「FLAG」について思ったこと 補足 

[2006/12/08] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 昨夜、高橋良輔総監督の戦場ドキュメンタリーアニメ「FLAG」の一話から三話を見て思ったことを少し書いたんですが、ちょっと補足しておきたくなったので、思い付きをメモしておきます。
 監督自身が言っておられるように、本当に「食いつきが悪い」作品だと思います。こっちはアニメだと思って見ているのに、どうも作り手側は、あえてアニメらしくないものを作ろうとしているらしいんですから、そこのチューニングの合わないところは仕方がない。“萌えアニメ”全盛の中で、違うものを打ち出そうという志なのかなと思うのですが、なかなか難しいところを狙ってきていますよね。
 今日、ふっと思いついたのは、“アニメらしくないもの”――何かある境界のようなものを探る試みというのは、逆に“アニメらしさ”って何かということを考える手がかりになるんじゃないかということです。私はどちらかというと、古いタイプのアニメファンですから、未だに“アニメだからこそ出来ること”って何だろうというようなことを、わりとぼんやりとですけど考え続けています。
 正反対のことを志向しているようで、実は同じことの表裏だったりしないかな、とふと思いついたというわけです。日本のアニメーションのあり方のようなものを、真剣に考えている高橋監督ならではのものというのはありそうな気がします。
 三話まで見た限りでは、“萌えない”し、“燃えない”し、「正直、なんちゅうドライなアニメだよ~」と思わなくもないんですが、どうも自分が気になるポイントというのは、そんなことかなと思った次第。年内には六話までしか無料配信されない予定なわけなんですけど、「続きが見たい!」と切望させてくれるところまで来るのかどうか。これはどう考えても売れ筋の作品ではないんですけど、せめて無料配信ぐらいは、心ある皆さんには見て欲しいなぁと強く思っています。

FLAG



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> キューブリックの反対側

映画監督の大林宣彦氏がキューブリックの遺作『アイズ・ワイド・シャット』の評論文に「真実は映像の中ではなく、映画が終わってブラックアウトしたときに生まれる、スクリーンの裏側の暗闇の中にあると言い遺したのではないか-」と書き記していました。

『FLAG』がなぜ、全ての画像がカメラ越しなのか考えてみたのですが、キューブリックとは逆に「真実はモニター画面を見つめている、あなた方の心の中にある」と言いたいのではないか--そう思いながら見ています。

あとOPを繰り返して見てから気がついたのですが、緑と黒で描かれた「白州冴子が、鏡に映った自分の写真を撮るシーン」以外、カメラ越しではない映像は一切登場しないことにもおそらく、強い意図があると思っています。

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