富野監督と「純愛」の話 その2 

[2006/10/24] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

 そういうわけで、前回の続きです。
 まずは整理ということで、富野監督の発言を中心に、「純愛」絡みの話題をネット上で読めるものから探してみました。

新しい企画について:
富野「僕が今考えてる新企画のテーマは純愛なの。
『ベルサイユのばら』と『キャンディ・キャンディ』を昨年(01年)初めて全部読んだけど、本当にすごいと思った。
(略)
僕が真面目に女の子向けを考えてるのは、CG技術の進歩でようやくアニメで着物に柄が入れられるようになったから」
【御大は】富野教信者の会【神!】


 ↑これは2002年ごろの話のようです。どこでの対談の話なのか、イマイチここからは読めませんでしたが。(2ちゃんねるニガテ…。)

富野 最近、僕が最後に作りたい作品のテーマがみつかったんですよ。結局馬鹿みたいなこと。…要するに純愛ものなんです。
中島 あはは。
富野 熊川哲也さんのバレエを観て、結局これだよなあって思ったんですよ。「ロミオとジュリエット」だったんですが、バレエのスタイルで見せているけれど、要するにベッドシーンがあっても、観客はそれを楽しみに観ているんです。この間、ガンダムのムック本があって読んでみたら、結局みんなの頚に残ってる記憶は、ガンダムの中の純愛の部分だったんだってことがわかったんですよ。
中島 ああ、ミハル(ガンタムのメイン舞台ホワイトベースという戦艦に、女スパイとして侵入した少女ミハルのエピソード。ミハルとひととき心を寄せるいつもはひねくれ者のカイというキャラクターがこの話で人気に)ですね。
富野 だったら、今、この手で純愛を作劇してなぜいけない?と、ね?”純愛”という言葉に突き当たったのは、この数週間なんですか、もう一回そこへ行きたいですね。4組か5組の純愛のカップルを描きたいんです。それを一見純愛と見せずに、どうやって書くか、これぞ戯作者の仕事だと。
ひびのたわごと コーヒーブレイク


 ↑上記の2ちゃんねると同じソースかは不明ですが、「2002年に行われた劇団新感線夏公演のパンフレットに掲載された、富野と中島かずき氏の対談」だそうです。この時点では、子犬さんも書いておられるとおり、『新訳Z』のことなのか、『リーンの翼』のことなのかも不明でした。…純愛を語りながら「ベッドシーンがあっても、観客はそれを楽しみに観ている」というところが、なんかミソのような気がするんですね。

今回は「純愛と達成感」でっていうことになった時に、「人間って、常に目の前にない物を求めるんですよね」と言う。今は純愛が欠けているから純愛が受ける。何をやっても達成感がない時代だからそれが求められる。ヨーロッパの貴族社会も不倫だらけだったからオペラは純愛ものばかりだったんだという音楽家としての知識を持ってこられると、なるほどと思うしかないという。この人凄いなぁって素直に思いました。
がんだまぁBlog 星を継ぐ者完全ドキュメント ゼータバイブル


 ↑これは音楽担当の三枝さんの言葉なんですが、ここでもルロイさんは「富野監督のエッセイの類を読む限り、監督がピュアな純愛を経験しているようにはとても思えないのがなんとも(爆) 作り手が経験していないことを物語にするのはかなり難しいと思うんですよね~。」と辛口評でしたね(笑)。

恋愛模様そのものもいわゆる大甘なものはなく、だまされ振り回されといった男女のリアルな心の駆け引きに焦点を合わせており、それこそが真の純愛であると富野由悠季監督は説いているかのようだ。
Amazon.co.jp: 機動戦士ZガンダムII -恋人たち-: DVD


 ↑amazonの『恋人たち』DVDに、増當竜也さんが寄せた解説なんですけどね。富野監督の“純愛”は、どうも一筋縄じゃないようだぞ、というところを言い当てているところはグッジョブだなぁと。


・『電車男』や『セカチュー』は病人の集まりにしか思えない。あれに比べればZの方がよっぽど純愛。
 『電車男』はあそこまでお膳立てされてる時点で清水の舞台から飛んでないし、アレが受けるのは自分より弱い人間を見て安心したいという心理。
 『セカチュー』は不治の病という非日常的な設定まで追い込まないと純愛を語れていないわけで、そんなのは長持ちするものではない。
 どちらもあまりにも脆弱過ぎる。
・3部はカミーユが世間を取り込み日常に還るというのがテーマ。この世間というのはΖの物語。
機動戦士ZガンダムヒストリカVol.08 富野インタビュー:シャア専用ブログ


 ↑難しいんですが、「お膳立て」された「非日常的な設定」を背景にしないと語れないような“純愛”は、病的なのだと。で、Zの物語は(世間でそう受け止められるかは疑問ですが、少なくとも監督自身の中では、)これらに比べれば世間そのものを描いているという手ごたえを感じているようですね。

Ζの中に純愛がないかというと、今回の劇場版ではっきりしてきたんですけど、「むしろ純愛があぶりだされているかもしれない」。
 第三部まで知っている立場の者としては、かなりそこまで自覚的に操作している部分もありますね
キネマ旬報2005年11月下旬号 ガンダム世代が日本を動かす:シャア専用ブログ


 ↑同時期のものですが、どうも、純愛を「あぶりだす」というところがミソなんじゃないのかな。

 長くなってしまったので、次回へ続きます。(次で終わります。



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コメント

> いつの話かは知りませんが

>CG技術の進歩でようやくアニメで着物に柄が入れられるようになったから
ブレンパワードでしょうね、これ。

>

最初の資料は日経エンタ!2003年1月号「
飯島愛対談連載■お友だちになりたい!」の第9回ですね。

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