『リーンの翼』 第6話「桜花嵐」 

[2006/11/09] | 感想系 | トラックバック(1) | コメント(1) | TOP ▲

桜花の奔流 エイサップに“やまと心”を触れさせる(第6話予告)


 第5話に続き、ナレーションなしで、重厚な音楽を背景に特撮映画(怪獣もの?)を思わせるはじまりです。
 「ここはニューヨークではあるまい!」
 「それは駄目だぁ」
 現代と過去の価値観の対比。特攻隊員にいきなり現在の東京のありようを見せたら、こうもあろうかというのは分かるのですが。
 「米国めぇ!」
 「日の丸が特攻隊員を攻撃するのかぁ!」
 ここでのサコミズ王の姿は、ある意味、痛々しくもこっけいに見えます。これはそういう風に意図して描かれていると見るべきもの。――そういうふうに私は思いました。“サコミズ王物語”とは、彼の悲喜劇の叙事詩なのではないのかと。
 とにかく、ようやく登場人物たちが一つの時空に揃ってラストシーンへと向かっていくのですけど。見た人誰もが、この終劇に向かっていくドラマの、ものすごい情報量に圧倒されたのではないでしょうか。(実際に実物を見たことはあまりないのですけど、)これはまるで“オペラ”のような盛り上げ方なのではないのかというのが私の印象でした。(富野監督的には、むしろ宝塚?) 

 わりと突然、「呼んだか?」と、妖精の女王ジャコバの意思がサコミズ王に呼びかけるのですが、あれはどういうことだったんでしょうか。カンも頭もよくない私には、あれはちょっと解せないままでした。ただ、サコミズ王は「ならば、この混乱を鎮めるのを手伝えよぉ」と言う。彼は、この混乱を鎮めねばならないと思っている!そうなのか、と思いました。
 「サコミズ王、ここでは何かが起こっています!」…パブッシュ陣営の父の周囲で展開する陰謀を、サコミズ王に伝えようとするエイサップ。肉親の情を超える絆(ある種の信頼?)が、いつしか新旧の聖戦士の間には芽生えていたのでしょうか。
 「父上は、ふるさとの人々を戦乱に巻き込んで、どうする気なのです」
 「東京湾は異常である!」
 娘であるリュクスの眼から見てさえも、戦乱を巻き起こしているのはサコミズ王としか映らないのに、王は(少なくとも自分では)混乱を鎮めようと努力しているつもりなのですね。彼の振る舞いが圧倒的迫力にあふれているので、そう気付きにくいのですが、やはりサコミズ王の姿は“こっけいで哀れ”なもののような気がします。
 「ホウジョウは地上人と手を組み、祖国の首都を爆撃するなど、なんたることぉ!」
 客観視できるポジションにいるはずのアマルガンさえも、この混乱状況は、外観しか見えていません。一方、相当“イタい”感じの郎利と金本は、「消費文化ってのをやめさせるんだ」とか、相変わらず聞きかじったようなことを口にして、暴れまわっています。
 「キントキの、コットーとともに」…サコミズ王の迫力に気おされたか、後添え様は言わいでものことを口にして、間男の存在を王に気付かせてしまいます。“間男をされる王”!まさに古典的な悲喜劇の主人公ではないでしょうか!
 「わがホウジョウを、かつての日本と同じだと思ったか!叛骨の米国人?」
 「それでは、また日本は、米国の植民地になる?」
 こっけいな悲喜劇の主人公は混乱を深めながら、怒りを別の方向へ向けているようにも思えますが、しかし彼なりの真剣な思いがあり、そうであればこそ、こっけいさも哀しさもよりいっそう強まって見えるようです。
 
 パニクってるリュクスが、エイサップの姿を認めるや、キス、キス、キスの嵐だったのは微笑ましかったですね、エイサップ君は「何とか止める方法は…」と真剣だというのに。人智を超えつつある状況の中で、身体的な感覚に拠りどころを求めたいというのは、人のありようとしては間違ったものではないのでしょうが。――この若い二人が主人公の座に返り咲くチャンスは、たぶんこのあたりが最後だったと思うんですが。しかし起死回生の一手を、そうそう都合よく彼らに与えたりはしないところがまた、富野さんらしいのではないかと。
 「本気かぁ!」…エイサップ君は、自らの手を血に染めたのは初めてでしたか? 眼前での人の死に、フェラリオの歌を聴いて、激しく動揺する未熟な若者(?)。

 オーラロードではぐれたときも、早々に“もはや亡き者”と見捨てていたのに、結局はサコミズ王が合流してきて、内心では快くない後添え様(コドール)。「王はオウカオーに取り込まれた」と、叛心をあらわした瞬間を見逃さなかったサコミズ王は、やはりただ錯乱していたわけではないのだと、私は思いました。
 「同じ部族同士、ねんごろになって私を欺くかぁ」
 「コドールの褥は暖かいよなぁ」
…ここは見ていて本当に悔しかった。せめてサコミズ王に、最も卑屈な笑いを浮かべる間男(コットー)を討たせてやりたかった!
 それさえも果たされぬサコミズ王に、彼さえ倒せばと殺到してくるツワモノたち。しかし、ここはもう、『∀ガンダム』のクライマックスにおけるターンX(のギム・ギンガナム)状態の強さを見せる王の力の前に、鎧袖一触!しかし、その、ほとんど無敵モードの強さと裏腹に、「コドールと腹を合わせて…ヘリコンの地のものがぁ!」という惨めでこっけいなセリフしか吐けないサコミズ王。
 「それが“聖戦士”のやることなんですかぁ!?」…そう言うけれどエイサップよ、それはもっともだが、ならば、お前ももっと決死の姿勢を見せろよ。
 「地上界を巻き込まぬため、体当たりもよしとする」
 たぶんエイサップよりは、物語の混乱の核心からは遠く離れていたアマルガンですが、しかし彼の思いはより鮮烈です。

 「それは本物なんだぞ、1千万以上の人間を殺すことになる」
 「ホウジョウ軍をダシにするより簡単かもしれん」
 「我々が日本復興に手を貸せば、この島国は私の好きに出来る」
 郎利というのは本当に嫌なやつだし、馬鹿だとも思います。『リーンの翼』を右翼思想のアニメだと思う人も少なくないようですが、本当にそうならば、郎利のような“イタい”キャラクターを描くはずがないと私は考えます。
 「郎利、ふざけるんじゃない!」
 「エイサップだって差別されてたんだろぅ」
 しかし、そう思った次の瞬間に、その“イタさ”の影にあるものさえをも見せられるとなると、私の貧しい頭はほとんど飽和してしまいそうです。(なんだか『発動篇』のようです。)

 「いのちのかたちを見せるんだよ」
 「地上界はいのちの遊び場かい」
 リュクスの傍らにいるエレボスの口を借りて出る、ジャコバの言葉。(うーん、もう私には何の解釈もできない…。)
 「われらがいのちの手紙をサコミズ王へ」
 「この人形は、あなたたちを特攻に出すしかなかった少女たちの哀しみと、感謝の印だったのでしょう!」
 急激に老いていくサコミズ王。(ここは笑うところではないんですが、禿げるとますます富野監督の姿にオーバーラップして見えてきてしまう…。)

 郎利から水爆を奪取し、虚空へと昇ろうとするエイサップ! 
 「エレボス、ワーラー・カーレーンへ帰るぞ!」
…ここまで懸命に持ちこたえていたんですけど、それが彼の“死の決意”を意味する言葉だと気付いた瞬間、目頭がぶわぁっと熱くなっちゃいました。
 正直なところ、一回目の視聴では、そこでリミッターを振り切っちゃったので、続く展開が全然頭に入らなかったんですけど。
 「リーンの翼が聖戦士のものなら、わが思いを守れ!」
…二回目に見たときには、その瞬間にサコミズ王の悲劇の“反転”があったことに気付いて、再び“ぶわぁぁっ”と…。

 見つめる娘の瞳に父の死の光が映る。…「キレイねぇ」誰ひとりとして散っていった王の真情を知るものはない、そういう残酷な描写。(もしいるとすれば、エイサップただ一人か。)
 後添え様はじめ、悪い人たちも、みなオーラロードを通ってバイストン・ウェルへ生還。あの金本も、郎利さえもが無事だった。見ていて、胸が悪くなるのに耐える。
 「まぁまぁ今日は何て日でしょうね。あっちからもこっちからもいっぱい来るわ。」…魂の再生する場。それはせめてもの救いなのだろうか?

 「こんなかっこして」
 「母さんと暮らしてくれる?父さん」
 「後で一発ぐらい、殴らせろよ」
 エイサップの家族の和解。確かに彼は成長をした。自分ででは、ほとんど何もなし得なかったかもしれないけど、彼はサコミズ王から何かを受け取ったんじゃないかと私は思う。
 リュクスは和服、エイサップはスーツで迫水家の墓参り。彼女がちゃんとした和服を着たのは最初で最後だけど、こんな服装の対比にまで象徴的な意味が含まれているんだと思う。
 「素敵なところなのに」とは、“日本”のことか。
 「お父様が笑っていらっしゃる」
 「桜花たちよ」
 最後に来て、ファンタジーらしい、やけに抒情的な終劇。少し不思議な感じがしました。



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コメント

> まだ観ていないのですが

はっきり言ってどの話数も初見での印象が「?」でしたが、3回くらい見直した上に、続けて見てやっと理解できる感じです。最終話はまだ観ていませんが、あらすじを途中まで読ませてもらった感想は「良く分からない話だなぁ」でしたが、エピローグの雰囲気が凄くよさそうなので、観るのが楽しみになりました。

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リーンの翼を観た。

思った事をつらつらと。●言いようのない気持ち悪さが残った。これは間に挟まれた「コードギアス」のCMのせいもある。なんだか三時間近くの間、反アメリカのアジテーションを聞かされ続けた様な印象しか残らなくなってしまった。もちろん、人はそれぞれ主張があるものだが、