自己形成の難しさ 

[2006/09/05] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

PSB1981の日記 - カテジナ日記/第四話「戦いは誰のために」(Vガンダム/富野由悠季)

 先日から、時々コメントをいただいているpsb1981さんのブログで「カテジナ日記」というおもしろい連載が展開中です。第四話はさすがにカテジナさん個人ネタからは離れたようにも見えますが、とても興味深い内容なので、ご紹介しておきます。

Vガンダムというのはビルドゥングスロマン(成長物語)の明確な否定からスタートしている。
なぜなら、過去のガンダムシリーズにおける主人公の成長というのは、結局は立派な「軍人」になることでしかなかったからだ。ガンダムに乗りつつ、社会的自己実現を図り、同時に大人の責任を果たすというのは実際そういうことだろう。

このVガンダムにおいて、ウッソがガンダムに搭乗する理由は最初から最後まで変化が無い。彼は最後までプロの軍人にならないし、同時に大人にもならないのだ。

 ビルドゥングスロマンという言葉には、ヤバいので気を付けねばならないところがあり、それは、<それが近代的な国民意識の芽生えるのが遅れたドイツで育まれたものだ>ということだと聞いたような気がします。

ドイツでこのような小説が支配的となったのは、近代の国民的形成が遅れたことによる。つまり、精神的に自己形成し社会的な発展をとげる物語の主人公は、一人の人間であると共に、何よりもドイツ人であるということである。
教養小説 - Wikipedia

 要するに、一人前の大人=すなわち“よき国民”になってしまう危険性は、常に意識に置いておくべきなようですね。

PSB1981の日記 - カテジナ日記/第五話「ゴッゾーラの反撃」(Vガンダム/富野由悠季)

しかし、カテジナが抱えるこの10代特有の苛立ちは過去のガンダムシリーズの主人公にも共通していたはずだし、カミーユなどは、これによってこそ、Zガンダムを駆ったのではなかったか。
そういう意味では、素直すぎるウッソよりもカテジナの方が、過去の主人公たちにより近いといえると思う。
そして実際、このVガンダムという物語の中で、ビルドゥングスロマンの階段を駆け上がるのは、ウッソではなく、むしろカテジナの方だ。

 カテジナさんは潔癖で、自分が正しいと信じたことを、信じたままに貫いている。その自己形成の過程のどこがどう間違ってしまったのか、私にはよく分からないんだけど、やがてそれが「おかしいですよ!」と言われねばならなくなっていく、そういう物語だってことですよね。
 このVガンダムという話には、たしかに「潔癖では駄目だ」という描写が繰り返し出てきます。…難しいですね? 頭だけ、理屈だけで考えてする自己形成は、結局誰かに教えられたようなものにしかならないのか。そういうことの答は、ブレンパワードまで待たねばならないような気がします。

 一話ずつたどっていらっしゃるのに、先走ってみせてすみません。

 続きをとても楽しみにしています!
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コメント

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取り上げて頂いてありがとうございます。恐縮です。
実際にVガンを観ながら書いてるんですが、結構記憶違いしている箇所があったりで、当初の予定を慌てて変更したりしながら書いてます。あと、思ったより時間と体力を使いますね…毎日書いたとしても一ヶ月以上かかると考えると、すこし気が遠くなります(笑)
正直、綺麗にオチがつくかも不安ですし。

これをやろうと思った動機の一つですが、富野ガンダムが語られる際は、いつも「SF」「戦記物語」「ニュータイプ」もしくは「富野の気分」という、割と大枠で囲ってしまってから、大上段に語られがちなのでは、という思いがあります。(これは、いつも富野作品の後半で登場人物たちが抽象的な議論を始めるため、そこに引っ張られてしまうのでしょう)
勿論それも正しいのですが、色々と取りこぼしがあるようで気にもなっていました。

ですので今回は出来るだけ、個々の人物描写やエピソードの積み重ねによって、下の方からVガン(富野作品)の魅力を語っていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。失敗したら笑ってやってください。

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