オススメのニュータイプ論とお詫び少々。 

[2006/12/11] | 雑記 | トラックバック(2) | コメント(2) | TOP ▲

∀ガンダム論(ターンエーガンダム論) 
第一章 ガンダムシリーズとニュータイプ論の結論としてのディアナの死


 yasuakiさんが、また非常に興味深い考察を書いておられます。
 これを読解することが、nishinomaruさんのコメントへの答にもなるような気がしているので、ちょっとじっくり読んでみたいと思います。(nishinomaruさん、はじめまして。なるほど、少し論点が分かった気がします。ありがとうございます。)
 …という内容の続きを今、少し書きかけていたのですが、Firefox君が突然クラッシュしてくれたので、今夜はこれで挫折します。(>_<)

 どうもすみません・・・。(そろそろFirefox2にすべきかなぁ) 
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コメント

> ニュータイプについて

おくればせながら、はじめまして。
ニュータイプについて富野由悠起氏はあるインタービューでつぎのように語っています。

巨大ロボ物の宿命というのは、主人公がとにかく第一話からロボットを操縦しなくちゃいけない。日本のテレビアニメでは軍隊はタブーですから、主人公を軍人にはできない。普通の一市民である少年が「ガンダム」を操縦するには、特殊な能力を持たない限り不可能だ、ということは第一話の段階からわかっていました。(中略)超能力以外でロボットを操縦できるような優れた能力とはなんだろう、と考えていました。(中略)最終的にニュータイプという言葉を作ったんです。(『機動戦士ガンダム大全集』講談社)

つまり日本のアニメーションが軍隊をタブーにしていたからこそ「ニュータイプ」は生まれたのです。『ガンダムW』は主人公を特別な訓練を受けた少年(映画でいうと『ニキータ』みたいな少女暗殺者)にすることで少年にもかかわらずロボットを操縦できるようにしています。その結果、ヒイロは、アムロのようには普通の少年に共感されませんでした。その一方で腐女子に愛されることになります。
 富野監督にとって不幸だったことは「ニュータイプ」という言葉がひとり歩きをしてしまい、なんだかオカルティズムになってしまったことにあると思います。

> >nishinomaruさん

いろいろすみません。
今夜のところはyasuakiさんの文章を読ませていただくので手一杯になってしまいました。この続きはまたそのうち書きますので、気長によろしくお願いします。v-435

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反米としての富野ガンダム

先のつづきです。長めだったので分割しました。

ニュータイプについて 囚人022さんへ

(コメントしたものをこちらのブログにも載せました。)