「共感か反発かの二択しかないネットなんて」  

[2006/10/16] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 正直に白状することからはじめると、私は昔、「自分って頭がいいかも♪」と思っていたかもしれないです。いや、たぶんそう思っていました。(正直に行こう!)
 だから、G_Robotism(2006/10/01付け雑記)でkita082さんが

「賢い人達」と枠でくくり自己卑下してプライドを保つ必要

…と指摘されたのは、私の書いた「はてブのコメントを見て(賢い人たちのこと…)」についての批判なのかもしれないな、と勝手に思ってしまったり。
 それで「自己卑下なのかなぁ?」と反省しながら自分の書いたものを読み返してみましたが、たしかに宮台センセイのエントリーに触れた記事で“秋刀魚と大根おろし”の話を熱心に書いているのは、バカ丸出しにも程がありましたかねぇ?(笑)
 この記事は、私の「地頭が悪い」という話から、∀ddictのコメント欄で Takkunさんと交わしたコミュニケーションなんかにも触発されながら書いたものです。そこでの対話の中でtakkunさんは、

すごく頭のいい人はニュアンスを汲み取って、かつ自分はそれと分離した分析をクールにこなせます。そしてそれを言語化できるだけのフレームワークやバックボーンを持っています。

…と書きつつも、

私のような凡人は個々人がどのような体験をしてきたということをすり合わせていくことでしか現象を具現化できないし、それを言語化することは難しいんですよね(せいぜいできて異議申し立て)

…と述べておられて、これに激しく同感したんですよ。
 takkunさんのその記事(Show the Flag of Evangelion)は、私の書いた記事(「本当の事」―エヴァとイデオンとに触発されてをダシにして(笑)書かれたもので、その私の記事は今度は、zsphereさんの記事(カオスの縁 ――無節操日記 -  エヴァンゲリオンについて思うことなど )に刺激されて書いたもので…というような連鎖だったりしたんですけどね。

 で、以上は長ーい前置きで(…ぇ?)、ここからが今日の本題なんですけども。

 「ビューティフルドリーマーとは懐かしい・・・」という私の書いた記事の中で言及させていただいた、Anisopterさんの該当記事(惑星の人たちが語らなかったこと)に「後記(2006-10-14)」として追記されていた内容が、今まで書いてきたようなこととも関係があるような気がして。

こういうレスポンスをもらえたことは素直にうれしかった。僕と彼は世代も消費してきた作品の履歴も大きく異なっているし、今回のトピックに関しても彼は決して説得されていない。けれどディスコミュニケーションを乗り越えるというのは、そういう具体的なレベルでの食い違いを指摘しあって、そこからいかに多くを学べるかということだと僕は思っている。共感か反発かの二択しかないネットなんて貧しすぎる。


 そもそも、私にはちょっと難解(笑)だったAnisopterさんの元記事に私が言及してみたいと思ったのも、「パフォーマンスをパフォーマンスとして(言い換えればネタをネタとして)スルーすることで、実は僕たちはかなりのコミュニケーションの機会を失ってしまっているのではないか」、「あるいはそもそも僕たちがネット上である作品について語るとはどういうことなのか」…という問題意識に共感した面があります。
 そして“賢い人たち”のオタク批判と、それに対する開き直った反発(あるいは意図的な無視)の間にあるコミュニケーションの不在ということを考える場合に、考えなしに消費行動の享楽にふける「動物」であるか、それを批判する「シニシスト」であるかは、「単にポジションの差にすぎない」と捉えるものの見方。これが私には、とても納得のいくものでした。
 その視点をもらって、それがたまたま『ビューティフルドリーマー』絡みの話だったので、「そうかー。いわゆる“セカイ”に浸りきっていたメガネも、精一杯の抵抗を試みた面倒も、結局“終わらない学園祭前夜”という迷宮からは逃れられてなかったよなぁ」ということが、私にも理解できたっていう、そういう構図です。(「それで何で、物語を現実へ回帰させる役割を果たすのが諸星あたるなんだよー」という感想も、その後一回書きましたけどね。結局それでは答になってないです。)
 
 私とすれば、はてなブックマークのコメントで、ご自身に

丁寧な読解。僕の記事でも出口を示せていないというのはその通りだ。僕としては出口のなさ=「大きな物語の凋落」とつなげて、そこにどんな抵抗線が引けるか考えてみたい

…と書いていただいた、それだけでもとてもうれしかった。でもせっかく追記で丁寧に言及していただいたので、今回はAnisopterさんの前後の記事を読み返させていただきました。
 (近頃慣れてきたとはいえ衝撃的なぐらい)私とはホントに(笑)大きな世代差があることほとんど初めての「アニメ体験」がエヴァだったこと「コミュニケーション」ということについて真摯に考えている人だということなどを知り、私との食い違いがいかに多く、しかし学ぶべき点が多々あると感じられたことが何より嬉しかったです。(ただし、「そこでまた押井守かよ!」は今言ってきたような話の流れがなかったら、初めて読んだ人には通じにくいんじゃないでしょうかと要らぬ心配も。…笑)

 長くなってしまいましたが、私は開き直った人たちとも、シニカルな人たちとも、一定の距離を持ちたいし、またそんな心配しなくても、それらどっちの極端に行ける資質も、そもそもなさそうです。昔、「自分って頭がいいかも♪」と思っていた自惚れなんかは、もうはるか黒歴史の彼方に埋もれてしまいました。(ルサンチマン=強者への憎悪やねたみ=奴隷の道徳は、今もその芽を時々もたげますけどね。)
 でも決して賢からぬ私にあって、大いに誇りに出来るのは、「具体的なレベルでの食い違いを指摘しあって、そこからいかに多くを学べるか」というコミュニケーションを、(あくまで私のレベルでのことであっても、)このブログにコメントを寄せてくださる皆さんのおかげで、私は実現できつつあるのかもしれない、という手ごたえを得ていることです。
 「共感か反発かの二択しかないネットなんて貧しすぎる」という言葉には、私に自己肯定する力を与えてくれる輝きを感じました。

 …それで、ビューティフルドリーマーの話に戻って、“食い違い”を恐れないコミュニケーションの続きを試みてみますが、たとえば“道徳”とは無縁のスチャラカにしか見えない諸星あたるが、実は一番“セカイ”の構造を達観していて、理屈にならない理屈で、でも、間違いなく自己決定しようとしていたんだということとか。
 「ラム、それは夢だ」と言いながらも実は相変わらず、宇宙から突然やって来た鬼娘が自分にベタ惚れをして同居しているという、オタクの夢のような構図からは抜け出せずにいることとか。
 「ループ構造からいかに抜け出すのか、あるいは抜け出さないということを選択するということはありえるのかといった問い」は、ビューティフルドリーマーの中から既に、あったことなんですよね。
 問題は結局、あたるのラストジャンプのときにラムの小さな分身に言われた「責任とってね♪」ということと、どう向き合うのかだったりするんだと思いますが。

 「こんな日常はつまらない。自分は非日常的なロマンでないと充足できない」のだと無理矢理自分に言い聞かせているハルヒ(=オタク)というのは、実際には、「妥当な自己像に修正して素直になりさえすれば、非日常的なロマンなんてまったく必要としないタイプの人間なのだ。そしてそれは、決して不幸なことではない。」……という善良な市民さんのオタク像を、諸星あたるの場合にあてはめると面白いですね。
 …浮気はやめて、本命のラムに落ち着けばいいじゃない?
 …浮気をやめたら、あたるはあたるじゃなくなっちゃう?

 ラムが本命だと言ったって、それだって、その場では“現実”に見えたとしても結局は、オタクな夢の産物に過ぎないじゃない。「安易な自己肯定と思考停止」じゃない答は、いったいどこにあるのやら。
 同じく悩めるものであるのなら、あれも批判これも批判するばかりでなく、いろんな意見に耳を傾けながら「少しずつでもいいから考えて行きたい」という人の言葉を、私はとても価値のあるものとして聞きましたよ。



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コメント

> いひひ

わたしも自身に言及すれば、凡人ながらもそれなりに「頭がいい」と思って育っていた時期はありました。しかしながら、やっぱりそうではなかったと思うこともしばしばありました。

そして、この囚人さんの記事に「いひひ」というタイトルで、導入部分までしかレスがつけられないんで、わたしには囚人さんは、なんだかとても頭がよさそうに思われます。

もしこれを、出張中にケータイで打ったとしたら、予想以上です。

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