星の鼓動は愛DVD SP対談 富野×Gackt 

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機動戦士ZガンダムIII -星の鼓動は愛- 機動戦士ZガンダムIII -星の鼓動は愛-
安彦良和、大河原邦男 他 (2006/08/25)
バンダイビジュアル

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 今回も店頭で、値引き一切なしで買ってしまいましたよ。白状すれば「大人買い」というような耳ざわりのいいものではなくて、予約する踏ん切りがつかないまま、ここまで来てしまったということなんですけど。TSUTAYAの店頭に『新訳Z』三部作をプッシュする小コーナーが出来ていて、素直に嬉しかった!背中を押された気がしましたよ。
 せっかく初回限定版を入手できたので、特典ディスクの内容に触れなくては。
 子犬さんも書いてたけど(→ひびのたわごと 「星の鼓動は愛」特典ディスク感想)、がっくんとの対談は、今作への主題歌参加について富野監督の謝意が強すぎるぐらいに強くて、不思議な印象を受けました。対談らしくなるのは最後のほうだけで、それまでは互いに好きな事を言い合ってるという感じ。並んで映ると見栄えが違いすぎる(笑)ので、そのハンディもありますよね。

 以下は対談の要約ではなくて、かなり意訳と私の解釈が入ってます。

 ガクトは同じものを作る立場から言って、Zガンダムという物語は「そんな苦しい事を何で背負おうとするのか」と思っていたといい、今回の新訳で「苦悩というものが出てしまった物語をやり直す事はきつい作業でしかない」ので、こんなことをやった監督が「よく無事でいてくれた」と。(同感!)
 富野監督も「確かに苦しかった」と。そして「何故この仕事を請けたのか」というときに、まず「白紙から作るということについての実力の問題を自覚もする」などとおっしゃる。「請けた(受けた?)」という言い方もさることながら、ガンダム・ブランドだからこそ、チャンスを与えられるという事実を直視。まったく厳しいねぇ。
 ガンダム以来、25年の流れの中で、「アニメというものがどういう風に楽しまれてきたか」を考えなければばならない。そして“陰”を“陽”に変える仕事を通して自分のスキルを上げたかった。40年をアニメで食べさせてもらった人間として、「こういう作り方もあるぞ」ということは、自分の年代にしか出来ないのだと。
 60歳を過ぎた巨匠が、まだスキルアップということを口にすることに感銘を覚えますが、そのためには「今の人にひとつ手を入れて触ってもらわないと、年寄り仕事に全部なってしまう」とも言っています。(近作で繰り返された“世代を重ねることの意味”というのは、Vガンダムでウッソが言った「僕らが出来なければ、次の世代が!」という信頼だと思いましたが、監督はそれを実践しているのではないかと思いました。)
 今の監督は、こういう次代への信頼というステージを自らのものとしたからこそ、ファーストガンダムの「誰も一人では生きられない」を受けて、「自己崩壊してしまう物語」を「自己崩壊しない物語」になし得ると思うことができたのでしょうね。
 そして次代を担う人たちに対して「こういう作り方もあるよ」と言いたいのは、どうも「フィクションならそのぐらい気楽にやれよ」ということのようです。(富野さんこそ気楽にやればいいと、皆、そう思ってそうな気がしますが。 笑)

 富野監督は「全部をロジックではなく作りおおせる事が出来た」のはガクトの楽曲の力があったから、「ガクトのあの楽曲があるから、あそこへたどり着ける」と何度も繰り返してます。ここまで言うんだから、新訳をやろうと決心したときに、本当にあのラストソングがきっかけになったんでしょうね。

僕の場合テレビ発の人間だから、週ペースの中で「邪魔者」がわさわさいて、視聴率競争「くそー」と思いながら、40年やってきたから、「くそっ」と思えないスタッフがここにいるっていうのは命綱だった

 「くそっ」と思えないスタッフってのはガクトのことなんだけど、ある意味彼は、若い参加スタッフたちの象徴みたいなものなんでしょうかね。(しかし「邪魔者」って…。 笑)
 メイキングのインタビューのほうでも今の若者たちに支持される仕事のどこが面白いのか分からないというようなことを正直に語ってましたが、けれど『新訳Z』制作現場の雰囲気は、自由に各自の才能を発揮させるようなものだったようですね。そういうチームとしてのスタジオワーク論を理解し語り合えるというところもまた、クリエイターとしてのガクトを高く評価してるところのように見受けました。
 「こういう目的性がある」というようなことの打ち合わせが凄く好きなチームだったりするんだけど、「民主主義でものは作れない、作れると思ってる人は事務屋さん」といった話では、二人で笑いあってるし。
 「人選の瞬間がものづくりの頂点」という断言は凄いと思いました。「自分が譜面を書けるわけじゃない」っていうのは、アニメで言うと、富野さんが絵を描けるわけじゃないってこととも思い合わせると興味深い言い方。「出来る人ほどオファーに対して選択肢はひとつしかない」「下手な奴ほど5曲ぐらい持って来る、きびしいよ!」だって。なるほどそんなもんでしょうかね。
 「仕事っていうのは時間とスケジュールとタイミング。この人っていう人がスケジュール的にあわないというのが物凄く大きい」というのは、富野監督の制作環境に与えられている現状認識でもあるのでしょうね。

 再びコラボレーションの機会があったらというお題に対して、「自分の首絞めるのが好きな奴って思われるだろうな」とか言いながら、今回みたいにテーマソングだけじゃなく、次回は音楽全部やらせてよ、声優もやってみたいとか言い出すガクトは、おいおい、この野郎(笑)って感じでしたけど、「あのガクトがそこまで言ったときに“まかせてたまるか”」って富野さんが言ってくれたので、少し安心しました。
 ただ、「物語を創出して演出までするという立場は、音楽も一要素として使い切ってみせる」という覚悟はさすがだと思いながら、「そういうグレードを提供できるか、来年再来年…」と急に自信のなさそうなこともおっしゃる。
 「自分には今、そういうフレキシブルなセンスがあるとは思えない」というのは、「ガクトの曲を受けるというときに、ナイーブなものでありたい」「観念をぶつけるようなものを作りたくない」ということで、冗談ではなくまじめに考えて、ガクトの音楽に合う作品ということを考えたら、そういう結論になったらしいです。
 「ここまで来たらできる事しか出来ないのだから、それを死ぬまでやっていきたい」「死ぬまで元気で、作らせてもらえるものがあるんだったら、それをやってみせる」というのは、今の富野監督の正直な境地なんだと思いました。ただ「過重が掛かってくるものはかなりつらい(笑) 重いなぁ…」というのは、新訳Zを終えての正直な思いがほろっと出たのかな、とも思われ、ガクトも「僕も同じだよ」と応じてましたね。

 若いガクトには、富野さんの話がどのぐらい通じているのか分かりませんけど、「尊敬するクリエイターとして」「世代は違うかもしれないけど友人として」、背中を押す事しか出来ないと思ったって言ってます。(監督の背中を押せるなんてうらやましい!)
 「富野さんはピカソ、ゴッホ」「何で子どもなんだろう」と思ったって言ってます。
 「愛情も人一倍、苦悩も人一倍、かといって、これだけ苦悩をしましたということを見る人たちに押し付けることをしちゃいけない」という言い方は、富野さんにとっての新訳Zを、ガクトという人がよく分かってるから口に出来るんだろうな、と思いました。




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