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今日思ったこと 

[2007/01/08] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

 今日はちょっと日記的なことを書きます。あまりここに書くようなことじゃあないかもしれないんですが・・・。
 お世話になった先生が急逝されて、先ほどお通夜に伺ってまいりました。なんだか今は、それで頭がいっぱいなので、ご容赦ください。
 冠婚葬祭、とりわけお通夜やお葬式は大の苦手で、・・・と言うと、「得意な人はいませんよ!」とやられるのがセオリーなんですが、何しろ社会の常識とは縁遠いところで生きている人なので、マナーも何もろくに知らないということだけは、自分でよく分かっているのです。なのでもう、頭の血管が何本か切れそうなぐらい、毎度緊張してしまうんでありました。
 そういう風に、自分がマナーにもとる失敗をしないかばかりを気にしていると、本当にこういったセレモニーは苦痛でしかないんですが、私の住んでいる地方では珍しく、比較的に都会的な進行だったおかげも手伝って、今日は何とか自己嫌悪になるほどのミスもなく、(自覚がないだけの可能性はありますが、…)無事にお別れをしてくることができました。
 亡くなった先生は、とても優しい人柄で、どちらかと言えば、あまり人生を器用に生きたほうとは言えなかったかもしれませんが、改めて偲んでみると、実に真摯な生き方を貫いた方でした。亡くしてみて初めて、その良識を自分がとても頼りにしていたことに気付きました。
 なんとか終えてみれば、お世話になった方にきちんとお別れができたということは、自分にとっては気持ちの整理が付いて、大変意義のあることでした。(出掛けにあれこれご助言いただいた皆さんに、心より感謝!)
 お経の後は、導師を務められたお坊さんがお話をされるのですが、誰もがいつかはあの世に行くんだ、だから今、生かされてあるということの意味を考えなさいという、お決まりの話が、今日はやけに印象に残りました。宗教の領分、哲学の領分、いろいろあるのかもしれないんですが、最近いろいろ“にわか勉強”をしているようなことも、如何に生き、如何に死に行くべきかという問題に最後は繋がって来るんだよなぁと。
 こういう儀式というのは、亡くなった方のご冥福を祈るのは言うまでもありませんが、むしろ、あとに残された者たちのためにあるのだという話も、耳にたこができるぐらい、よく聞かされる言い回しですが、今回はまったくその通りだと思ったことです。
 できればもう少し社会常識を身に付けて、こうした儀式もあまりオドオドせず、普通にこなせるような自分になりたいものだと痛感した次第ですが、こればっかりはなかなかねぇ。(…ごほごほ、…)


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コメント

> 確かに、慣れる物じゃないですねw

上手く段取りを崩さないか気になってしまって、肝心の「送り出す」という気持ちがおろそかになってしまうと、自分自身に悔いが残りますもんね。

こういう出来事に際し、不適切な言い方になってしまうかもしれません、御気分害したら申し訳ないです。
でも、素敵なお弔いを022さんご自身ができたのはよかったなあ、と思います。

人は二度、死を迎えると聞きました。
一度目は肉体の死。
二度目は、その人のことを覚えている人がいなくなってしまったとき。
僕のネット上の友人が、しばしば使う言い回しが、「永遠の記憶」というものです。これは彼の属する会派独特のものなのか、彼自身の信条に拠るものなのか、僕は不勉強なので分からないですが、でも、大切なことだなあ、と思いました。
なので、ちょっと真似します。

永遠の記憶。

> その人のことを覚えている人が

…ってのは、中々「じぃん」と来ますね。
仕事で昔のことを調べることが私にはよくあって、今ではもう誰も覚えてないような人を“発見”すると、やっぱり「じぃん」となります。(そういうのが、そもそも好きなんだな、きっと。)
素敵なお弔いっていうか、たぶん体面を崩さずに振舞えたような気がするってぐらいなんですけどね(苦笑)。

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