ブレンパワード 最終巻を見直しました
2006-09-09
![]() | ブレンパワード Vol.7 矢立肇、 他 (2002/09/25) バンダイビジュアル この商品の詳細を見る |
最終巻だけをもう一度見直したくなって、借りてきてみました。(あまり推奨できない作品の見方ですね。)ようやく見終えたVガンダムを受けて、この作品の見え方がどう変わるだろうかという、そういう思いもありました。
(※ネタバレがありますから、未見の方はご注意ください。)
第24話 記憶のいたずら
「帰らないと…帰れない、帰らなければ、帰らないから!帰りたい、帰りたい、あたし……」
依衣子さんは、自分の居場所に帰りたい。ところがヒメブレンが彼女を導いたのは、オルファンではなく、直子おばあちゃんとかつて暮らした上の村。ブレンは依衣子が頭で考えることではなく、彼女の存在そのものが真に求めるものの答はそこにあると感じたのだろう。それはブレンの考えたことではなく、たぶん依衣子自身の中にあって彼女が目をそむけてきたもの。
「違うぞ!あたしが帰りたいのはここじゃない!あたしの家は、オルファンだ!こんなものが事実であるものか!」
上の村の湖底に潜んでいたプレートは、直子、翠、依衣子、三代の女性たちの成長を見守ってきた。そのプレートのリヴァイバルの光に導かれて、依衣子は直子の人生を追体験する。
「私は誰なの?クィンシィ?依衣子?…直子?」
ここで初めて運命によってオルファンと深く結びついた伊佐未家の、過去の歴史が明かされる。ゲイブリッジと直子の恋。
「私はここにいなければならないの。私の家はここだけだから」
「お元気で、ゲイブ…」
直子はなぜ、ゲイブリッジのプロポーズを断ったのだろうか。
もつれていた糸が一気にほぐれていく。
「あたしは家族を守りたかっただけなのに!」
「家族なんて何の役に立つ?あんなもの俺達の思考を鈍らす単なるノイズさ。」
「家族なんかぁー!」
自分の本当の願いに気付いたかに見えた依衣子だったが、クィンシィ・イッサーとして生きる道を選んでしまう。
第25話 オルファンのためらい
「ユウの姉さん、依衣子さんが逃げ出した時あたしのブレンに乗っちゃったんだよね。あの子、よくも付き合ったもんだ。だから、ユウの故郷に出ちゃったんだけど、あれ幻かもしれない。でも依衣子さんは間違いなく赤いバロン・ズゥに乗って消えたんだから現実でしょうね。驚嘆、驚嘆!」
ヒメちゃんは「驚嘆、驚嘆!」とまとめてくれる。軽いノリにも思えるが、情がないわけではない。前話の最後が「依衣子さんが悪い方に進化したなんてことないよね?(ヒメ)」「「誰が悪い方に進化なんてさせるものか!(ユウ)」「ご、ごめん。ごめんよ、ユウ…(ヒメ)」で結ばれているから、そう思えるのだろう。ヒメの視点がどれだけこの物語を救ってくれていることか。
客観視すれば状況はまったく絶望的だが、登場人物においてすら夢幻譚のようにさえ感じられるというのもよく分かる。
「オルファンは敵っていうものではありませんね」
それはカナンの言うとおり、ヒメちゃんとユウの感じ方に過ぎない。完全な答はどこにもないし、必要もない。現実から脱走したい人(=リクレイマー)の現実逃避な見方だけが正しいわけではないということが分かればいいのである。オルファンは誰かに側にいて欲しい。同時に、ブレンやグランチャーの母でもある。それが自分たちの感じた、分かっていることのすべてである。
ナッキィ「何て分の悪い賭けだ!」
ナンガ 「なら降りるかい?」
ナッキィ「こんな馬鹿な事、俺達がやらなきゃ誰がやるんだ」
なんて愛おしいやつらだろう。ここから決戦前夜のいくつかの描写は、言えば小芝居に過ぎないが、キャラクターの一人一人が生き生きとして見える。
「何やっても遅いんだよ、ユウ!」
「お前だって逃げ回っていた!」
「俺が何から逃げてるって言うんだよ!」
「一人で戦い、一人で生きることをだ!」
彼らの会話は、もはや理屈ではない。ジョナサンが逃げてきたのは「誰かに側にいて欲しい」という願いであったろうか。それを正当に認めることこそが、逆に「一人で生きる」ことだというのだろうか。
バロン・マキシミリアン、ゲイブリッジ、直子、同じ事象を目にしながら、オルファン現象への解釈は、それぞれ皆違う。互いの立場が異なれば、「分かりはしない」ということが再確認されるに過ぎない。
乱戦空間に入り乱れる想念の中から、ブレンたちの他にクインシィのバロン・ズゥだけを残したのは、オルファンの選択なのだろう。オルファンが求めている決定的にオーガニック的なものは、研作が本来看過していたように、数量的なものではない。
“孤児”と言う意味であるオルファンは、一人ででも生きていける。だがヒメの言うように、「放っておいてはかわいそう」。それは単に「乙女チックなこと」ではなく、本質的なことなのだろう。
「オルファン!あんたにはあたしがいるじゃないか!他の誰も要らない、あたしがずっといてあげるから!」
オルファンはなぜ依衣子を受け入れたのだろうか。それはオルファンのエゴだったのか、あるいはオルファンこそが、依衣子を「放っておいてはかわいそう」と感じたのだったろうか。
最終話 飛翔
抗体としての依衣子を受け入れて、オルファンは目覚める。ブレンたちがノヴィス・ノアに戻される中で、ヒメとユウのブレンだけが、バイタル・グローブに咲き乱れる花園に飛ばされたのもまた、オルファンの選択なのか。(“イデの試し”を思い出す。)
ヒメちゃんはどうしてあんなに強いんだろう。
「あきらめるの?あたしは最後まで生きるわ。ユウと、皆と一緒に」 ユウとヒメのブレンに力を与えてくれるものを、ユウは「アレロパシティ」=植物が共生し合う力と言っているようだ。これはアレロパシーといわれるもののことらしい。(同じ頃、ノヴィス・ノア艦内で、カント少年も“共生”の可能性を口にしている。)
翠と研作は疑っていないが、オルファンは全世界のオーガニック・エナジーを吸収するより前に、オルファン胎内にあるプレートやグランチャーのエナジーを吸収し始めたらしい。結局真実は何であったのかは分からない。
ヒメとユウが癒されている花園をバロン・マキシミリアンのバロン・ズゥが襲う。「罪も罰も一身に受ける」決意を固めたバロンは無敵の戦闘力を見せる。
懸命の戦いを続けてきたユウが、バロンの正体に気付いた、その一瞬に、すべてを許し、受け入れる…。(ぶわっと涙がわいてしまいました。)
「ジョナサンは俺の身代わりになってくれた。シラーの身代わりもやってくれたと思わないか?」
たかがアニメだと分かってはいるのだが、ユウも含めて彼らは皆、この作品を見ている我々の「身代わり」なのだと気付く。(これはあくまで、“理屈”ではない!)
「俺達は出来る事をやるしかないんだ。」
それはイデオン発動篇でのコスモたちと同じかもしれないが、何かが決定的に違う。
アイリーン「あたし達に力が無い事が、情けなくありません?」
モハマド 「ですが幸せではあります」
翠、研作、直子、ゲイブリッジ、皆、人間の知恵の底の浅さ、無力さを思い知り、受け入れる。
ユウとヒメが再びオルファンに向かうのは、依衣子を救い出すためだけではない。そのことでオルファンをも救いたいとユウは言う。
「オルファンさん!あたしの一番大切な人をあげるのよ!あたしの愛している人なんだから、寂しくないでしょう!?」
「やり直すためだ。姉さんとオルファンを解放するためだ。出来るなんて思っちゃいないけど、姉さんも受け入れてくれるなら、地球をこのままにしておいてくれないかい?」
「オルファン!Bプレートの代わりに俺たちを差し出す!だから、地球はこのままにしてやってくれないか!?」
このクライマックスをあれこれ解釈することは、難しいと言うより意味がない。何度も言うが、これは理屈ではないのである。
依衣子が、ユウが、ヒメがしてきたこと、すべてに意味があったのかなかったのかさえ、分からない。ただ、ジョナサンが言ったように、オルファンの輝きは暖かく、「俺達の力を、俺達のやった事を認めてくれている暖かさだぜ」と感じられるかどうかだけである。
ラストシーンはネリー・キムとヒメが手をとりあう場面で終わる。(また泣きました!何度見ても、毎回泣けます。)
すでに世を去った人であるネリーの遺志は、間違いなく無には帰していないもので、受け継がれていくってことなんだろうけど。(そういう理屈はいらないなぁ…。)
ひとこと
テレビアニメとして作られたもので、これだけの普遍性を備えるに至った作品を私は知りません。理屈が付くものが普遍的だなんて思うのは、狭くて貧しい発想だとしか思えなくなります。
Vガンダムを見てきて、何か見え方が変わるかと思いましたが、この作品は、(すみませんが)そういうレベルをはるかに超えていると思いました。大人向けとか子ども向きとか、プロのクリエイターとして考えずにはいられないのだろうとは思うのですが、そういうことを思う余裕もないほどのところから生まれたこの作品にこそ、普遍的なエンターテイメントを感じました。(理屈にならないものは、うまく言えないんですけどね。)
| ランキングオンライン |












