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Vガンダムの感想はまとまりません 

[2006/08/29] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(4) | TOP ▲

Vガンダムは他の富野アニメと違って価値観を断定しないんですよ。お前たちは○○だから○○なんだ!みたいな結論がほとんど出てきません(一つ明確な結論が出てきますが…)。
そういう意味では、富野アニメらしくないかもしれませんね。(ルロイさん

こんな言い草お怒りになるかもしれませんが、イデオンからVまでが好きな方々は「業と陰鬱な窒息感」の愛好家に見えるので、僕はそれが嫌です。還暦を過ぎたトミノさんが「ターンAからリーンの翼」で宗旨替えした理由をもっと見つめてほしいのです。時代の持つ性質そのものが変わったのですから。(ラジヨさん

多分Vガンを最終的に認めた方達は、ブレンに非常に抵抗を感じたんじゃないかと思う。なんだか根底に流れる気分がすごく違うんですね。とにかくどちらも最終回を観て、コロッと感想が変わりました。(わんこさん

 私、感想をまとめるのって苦手なので、Vガンダムは結局自分にとってどうだったのか、まだうまく言えません。ラスト2巻は凄かったと思うけど、4巻5巻あたりでは、ほんとに挫折寸前の苦しさでした。
 ルロイさんの言う「明確な結論」ってなんだろう?(たとえば「祈りでは、人の業を消すことは出来ない」というようなこと?)
 価値観を断定しないというか、いつもの富野アニメでは対立する価値観のせめぎあいが、主人公とライバルの口を借りて“富野節”として語られるのが、今回は終盤に至って(私が思うには)“シャクティ対カテジナ”だったかなぁと。富野アニメらしくないという「そういう意味」は、こんな意味かなと思ったんですけど、ぜんぜん違ってます?

 ラジヨさんの言われることも分かるんです。ただ、イデオンや逆襲のシャアでのさまざまな問題を、このVガンダムという作品は一気に清算しようとしたような気がします。もしブレンや∀以降に富野アニメが好きになった方だったら、だから無理に見る必要はないかもしれないとも思います。
 けれども、まだ少年のころにイデオンにひきつけられてしまい、∀でアニメの世界に引き戻されてしまった(笑)私には、ここの黒歴史はやっぱり避けては通れませんでした。たぶんブレンや∀を見ていなかったら、4巻まで見る前でもう視聴を断念していたような気がします。

 ブレンとVガンって断絶もあるけど、繋がっている部分も多くありますよね。あまり詳しくないんですけど、かなりスタッフも重なっているんじゃないだろうか。(“リターンマッチ”と言われるのが、なんとなく分かるような気がします。)わんこさんの印象に残るのは最終回ですか?ブレンのそれは、(よい意味で)「ここで終わるのかぁー!?」という新鮮な驚きがありました。Vガンは45話「幻覚に踊るウッソ 」、48話「消える命咲く命」あたりで最高潮に達しているような気が私はしました。ラストシーンはすばらしいものでしたが、そこに至るまでに「ここまで引っ張るのかぁー!?」という驚きだったかな?

 この作品は、何しろ人によって、見え方がぜんぜん違う作品だろうな、と思います(見たときの年代や見た順番etc.)。「失敗作だった」と富野さんがおっしゃるのも、決して消極的理由からだけではない“子ども向け”という目的に対しては、そうとしか言いようがなかったのではないかと思いますね。
 Vガンダムについては、あまり無理に感想をまとめることをせずに、折々に振り返ってみたいと思っているんですが、(悪い意味だけではなくて)尾を引く作品なのかもしれません。
 さて、これを見続けている途中では、「次はZZ」と決めていたんですけど、どうしようかなぁ。
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コメント

>

 Vガンダムが好きで、∀やブレンも好きな私は例外なのかしら(笑)。
 確かにVは陰鬱方向に、∀やブレンはそれを振り払う方向に向かった作品だけど、どちらも独特の、作品としての力を持ってることは違いないから、私はどっちも評価しているなぁ。

 ブレンがVガンダムのリターンマッチだというのは、一番端的なのは「カテジナとクインシィ・イッサーの声が同じ」事だと思いますよ。クインシィこと伊佐未 依衣子にカテジナを代入してみると、そのままブレンが『Vガンダム』を癒す物語だったんだなぁ、っていうのが実感できました、私は(笑)。

>

明確な結論は「子は親を越えていくものなんです~」のくだりですね。
おっしゃる通り、ブレンに繋がるキーワードですし、
それまでのウッソがそんなこと学ぶ機会もなかったくせに突然言い出したんで、
まぁこれが監督の今回の結論かなと。一方で「祈りでは人の業を~」というマイナスの感情もあるわけですが。

> ブレンとVガン

根底の気分の差って大きいです。Vガンはとことんまで悪い方向にいってしまうのに対し、ブレンは途中で回避されます。
Vガンで行き着くところまで行ったから、ブレンやターンエーのように優しさを持った作品作りが可能になったんだと思う。

> むしろ

ブレンパワードみたいな作品を評価してる人って、Vガンファン以外いないと思ってました。
例えば、∀から入っている人から見るとブレンは理解しやすく、それに対しVが違和感を持って捉えられやすいのでしょうか?

カテジナへの落とし前については
勇がヒメに続いて再度、オルファンとの接触を試みることで、オルファンとイイコを解放する(その瞳を孤独にさせはしない)わけですな。

ちなみに
カテジナというキャラは、
同性の親は浮気に走り、異性の親はそれを咎めることもせず自分の仕事に没頭しています。ウッソというキャラは、(その能力に)過剰な親の期待を背負わされています。両者とも形は違えど親の生き方の被害者とも言えます(前者は、ダンバインのショウ、Zのカミーユ、そしてクインシィの家庭に共通し、後者は勇に共通するものです)。

特に重要なのは前者の「両親が親をきちんとやってくれなかった子供たち」です。
この中で、ショウは自分から両親をすてる「儀式」を行っていますが、
目の前で殺され/死んだカミーユと、きちんとした別離を行っていないカテジナは、本来持っていた性向から最終的に彼(彼女)の怒りをぶつける対象が世界そのものになり、その世界に立ち向かうだけの力を得ようとして、しかし現実には持ちうるはずもなく暴走し、崩壊しています。

彼らには精神的な意味での親殺しを
させる「儀式」が必要だったのかもしれません。

そうなるとVガンダムへの落とし前という意味では
Vガンが父殺しを失敗したことに対し(ウッソとハンゲルグの関係は、将来的にはウッソに父殺しをさせることを匂わせるに十分でした)、
エヴァがその関係性に挑戦しようと仕掛けて、
結果、親と自分とは他者であることまでは認識したものの、その次の関係性を持つことまでは言及しなかったのに対し、
ブレンは、「艦長さんが楽になるならいいよ」、と「子が親(親である人たち)を許す」という関係性を持った結果になっております。

ブレンが「親を許す」という解答を出したので、∀では親子関係が断絶したキャラというフィーチャーは特になし。逆にテテスとその母のつながりとかが、さりげなく挿入されていたりする。

そこまで来ると劇場版Zは同じく両親との別離を繰り返しているのだけど
どうなの、ということになりますが。
長くなりそうなのでZの記事が出たときにでも。

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