カウンターカルチャーとサブカルチャーとオタク文化
岡田斗司夫は『オタク学入門』(1996)でカウンターカルチャーとサブカルチャーとオタク文化のみっつを明確に区別して述べていて、おおきな示唆を受けました。いまでも、これをちゃんぽんにしている人がいて……、とっとっとっ。
そういえば、私もちゃんぽんによくなるので、いい機会だと思い、またWEB上で“にわか勉強”をしてみました。
○カウンターカルチャーとは - はてなダイアリー
○サブカルチャーとは - はてなダイアリー
○オタクとは - はてなダイアリー
◎サブカルチャー - Wikipedia
◎サブカルチャー - Wikipediaの「類語」
◎おたく - Wikipedia
こんなあたりをちゃんぽんに眺め回して考えてみたところでは、“はてな”では、サブカルチャーは「カウンターカルチャーの一つ」と明言しちゃってるのですが、Wikipediaでは混同されていることを踏まえてニュアンスの違いへの言及が多く、その代わり曖昧なような気がしました。
それで、なるべく差異を最大化する方向に絞って読んでいくと、この3つは“カルチャー”への着目点の違いという捉え方が一番いいのかな、と。つまり、反主流・反体制的な「価値観」を重く見るのがカウンターカルチャー、マイナーな娯楽という「目的」面を重く見るのがサブカルチャー、要は嗜好の「対象」を重く見るのがおたく文化なのではないかと。(それらは実体としては結果的に重なり合う部分もあるが、明確に区別されねばならない部分も当然ある。)
この中で気になったのは“サブカルチャー”で、すると“ハイカルチャー”(いわゆるゲージュツ?)ってのはもっと高尚な目的を持ってると、つまりそういうことになるらしいですが、そこでの“メジャー/マイナー”って言い方自体がかなり怪しいですね。(ポピュラー=メジャーではない点が要注意!)
というところで実は、h-nishinomaruさんの文章で、読み解けなくって引っかかっていたのは、次の記事のほうでした。
再読しておもしろかったのは最終章に置かれた「オタク文化論」。タイトルからはオタクについて書かれているように見えるけれど読んでみるとサブカルチャーについて啓蒙書風に述べられている。乱暴に要約すればサブカルチャー=アメリカ文化。ときどきサブカルチャーとオタク文化を混同して平気な文章をウェブなどで見掛けて、その都度不毛ないらだちを感じてきた。しかし、そのいらだちの原因がオタク文化とサブカルチャーを混同する人々のオタク文化を表面では賛美しながらその裏面では侮蔑している姿勢に対する反感であることに気付いた。彼らは大抵の場合アメリカ文化具体的にはアメリカ映画や大衆音楽を思慕している。たとえばガンダムの監督として著名な富野氏などはその筆頭であろう。
上記の引用を読むときに、この本は10年前の著述で、「ここで想定されているオタク像と今現在考えられているオタクとはかなり隔たりがある」と前置きがあるのは要注意なのですが、そこはひとまず措くとします。
なかなか難しい文なのですが、私なりに読解してこういう意味かな、と思ったことは次のようなことです。
* 筆者は「オタク文化論」と章立てしておいてサブカルチャーについて解説したオタキングには好意的らしい。一方、富野監督に対しては反感を持っているらしい。
* 意識的か無意識かは別として、両者ともにオタク文化とサブカルチャーの混同(ないし)混用はあるらしい。
* オタキングの理解はサブカルチャー=アメリカ文化らしい。
* 富野監督はアメリカ文化を思慕しているらしい。
つまりh-nishinomaruさんが反感を感じておられるのは、富野監督はアメリカ文化(=サブカルチャー)への思慕を“オタク文化の賛美”として表面に出しているけど、裏面ではオタク文化なんか侮蔑してるってことなのかな、と。(粗雑な理解ですみません。)
ボクが腹立たしく感じる人とは無自覚に「オタク文化を表面では賛美しながら裏面で侮蔑している」皮肉を体現しているタイプの皮肉屋である。
・・・というのが上記の文章の結びの言葉で、つまりオタキングと富野監督の差異は、オタク文化とサブカルチャーの混同混用を、自覚的にやっているか、無自覚にやってしまっているかという問題であるようです。近頃の富野監督は、娯楽だエンターテイメントだという発言が多いけど、それはどちらかといえば(上記の厳密?な3区分で言うところの)サブカルチャー的なものであるくせに、しばしば「おたく文化」全体を許容するような物言いを見せる、そうした不用意さ、不徹底さに対する不満の表明なのかな、と理解いたしました。
そういう理解でよければ、(また富野信者失格になりそうですが、)言っておられる内容には、ほぼ同意できるような気がします。(ただ、“クリエイター”と“プロデューサー”みたいなことであるとか、いろいろ留保を付けたくなる部分が出てくるのが、富野監督という人のいとおしくてならないところなのかな、などとも思ってみたり・・・。)
それにしても、これを書いてみて思ったのは、世の中の多くの人(というか、富野マニア限定?)の富野監督観はむしろ、“彼にはカウンターカルチャー的な要素の担い手という期待をしてきたのに、近年はサブカルチャー的な方向へ行きたがる挙動を見せている、日和やがって、もうろくしやがって!!”的なものが多いような気がしていましたが、やっぱりh-nishinomaruさんの視点はどっか違うなぁという、そういうことでありました。
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追記:
コメント欄にいただいたヒントから、富野監督について私が考えていることがもう少し分かった気がしたので続きを書きました。よろしければ併せてご覧ください。
→やはり私は“一人の観客”として富野監督のファンです












