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カウンターカルチャーとサブカルチャーとオタク文化  

[2007/01/04] | 「おたく」な話 | トラックバック(2) | コメント(8) | TOP ▲

岡田斗司夫は『オタク学入門』(1996)でカウンターカルチャーとサブカルチャーとオタク文化のみっつを明確に区別して述べていて、おおきな示唆を受けました。いまでも、これをちゃんぽんにしている人がいて……、とっとっとっ。


いつのころから新発売2: 啓蒙主義者 岡田斗司夫


 そういえば、私もちゃんぽんによくなるので、いい機会だと思い、またWEB上で“にわか勉強”をしてみました。
カウンターカルチャーとは - はてなダイアリー
サブカルチャーとは - はてなダイアリー
オタクとは - はてなダイアリー
サブカルチャー - Wikipedia
サブカルチャー - Wikipediaの「類語」
おたく - Wikipedia

 こんなあたりをちゃんぽんに眺め回して考えてみたところでは、“はてな”では、サブカルチャーは「カウンターカルチャーの一つ」と明言しちゃってるのですが、Wikipediaでは混同されていることを踏まえてニュアンスの違いへの言及が多く、その代わり曖昧なような気がしました。
 それで、なるべく差異を最大化する方向に絞って読んでいくと、この3つは“カルチャー”への着目点の違いという捉え方が一番いいのかな、と。つまり、反主流・反体制的な「価値観」を重く見るのがカウンターカルチャー、マイナーな娯楽という「目的」面を重く見るのがサブカルチャー、要は嗜好の「対象」を重く見るのがおたく文化なのではないかと。(それらは実体としては結果的に重なり合う部分もあるが、明確に区別されねばならない部分も当然ある。)
 この中で気になったのは“サブカルチャー”で、すると“ハイカルチャー”(いわゆるゲージュツ?)ってのはもっと高尚な目的を持ってると、つまりそういうことになるらしいですが、そこでの“メジャー/マイナー”って言い方自体がかなり怪しいですね。(ポピュラー=メジャーではない点が要注意!)
 というところで実は、h-nishinomaruさんの文章で、読み解けなくって引っかかっていたのは、次の記事のほうでした。

再読しておもしろかったのは最終章に置かれた「オタク文化論」。タイトルからはオタクについて書かれているように見えるけれど読んでみるとサブカルチャーについて啓蒙書風に述べられている。乱暴に要約すればサブカルチャー=アメリカ文化。ときどきサブカルチャーとオタク文化を混同して平気な文章をウェブなどで見掛けて、その都度不毛ないらだちを感じてきた。しかし、そのいらだちの原因がオタク文化とサブカルチャーを混同する人々のオタク文化を表面では賛美しながらその裏面では侮蔑している姿勢に対する反感であることに気付いた。彼らは大抵の場合アメリカ文化具体的にはアメリカ映画や大衆音楽を思慕している。たとえばガンダムの監督として著名な富野氏などはその筆頭であろう。


いつのころから新発売2: オタク学入門


 上記の引用を読むときに、この本は10年前の著述で、「ここで想定されているオタク像と今現在考えられているオタクとはかなり隔たりがある」と前置きがあるのは要注意なのですが、そこはひとまず措くとします。
 なかなか難しい文なのですが、私なりに読解してこういう意味かな、と思ったことは次のようなことです。

* 筆者は「オタク文化論」と章立てしておいてサブカルチャーについて解説したオタキングには好意的らしい。一方、富野監督に対しては反感を持っているらしい。
* 意識的か無意識かは別として、両者ともにオタク文化とサブカルチャーの混同(ないし)混用はあるらしい。
* オタキングの理解はサブカルチャー=アメリカ文化らしい。
* 富野監督はアメリカ文化を思慕しているらしい。

 つまりh-nishinomaruさんが反感を感じておられるのは、富野監督はアメリカ文化(=サブカルチャー)への思慕を“オタク文化の賛美”として表面に出しているけど、裏面ではオタク文化なんか侮蔑してるってことなのかな、と。(粗雑な理解ですみません。)

ボクが腹立たしく感じる人とは無自覚に「オタク文化を表面では賛美しながら裏面で侮蔑している」皮肉を体現しているタイプの皮肉屋である。


 ・・・というのが上記の文章の結びの言葉で、つまりオタキングと富野監督の差異は、オタク文化とサブカルチャーの混同混用を、自覚的にやっているか、無自覚にやってしまっているかという問題であるようです。近頃の富野監督は、娯楽だエンターテイメントだという発言が多いけど、それはどちらかといえば(上記の厳密?な3区分で言うところの)サブカルチャー的なものであるくせに、しばしば「おたく文化」全体を許容するような物言いを見せる、そうした不用意さ、不徹底さに対する不満の表明なのかな、と理解いたしました。
 そういう理解でよければ、(また富野信者失格になりそうですが、)言っておられる内容には、ほぼ同意できるような気がします。(ただ、“クリエイター”と“プロデューサー”みたいなことであるとか、いろいろ留保を付けたくなる部分が出てくるのが、富野監督という人のいとおしくてならないところなのかな、などとも思ってみたり・・・。)
 それにしても、これを書いてみて思ったのは、世の中の多くの人(というか、富野マニア限定?)の富野監督観はむしろ、“彼にはカウンターカルチャー的な要素の担い手という期待をしてきたのに、近年はサブカルチャー的な方向へ行きたがる挙動を見せている、日和やがって、もうろくしやがって!!”的なものが多いような気がしていましたが、やっぱりh-nishinomaruさんの視点はどっか違うなぁという、そういうことでありました。
 
オタク学入門 オタク学入門
岡田 斗司夫 (1996/05)
太田出版

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追記:
 コメント欄にいただいたヒントから、富野監督について私が考えていることがもう少し分かった気がしたので続きを書きました。よろしければ併せてご覧ください。
やはり私は“一人の観客”として富野監督のファンです
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コメント

>

あけましておめでとうございます。

最近、僕は、オタキングは啓蒙専制君主、富野監督は(元?)啓蒙主義者、だと思っています。

ご両人とも啓蒙家なのです。だから僕みたいな不遜な人間は反感をもってしまうのです。

オタキングは啓蒙専制君主つまり、王様なので、エラくても仕方がない、と思っちゃう、ということです。

> >h-nishinomaruさん

今年もよろしくお願いいたします。

マイナーな娯楽という「目的」面を重く見るのがサブカルチャーだと言われているのは、どうも怪しいなぁと書きましたが、そんなサブカルチャー的なフィールドで“啓蒙”というのは、実は不思議なことですよね。

1) “サブカルチャーとはマイナーな娯楽を目的としたもの”という定義付けの感覚がそもそもおかしい。
2) 彼らの仕事はそもそも“サブカルチャー”ではない。
3) そんなフィールドで“啓蒙”できるかのように思っている彼らの認識が、そもそもおかしい。

私の頭では、この3つぐらいしか候補が出てきませんが、どのへんが正解に近いのでしょうかね???
実際のところ私個人にとっては、富野アニメがサブカルチャー的にどうであっても構わない、というわがままなところを持ちながら、こんな話をしちゃっていますが。

>

「サブカル」ということばは、それ自体、現代アメリカ文化を揶揄しているニュアンスです。

ところで富野由悠季氏にはふたつの面があります。監督と批評家です。

一般的にいって、批評家は、作品をカウンターカルチャーとかサブカルチャーとかいって分類します。一方、監督は分類を越えた普遍的な作品を目指します。

富野氏は批評家としては、分類を混乱していると思います。しかし、これは監督としては当然です。なぜなら監督は分類を越境しなければいけないからです。

オタキングは批評家です。脚本を書いた『トップをねらえ!』という作品はロボットアニメとスポ魂を掛け合わせる、という発想から企画されたそうです。逆にいえば、分類をする批評家ならではの発想です。

つまり監督と批評家は両立しないと思うのです。僕の感じる「反感」はここにあります。

それにしても僕は「反感」、「啓蒙」、「不遜」といった生硬なことばをつかい過ぎですね。「反感」を「反発」くらいに矯めした方がよいかもしれません。プチ反省。

> サブカルというと

サブカル雑誌のQuick Japan(QJ)というのを連想します。

エヴァ終了直後にいろいろとやってました。庵野氏からは「第2のアウト」にならないようにと釘をさされていたような気がします。
そういや月刊OUTも創刊2号で宇宙戦艦ヤマト特集をやっていなければ
サブカル誌の側面が強かったかもしれません。

当のQJ誌、最近はお笑いタレントを扱うことが多いかな

まあ、上記のような私の関心ある記事だけではなく、それを含めた記事全般から受けるものが、私のサブカルへのイメージですね。

サブカルに対するものといえば
通常の「文化」的なもの
特に古典となっているものたちでしょう(クラシック音楽、オペラ、能
歌舞伎…)。
という意味ではサブカルとは若い文化、体系化が不十分な文化というイメージもあります。

歌舞伎だって大衆芸能が長い時間をかけて伝統文化になったものであり
古典落語は当時の大衆の笑い話でしかない
「文学」を気取る小説も女子供が読むものといわれていた

アニメはまだ若い文化であるからこそ
限界もあればできることもある。
まだまだ
古典として老成してしまうことはないのでは?

> むずかし

「サブカルチャー」にかかわらず、用語はむずかしいです。ボクも「オタク」という言葉にコンプレックスがあって、つかいたいようなつかいたくないような気がいつもするのです。

囚人022さんの「サブカルチャー」の用法は文字通りの意味としてつかっている、もっとも穏当かつ適切なものだと考えられます。

ただ、ボクの一連の記事ではサブカルチャー=現代アメリカ文化という意味でつかっています。これは現代思想オタク的な用法だと思います。

拙文は、用語、文体、内容のみっつの組み合わせに稚拙なところも多く、恥ずかしい限りです。

> 再録しました

言及くださいました記事を「URL」で指定した先に再録・復元しました。

> リンク先を修正しました

Nishinomaruさんのブログ移転でリンクが切れておりました。お知らせいただいてから遅くなってしまいましたが、リンクを修正しました。(もしかすると若干リライトされているかもしれませんが、引用の内容は、この記事を書いた時点のままにしてあります。)

>

初めまして、カルフォルニアの短大に2年間居て、
現在はゲーム会社に勤めております。自分は、
アメリカに生れた訳じゃないので、文化の全ては
分かりませんが、アメリカのオタク文化について
是非とも話したいと思います。

まずアメリカのメインカルチャーはスポーツの
フットボールとキリスト教、バンド活動です。

次にサブカルですが、これは細分化されます。
アメリカはアメコミ以前から、ヨーロッパの
ファンタジー小説や伝記、英雄譚を研究する
オタクが大勢いました。その後はSF小説や、
スターウォーズ、アメリカに輸入されたゴジラ
などのSFアクション作品が強くなってきます。
そんな時代に、革命を起きた二つの事件が起きます。
1つは任天堂が作ったスーパーマリオ、もう一つが
日本の漫画「AKIRA」です。それまで二次元には
表現の限界があり、多くのアメリカ人は三次元の
物にしか興味がありませんでした。紆余曲折を
経て、現在は日本の萌えアニメなどを好む世代が
アメリカで増えておりますが、やはり昔に比べ、
知識や趣向が浅かったり、オタクとして生産者に
なるよりか消費者で終わってしまう場合が多く、
中には違法視聴で済ませてしまう残念な子が多い。
岡田斗司夫さんみたいな人がアメリカに居ない以上、
このままでは日本のアニメみたいな作品を作ろうと
する若いアニメーターはアメリカでは生まれないし、
ヱヴァみたいな衝撃を与える作品も生まれないでしょうね。

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