「芸術」と「藝術」 

[2006/10/08] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 ウェブで目にとまって、ちょっと興味深かったので、自分用のメモに書き留めておきます。

なお、日本語「藝術」という言葉は、明治時代に西周 (啓蒙家)によってリベラル・アートの訳語として造語されたが、いまではアートの同義として使用されている。現在は漢字制限(当用漢字、常用漢字、教育漢字)により、「芸術」と書く。

しかし、「芸」の音はウン、「草を刈る」のが本義であり別字であり、日本国政府による日本語政策は文化破壊的である。本来「蓺」か「○」(○はくさかんむりの下に「乙」の漢字)と書くべきである。
芸術 - Wikipedia

 東京芸大は、昔はがんこに「東京術大学」と書いていて、最近はそうでもなくなった。うちは歴史のある由緒正しい大学なんだぞ、と威張っているのかと思っていたけど、そうではなかったらしい。…正直スマンカッタ。

 そこにジャンルの「例」が書かれている。たとえば音楽はクラシック限定で例示されているのは、“それが芸術であること”への異論が出にくい(コンセンサスがある)ということなのかな。その意味では、少し前だったら「デザイン」とは書きにくかったのかもしれないですね。もちろん「アニメ」なんてものがこんなところに出てこようはずがありません、ハイ。
 今では「工芸」が芸術であることを疑う人は少ないわけですが、そこへ至る歴史というのはなかなかに屈折に満ちたもので大変興味深いものです。

 それはさておき、「藝術」というのは「リベラル・アーツ」の訳語だというので、そっちもWikipediaで見てみたら、今日の日本で芸術といわれたときに一般的な「視覚芸術」みたいなものはほとんど含まれていなくて、むしろ「一般教養」だというのを改めて読んで、へぇ~…と感心しました。

原義は、「人を自由にする学問」、「自由学科」のことであり、それを学ぶことで、自由人たる教養が身につくものである。この自由人とは古代ギリシア社会においては「奴隷」と対である相対的概念であり、今日的な意味で「自由」を捉えると、原義はわかりにくいものになる。

 …ということで、奴隷ではない自由人を、自由人たらしめるために必要な教養こそが、本来の「藝術」なのである、と。
 今日の社会で、私のような貧乏人は、自由人であるなどとは到底いえないのかも知れず。…逆に言うと、お金持ちのためにしかならないようなものだけが、ゲージュツとなり得ることができるのか、とか。(工芸のたどった道は、厳しいことを言えば、それに似ています。)

 今日の社会にあって、たとえ貧しくとも、「自由人」であることが可能であるのか否か?くだらぬ趣味の話をしているだけのようであっても、突き詰めていけば、根本的な問題はそういうことに繋がっているのではないか、いやそうであるように努めねばならないのではないか。
 財政力だけではなく、教養もまた貧しい自分の身分も省みず、今日はなんとなくそんなことを、ふっと考えてしまいました。


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