ビューティフルドリーマーとは懐かしい・・・ 

[2006/07/27] | アニメ全般な話題 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

 たまには珍しく、時事ネタにも触れてみたいと思います。

 はじめに断っておかないといけないのは、最近大人気のアニメらしい『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品は、わが住まいなす辺境の地では放映しておりませんで、(それでもこれだけネット界隈で騒がれているから気にはなるし、その気になれば見る方法もいくらもあるんでしょうが、)これまで積極的に「見たい」と私は思ったことがなかったということです。なので、ハルヒという作品は未見なんですが、それを踏まえた上で、ネット上でやり取りされているいろんな意見に対し、ちょっと思ったことを書き留めておきます。

 見たことがない作品について、いろんな人がアツク語り合っているのをウォッチングするのもけっこう面白いものです。『エヴァンゲリオン』以後、アニメオタクの周辺では誰もが話題を共有して語り合える基準作というものがなくて、それが激しく希求されている中で、「このハルヒこそがそれになり得る」「いやなり得ない」、そういう激論は、今日のアニメに人々が求めているものは何かというようなテーマを観察できるいい機会でした。(なまじ見てしまっていると自分の好き嫌いや思い入れが入るんですけど、幸か不幸か見てないおかげで、比較的それが少なかったりもします。)

Anisopter 惑星の人たちが語らなかったこと

 これは第二次惑星開発委員会 涼宮ハルヒの憂鬱 - 善良な市民×成馬01×キクチへの反論(?)として書かれているんですけど、いつものシニカルなオタク批判のパフォーマンスだよと言いながら、ネタとしてスルーせずにベタな言及をしてるのが興味深かったです。(私の書くものなどはスマートさのかけらもなく常にベタベタですから、「あ、世の中そういうものなのか」と感心さえしました。)

 このハルヒをめぐる話で私が面白いなあと思っているのが、「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー(BD)」「エヴァンゲリオン」「ハルヒ」という三点セットで語られることが多いところで、私なんかはBDも直撃世代なんで、「へぇ~」と感じることが多々あります。
 エヴァを見て、ふに落ちなかったことが、いろんな語り部の口によってBDから語り起こして今日の状況までつなげてくれると、「あー、エヴァってそういう位置づけなんだ」とようやく分かってきたりとか。

 で、オタクは現実社会からアニメに逃走してると。大塚英志いわく、「エヴァはビルドゥングスロマンの不可能性を描ききった」のに、「エヴァンゲリオン」の結論からおたくたちは尚も逃走しているのだと。

僕がここで注目したいのは、彼らが大塚英志の身振りをどれほど反復しているように見えても、彼らがもはや「健全なビルドゥングスロマン」みたいなものをもはやポジティブには語ら(れ)ないということだ。その空虚さを埋めるかのように、彼らは今なおハルヒの物語に耽溺しているオタクたちを批判する。

 なるほどねぇ。「こんな日常はつまらない。自分は非日常的なロマンでないと充足できない」のだと無理矢理自分に言い聞かせているハルヒ(=オタク)というのは、実際には、「妥当な自己像に修正して素直になりさえすれば、非日常的なロマンなんてまったく必要としないタイプの人間なのだ。そしてそれは、決して不幸なことではない。」という善良な市民さんのまとめは、健全なビルドゥングスロマンをポジティブに語ってはいないと?
 ビルドゥングス=自己形成だから、多少シニカルな言い方ではあっても善良な市民さんは、まさしくそれについて語ってはいると私は思います。ただ私にとって引っかかる点があるとすれば、「妥当な自己像」「素直になりさえすれば」というのが、『星の鼓動は愛』のクロスレビューの時にはこの方が痛烈に批判していた、「安易な自己肯定と思考停止」とどう違うのかを、もう少し語って欲しかったというところです。

 それはさておき、この批判でとりわけ興味深かった視点は、次のところです。

僕たちがBD、エヴァ、ハルヒの物語に「あたる→シンジ→キョン」の「逃走→他者との出会い→歩み寄り」といった単純な主体の変容というまた別の「物語」を読み込んでしまうとき、押井守がなぜ「現実」への回帰を志向しつつ、即座にその試みを打ち消してしまうような反復を描かなくてはならなかったのかという問いかけが忘れさられてしまう。

 「押井守がなぜ」という問いかけへの解説も書かれてはいるのですが、オタク批判というアイロニーも分かる俺たち(=オタク共同体)という指摘だけでは結局、最初のBDで示された迷宮構造から抜け出る手がかりにはなっていないような。(結局われわれは巡り巡って、また「終わらない学園祭前夜」のふりだしにいるという再確認ですね。)
 考えなしに消費行動の享楽にふける「動物」であるか、それを批判する「シニシスト」であるかが「単にポジションの差にすぎない」という指摘も、BDのテーマの再確認としてですが、今日的な言い回しとして面白いもので、「僕たちはそろそろこのディスコミュニケーションを乗り越える言葉について考えはじめなくてはならない」というメッセージは共感できるものです。

 「メタ萌えもの」という長すぎた夏休みは「今、内部から自壊しはじめている」という善良な市民さんの結論をはじめに読んだときには、そうかなぁ、どうだろうかと思いながら読んだのですが、こういうメッセージが出てくるのだから、そうした兆しは確かにあるのだなぁと、ある意味感心しました。

 ところでこういう中にあって、私の立ち位置はどこなんだろうかと改めて考えてみると、なるべき時期に「おたく」になり損ねた私というのは、皆が現実から上手に逃走していたときに、逃げ遅れて現実につかまってしまった存在ってだけなのかもしれないなぁと。
 BDを、当時の私は大いに楽しんでみましたけど、私の学園祭は前夜を繰り返すことなく普通に始まってしまい、そしてたぶん、もう終わってしまいましたよ(笑)。
 だけど自分が思うようなビルドゥングは成し遂げられていないから、現実に追い回されながらも、相変わらずロマン(?)を求めてアニメ界隈をうろうろしているような気がします。なので、私にとっては「安易な自己肯定と思考停止」と批判されているもののほうが、気になってならないのかもしれないですね。

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 久しぶりに見てみたいなぁ!

追記:
 というわけで、見てみた続きはこちらです。よろしければどうぞ(→tag:ビューティフルドリーマー
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コメント

> ビューティフルドリーマー

この作品って緻密で面白かった。1作目の映画も面白かったように思う。
押井作品って面白いけれど、なんか物語がストレートに流れていかないので、時々難しいと感じるときがある。

そういえば星の鼓動~を観た後に、旧約Zのラストを観るとなんだか不思議な感じがした。おそらく富野監督は旧約Zの先にエヴァがあると感じ、ラストをあのように追加せざるを得なかったんだろう。

> 面白い記事でした。

 オタクについて踏み込んだ考察ですね。
 
 うる星2は、ちょうど漫画同人誌に参加していた頃でした。深夜、仲間と下宿に集って制作して、眠気覚ましにビデオを見たものです。

> 浦島太郎

私個人としては、SEXを含むにしても、その場
しのぎの恋ではなく、納得のいく恋をしたとき
に、現実の世界にもどれた気がします。
押井や谷川も同じように脱出したのかもしれま
せん。
ただ、それだけだと、「現実の世界」も含めた
数ある夢の世界の中で、「現実の世界」を選んだに
すぎないということになるのかもしれません。

私が現実の世界にもどって、夢の世界と現実の
世界の差を一番感じるのは、現実の世界は、
時間がたつことです。
浦島太郎が、夢から覚めるための、一番の宝
は玉手箱をあけて、自分が白髪のおじいさん
(おじさんですらない)であることに気がつ
くことではないでしょうか。
親が将来死に、まわりに、生活上頼れる人間
の知り合いもいない、そして、自分は、働く
こともできない老人になるということに気が
つくというのが、すばらしい宝の玉手箱なの
かもしれません。

ただ、これは、アニメにするには、厳しい題材
かもしれませんね。

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