ビューティフルドリーマーの話 その2
2006-08-11
先日のビューティフルドリーマーの話の続きです。例のDVDのオーディオコメンタリーは結局さっと聞いただけで、メモとかなにもする余裕がなかったので、残念でありました。誰かその話の感想を書いてる人とか…ネットで探してみようかな?(笑)
以下は、作品を見て思ったことを、思い出しながら書いてみます。
若干ネタバレ気味がありますので、未見の方はいちおうご注意ください…。
物語を現実へ回帰させる役割を果たすのは、意外なことに一生懸命、謎の核心に迫っていたサクラ先生でも、生真面目な面堂でもなく、なんとスチャラカな諸星あたるなのですよね。しかも、彼が(文字通り)夢にまで見たハーレムを目の前に現出されながら。
その理由が「ラムがおらん。」
…これ、分かるような、分からんような。(笑)
「俺はラムにもきっちり惚れとる。ラムがいない夢など、肉の無い牛丼だ!」
この説明の付かなさが、だけどいいんだよね。たぶん。何でも説明が付かなきゃ気がすまない人が多いけど、私にはそういうのは逆に理解できない気がします。
そして、そうして後先考えずに夢の世界を壊すに至ったあたるが、ついに夢からのラストジャンプの際に、ラムの小さな分身から言われる言葉が「責任とってね♪」でした。この作品ってやっぱり、巷で言われるような「現実回帰」のススメなのかなぁ。
繰り返す学園祭前日も、終わらない夏休みも、本当に夢の中ならではの享楽で、これを自らの意思と決断で手放すなんてのは、よくよくのこと。
最後の最後に夢邪鬼が「もうこの人らとはつきあってられませんわ」とか言いますけど。これは『星の鼓動は愛』でのブライト艦長(※)のラストワード、「子どもの戯れを誰が聞けるか!」と同類項ですね。ただなぁ…ここまでの娯楽作を作っておいて、それを言っても難しいよなぁ。
この言葉にそれなりの重みがあるのは、これだけの傑作を作ってしまったことで、後続のドタバタが皆少しずつ色あせてしまって、今から見返すと、これがアニメ版「うる星やつら」の事実上の完結編に見えてしまうからでしょうね。(…原作者も怒るわけだ。)なおかつ、押井さんはこれを最後に「うる星やつら」の制作からは退いたんだとか。
ただ、この映画を単独の作品として見れば、やっぱりどうなんだろう?
「現実に帰れ」と言うのであれば、例えば夢の崩壊は、もっともっと痛々しいものに描かれねばならなかったんじゃないだろうか。・・・ラムの夢の継続には都合の悪くなった、しのぶや竜之介が舞台から消えざるを得なかったり、夢をつむぎ続けることの矛盾やほころびは、もう見え始めていたのだし。悪夢への反転と言うのには、この作品はやっぱり「娯楽作」でしたよね。
ラムにもきっちりと惚れているくせに逃げ回り、逃げ回るくせにラムのいない夢の世界はイヤだという諸星あたる。ラムの思い通りには、絶対にならないあたるだからこそいいんだよね。
この話は大半がラムの夢の中の世界なので、ラム自身の出番が驚くほど少ないです。現実に帰ったあたるが、夢から覚めたラムに「ラム、それは夢だ」と言いますよね。そして珍しくラムとラブラブムードになるけど、…邪魔が入っていつものドタバタに…。
あのラブラブムードのところでも、「きっちりと惚れている」ことを出しちゃってて、それが余計に完結編のイメージを強めちゃってるんだろうけど。
この作品が、アニメオタクの夢の世界を描き出したと言うのは事実だと思います。(それもかなり魅力的に!)
結局、「ビューティフルドリーマー」=夢見る人は、ラムだったということで、あたるにとっては、宇宙から突然やって来た鬼娘が、(あたる自身がどれだけ浮気ものであっても)自分にベタ惚れをして同居しているという、「夢」のような構図は微塵も揺らいでいないし。
この作品は、ものすごく良くできた大傑作だと思います。
ただ、「夢から覚めなきゃ」というメッセージをここから読もうとするのは、ちょっとメタな要素で作品を見ているんじゃないのかな、と。そんな気がしました。
※本文とは全然関係ないですけど、ブライト艦長のお声を出しておられた鈴置洋孝さんが56歳で癌のためにお亡くなりになったそうです。お声を聞いた最後が「子どもの戯れを誰が聞けるか!」になってしまいました。兄貴に死なれたような寂しさを感じます。ご冥福をお祈りいたします…。











