オタクはもう、死んでいる(いた?) 

[2006/07/20] | 「おたく」な話 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 先日の「オタクだか新人類だか(どこから来てどこへ行くのか)」の続きを書いておきます。あのあとで若干の補遺も書きましたが、読みかけていた宮台さんの「宮台真司、新世紀の文化を憂える」は、まだ途中でしたから、一応最後まで見ておかないと、どうも収まりが悪い気がしますので。

 前回は1980年代初め頃にオタク系と新人類系が明確に分化したというあたりまで読んだのでした。その後、'80年代を通じてオタクは数も増え、また目立つようになってきた。(「おたく」という命名がされたのは1983年ですね。
 で、「M君事件」(1988-89年)を境目として「オタク差別」が起こる、と。(宮台先生は、一気にそこまで論を飛ばしますけど、いわゆるアニメブーム(第一次)は'80年代前半までと言われていて、後半以降はバブルですよね。その辺はあまり関係ないんだろうか?)

 オタク差別をひとつの潮目にして、にわかに「オタクの<底上げ化>」が進み、「出来るだけそれなりに服にも気を使うとか、清潔にとかっていうことは急速に進んで、それから随分時間はかかったけど人の目を見て話せるようになるとか、そういう部分もだいぶ改善された」と宮台先生、言っておられます。(え~? 私はぜんぜん知らなかった! 笑)
 そしてそれは差別への対応だけじゃなくて、「新人類であることとオタクであることの間に違いが意識されなく」なった結果だと。(今に続く「総オタク化」のはじまりってことだろうか?)
 この辺、なかなか難しいんですけど、1990年前後ぐらいを<まったり革命>と称しておられて、オタクもそのオタク度の“濃さ”を競い合う階級闘争(?)をやめ、おしゃれな新人類側のサイドでも「痛々しいナンパを繰り返してるやつらもいなく」なって、どちらも健康的になった、というのは何となく分かります。
 で、宮台先生的には、「抑うつ」でなくなったオタクはもう、オタクではないので、この時点でもう「オタクの消滅」は起こっちゃったという考え方ですね。(この辺をオタクの世代的推移、いわゆる第一世代、第二世代、第三世代というあたりと重ねて考えていくとどうなってくるんでしょうか。)
 ともかく、オタキングの慟哭を聞くまでもなく、第一世代的なオタクの在りかたは、とっくに絶滅に瀕していると。

でも、文化マニア、サブカルマニアとしてはいい表現が出てきてほしいから、そうすると社会がもっと悪くなってほしいなと思うわけ。社会がもっと悪くなって抑うつ感が広がれば、その中からいい表現するやつが出てくるから。


 あー、なんか分かりますね。とにかく“現状肯定”的に見えるものはすべて悪だ、という人のほうがなんだかカッコよく見えるというのは、つまりそういうようなことなんじゃないのかな。(そういう考え方をしてる人たちの源流っていうのは、第一世代オタクなんだろうか、新人類サイドなんだろうか。)

 今回読んだ中で、私にとって一番耳が痛く聞こえたのは、実は次の部分でした。

オタクの消滅によって本来コミュニケーション的にキビシイ方々がどこに代替的なチャンスを見出し得るかが失われた



 宮台先生の文章は、まだちょっと先が長いんで、今夜はここまでにしておきますが、私のオタク観の基礎っていうのは、やっぱり第一世代のそれみたいです。あのクリエイティビティっていうのはやっぱりすごかったと思う。だからコミュニケーション能力の低い私なんかは、オタクになりたくってもなれなかった。
 だいたい、私が本来思うようなオタク像というのは失われつつあったということさえも気付かずに、今まで私はあこがれ続けてきて!
 「本来コミュニケーション的にキビシイ方々」ってのは、たとえば私のことなんだろうな、と思いながら、・・・・・・続きはまた今度書きます。
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コメント

> マニアは死せず。

「マニアは死せず。ただ老いて消えさるのみ」といったところでしょうか。

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