じの結末でした。


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コメント

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実はこの25話の後日談がCDドラマの4巻に収録されています。
幻の26話ともいえますので機会があればぜひ耳にしてみてください。

え?内容?
えっと・・・

「ごめん、覚えてない(伊佐見勇)」

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