OVERMAN キングゲイナー(その3) 

[2005/09/25] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

<その1><その2>ときて、できれば今回で完結させたかったわけですが、(汗
今回はちょっと脱線して「恋愛」の話……ゲイナーをめぐる三角関係(笑)のことから考えはじめて見ます。

従来の富野アニメの恋愛スタンダードは、過酷な運命にもてあそばれる中で、人との絆を求めて愛が生まれる、といったパターンが王道だったように思います。ですが、人々がたくましく生きている本作の物語中では、このやり方ではない、新たな恋愛の形式が提示されるのは、妥当かつ必然でした。

もてもてゲイナー君


このあとは微妙にネタバレ気味になりますので、未見の方はできましたら、以下の部分は読まないでくださいませ

そこで考えて見ますと、サラみたいに健やかそうな「美人さん」が、ゲイナーのような風采の上がらないオタクっぽいやつに惚れるってのは、ちょっと『電車男』的なサクセスストーリーですよね。
たしかにキングゲイナーを駆って華麗に敵と闘うゲイナー君は頼もしく見えるかもしれない。でもそれは、キングゲイナーあっての話。…これ、本当は言われなければそれほど気にならなかったんですけど、

「君が一番うまく僕を利用してくれたね」(byゲイナー)

って、何故かわざわざ台詞にして駄目を押しているので、引っかかっちゃうんです…。
むしろ身一つのゲイナー君は、ちょっと病んだ感じのシンシアに相手にしてもらえればまだましなほう(…実はそれさえ厳しい?)。健やかなサラには相変わらず「鼻にもかけて」もらえないぐらいのほうが、ナチュラルなのだと私は思います。たしかにゲイナー君の成長も、物語の過程の中でいろいろ描かれてきました。終盤でこれほどまで、彼に未だに「子どもっぽさ」が残っていることを示されてなければまだしも、ここはサラに“憧れ続ける”ゲイナー君で終わったほうが、むしろこの作品らしい前向きな姿勢だったんじゃないかと。
…オーバーデビルとの戦いを見守る中で「愛してるよ、愛してるから!」ってサラに言われているゲイナー君の姿は、確かに見ていて嬉しかったです。でもこんなに簡単にサラに受け入れられて、最後に手まで繋いでもらえちゃうゲイナー君を、“ちょっと都合よすぎる”と見てしまうのは私だけでしょうか?
「エクソダス」をそそのかすキングゲイナーという作品は、
どこまでオタクっぽさを許容できるのか。
少し気になったポイントです。

さて、脱線はこの位にして本題の続きです。ラジヨさんに教えていただいたのですが、「キングゲイナー」でシリーズ構成を担当、最終パート等重要部分の脚本も書いた大河内一楼さんは、『エクソダス・ガイド』の中で、

「富野さんは上質なんだけれど人を厳選するコーヒーのような人。ですから、僕の役目はコーヒーミルクのように飲みやすくして、その価値をわかりやすく広めることだと思っています」

と言っておられたとの事。また大河内さんの次作「プラネテス」関連の特番では、「前回は失敗したので今度はシリーズ構成ではなく、脚本を全部自分で書くことにしました」とも口にしておられるそうで、「キングゲイナー自体が失敗作なのではなく、自分がコーヒーミルクとして上手く機能できなかったことを失敗と捉えて」いるのでは、というのがラジヨさんのご意見でした。

大河内さんが上手くいかなかった部分のあったことを率直に認めていることは、プロらしい発言として好感が持てるものです。私たち視聴者には、シリーズ構成と脚本、そして原作、総監督といった関係の機微は実際にはよく分かりませんですが。
「海のトリトン」で手塚治虫の原作がありながら、すっかり自分の作品にしてしまったところから富野アニメの歴史は始まっています。若い才能は老いた原作者を超えて行け、というのは御大の信念であるのかもしれません。

(この項さらに続く)

 「ご利用は計画的に。」(…汗。

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