OVERMAN キングゲイナー(その2) 

[2005/09/21] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

∀ガンダム以来、御大は自分とともに制作に携わったクリエイターたちをけなすことをやめ、むしろ積極的に褒めるようにしているみたいです。御大の世代は怒られて「ナニクソ」と力を発揮したのだと思いますが、現在の若手は褒められてこそ実力以上のものを出してきますから、御大もスタッフの力の引き出し方を学んできたのだと言えるでしょう。

キングゲイナーの終盤に私が漠然と疑問を抱いていたら、子犬さんのところで2000年(∀のあとキンゲの前?)の御大インタビューを見ました。

作家性ってもっと固有で、社会と隔絶しているものだというのがわかったんです。僕は作家性がないから、社会と隔絶したところで仕事ができない。


富野由悠季が「作家性がない」?
C= C= C= C= \( ;・_・)/

キングゲイナー最終パートの感想を書くにあたり、このコメントは大変気になるところです。

富野監督という“作家”の作品として見た時、キンゲのラスト数話には、いわゆる「トミノ節炸裂!」が少ないと皆さんも感じませんでしたか?
それらしいものが目立ったのはゲインVSアスハムの対決シーンぐらいでしょうか。この二人の対決は、しかし結果的には本筋と浮いたところで熱くやり合っちゃってるんですよね。御大が「本線の情」という事を最近言ってましたが、どうもこの部分は「個々の問題」になっちゃってて「本線の情の起伏」からは浮いてしまっている気がします。
本線はゲイナーとシンシアとサラの、若い三人の物語になっちゃっていて、他の登場人物はあまりに力がない。(一番若いアナ姫はがんばってくちばしを突っ込んでますけど、こっちはこっちで「子どもの癖に」って、こっぴどくやられちゃってますね。)

なんて言うか、たぶんこのキングゲイナーの物語は「ゲインとゲイナー」の二枚看板の物語として、はじめ構想されたものではないかと思うのに、どこかからゲインの存在はとても軽いものになってしまった気がします。

ええっと、CS(?)での放送も始まったようで、これからキングゲイナーを見るという人も多いかもしれません。(多いことを切望します!)
ですが、以下やむを得ず、激しくネタバレを含むので、見たくない人はこれ以上読まないようにご注意ください。

ネタバレを恐れない皆さんは、ぜひここをご覧になってくださいまし。

さて話の続きですが、意味不明にしゃしゃり出てきたキッズ・ムント総裁は瞬殺されるし、五賢人はバッシングに遭うというように、ここに来て老人にはほとんど立場はないです。(※ラジヨさんが指摘しておられたようにマルチナ・レーンおばあちゃんが活躍する場面があれば、その印象は少し違ったのかもしれないですが。)
しかし、それだけではなくて、ゲインもアスハムも(ましてアデット姐さんやガウリ隊長なども)本線の情の起伏からは浮いてしまった、つまり老人たちほどではないにしても世界を変えていく力の乏しい“旧い人たち”の扱いをされているように私には思えます。
ゲインに言えるのは「ゲイナーをぶん殴ってくる」ぐらいですが、実際には歯も立たず、「狙いが正確だと、本気で僕を殺そうとしたのがわかってしまったなあ!」って、…“こうなってしまった以上、殺すしかない”と大人たるゲインが非情に決意したことを言葉でダメ押しまでしなきゃならなかった必然性はいったい何だったんでしょう?

しまいに巨大化ゲイナー君。膨れ上がってオーバーコートを着て、ゲインに向かい「君とは!決着をつけさせてもらう!」
えぇー!?
ゲインじゃなくても「子どもが言ってる!」って言いたくなる場面。
最も旧いものを象徴するブリュンヒルデなどは、助勢に駆けつけたもののオーバーデビルの圧倒的力の前に再び「えぇ?」ってぐらい、これもあっさりとやられてしまいます。(よーく見ればオーバーデビルの力を若干削いだことが分かりますが、普通に見ていてもほとんど気づかないでしょう。)

「君は、僕をバカにし続けてきたあ!」って、子どもモード全開のゲイナーに圧倒されまくるゲイン。情けない大人だ。

結局最後には、機械仕掛け(プラネッタのオーバースキル)の力を借りたゲインの
「聞こえるか、俺の声が!」で、若い三人が我に帰ります。
でも私の個人的見方なんですけど、これまでさんざん感情を引っかきまわされて、そんなことでそうあっさりと我に帰られても納得いかないし、ちょっとストーリー構成テクの妙技(歴代オーバーマンのオールスター戦?)に入りすぎて、逆にあまりドラマティックと言えないんじゃないんじゃないかなぁ。
で、ゲインのエンペランザにできることと言えば、若者たちを我に帰らせて、オーバーデビルに取り込まれていたキングゲイナーへの道を拓いて、それでお役御免だ。うーむ・・・。(寄せ集めの出来損ないオーバーマンで「よくやった」とは言えるが、どうにも地味。いまいち目だたんなぁ。)

で、あとは派手に若者たちの時代なんだな、うん。

「退りますよ!」
「最後まで、最後まで戦うの!」
「もたねぇぞ!」
「気合でもたせるの!」

ここは気持ちよかったけどね。若い三人だけの物語じゃねぇだろ、やっぱり。
・・・にしても、「オーバーヒートは!」で今度はやけにあっけなくオーバーデビルやられたなぁ。(豚鼻のこいつ自身「ぶぉぉぉぉぉ!」とか豚語しかしゃべれないから、こいつにトミノ節を聞かせろって言ったって無理なわけなんだが。)

オーバーデビル


結局アスハムもラスボスってわけじゃあなかったから、あっけなく「ロンドンに帰りましょ」でも、まぁいいか・・・。(いいのか?何話か前のあのテンションは何だったんだ?)
「未練を振り切って、…エクソダスか…。あああああ~(滑ってズルッ!) 」のゲインも笑えましたね~。(しかし子どもがどうしたこうしたは「一夜の恋」で、それでいいのか?)

・・・そしてアナ姫のキンゲ・モンキーダンス。でもソロでアカペラは寂しかったぞ。っていうか、せっかくお祭りの話するなら、その前の中途半端な説明なんて要らないから、本当に野趣あふれる祭のシーンぐらいカットインで入れて(当然そこはミーアの踊りあり!)、そこから一気にモンキーダンスへなだれ込むとか、
強引とも思えるスピーディな展開が何故出来ない?
富野作品なんだろ!?


でもね、でもね!
ヤッサバ隊長と占いの女の子と、ザッキ!
こいつら生きてたんだ、って気づいたら、そこはじーんと来た!ナイスなファンサービス!

・・・とまあ、話の流れを追ってしまえば悲喜こもごもなんでありますが、私が<その1>の最後で私が言いたかった「物足りなさ」は何なのだったろうとつらつら考えてみますに、これは「ゲインとゲイナーの物語」じゃなくて、「ゲイナーの物語」(+おまけ「ゲインの物語」)で終わっていった、というようなことじゃないかと思うのですね。

言っておきますけどこれ、敢えてケチつけてますよ。全体としては大変すばらしい作品でした。それにわざわざ文句を言うのは、例えば、「天まで飛べ!!」

今後、ロボットアニメに限らず非オタクをも唸らせるような面白いアニメは少し前に大ブームとなった「新世紀エヴァンゲリオン」からではなく、この「オーバーマン キングゲイナー」のような作品から生まれて来るような気が私はする。

と言われた期待に私も完全に同意するからこそ。

(この項続く

がんばって一気に書いてるけど、続いちゃいましたyo…。 orz

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コメント

> 最後のほう

僕は最後のほうの言葉ばかりがやたらとがっていて、話が全然
わからないパートのほうがトミノ節全開だと思います。「このコトバを
どうしてもねじ込んでおきたい」という気持ちが土壇場で、作劇を
曲げてでも強く働くのでしょう。
ただ、自分で小説や物語を書いてその本の売り上げで生活している
人から見れば、富野悠由季の創作スタンスはかなり不純に見えると
思うのです。アニメを見て、ノベライズを見て、雑誌のインタビューを
見ないと彼の思惑は見えてこない・・・。そういう自分を氏はふがいなく
感じていて、「作家性がない」と言っているのではないでしょうか。

> 私は

ノベライズって全然読まない人なので、「映像がすべて」と思っています。「説明になってない」ということは、そのまま聞くと短所に聞こえますが、私は長所として見ることも出来ると考えます。(説明を聞きたいわけじゃなく、物語を味わいたいのですから)
・・・「本線の情の起伏」という御大の言葉は、こういう感覚にぴったりとするいい表現だなと思っています。

富野アニメの核ともいえるこの部分で、必ずしもうまくいってない部分がキングゲイナーの最終パートにはあったと思われてならないので、こんな名作のラストとしては非常に残念な思いがあり、その理由をいろいろと考えながら書いています。
「僕は作家性がない」などという、情けない言葉を自分に許してしまうところには、その理由の一端が現れている気がします。時間がなくて、なかなか<下>が書き終わらないのですが、いろいろ考えてしまって、また長くなってしまいそうです。 orz

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