富野監督の「芸能」の何が気になるのか
御大 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲
監督のよく使う「芸能」という言葉について、しつこく書いていますが、なかなか難しいですね。あっちこっちネットで読み漁ったり、本をパラパラしてみたり、多少滑稽な所では、自分が今まで書いてきたことを読み返してみたりしていますが、「なるほどそうか!」という答えが分かりません。
それで、少し視点を変えて、どうして私が御大の用いる「芸能」という言葉が気になって仕方がないのかということを、少し考えてみたいと思います。
半年ぐらい前にこんな記事を書きました。こういうわりと根本的な疑問というのは今も変わらずあるんですが、たどっていくと、たぶん四半世紀(笑)ぐらい前、(私はそういう世代ですので)第一次アニメブームの直撃を受けていた頃以来、そういうことを不思議なこととして考え続けてきているような気がします。
で、そういう青春真っ盛りからアニメだって「ゲージュツ」(今だったら「アート」と言うんでしょうが)なんじゃないかとか、あまりよくもない頭でろくに勉強もせずに、自分に問い続けてきたわけですが・・・。
ゲージュツというと、やっぱり「絵」かと思ってきました。動画ってぐらいで、絵が動くからアニメーション・・・・・・というイメージだと、やっぱり商業ベースのアニメーションよりいわゆる「アートアニメーション」のほうが、それっぽいのですね。確かにそれも嫌いではありません。
でも、いわゆるテレビアニメ的なものがそれに劣るとも感じられなくて、そういう人は少なくないと思うんですが、そうするとこだわりを持つ人は「作画」というところへ普通は目をやるみたいなんですね。
それは作画はいいに越したことはないんですけど、でも自分が「これは面白い」と思う作品は、必ずしも作画がいいものばかりではない。これはどういうことなのかな、とまた自問自答が始まります。
そうしたところで、富野監督の「芸能」という言い回しを耳にしたときに、やけに気になったんです。私が求めていること(それはたぶん「アニメだからこそできること」のようなもの)の答えの一端はその中にあるんじゃないかと。
アート系ではなくて、むしろエンターテイメントであろうとすることとか。
あるいは「作画」よりも重視されるのが、おそらく「作劇」ということであることとか。どうも「動き重視の絵コンテ主義」って言うのよりもさらに、「作劇主義」みたいなところのほうが、(あくまで自分の趣味嗜好の話ですが)すごくしっくりと来たんです。
そして「劇」というのは単なる物語の絵解きだけではない、読み聞かせだけではない、と考えたときに、「そうか、『芸能』か!」ということなんですね。
昨日書いた「芸能」についての話の中で、富野さんは最後にあっさりと主義よりも芸能って言い切ってました。これ、私としては「すごい!」と思ったんです。
富野監督といえば、作家性のあるアニメ監督、物語の中にメッセージ性や主義・主張のある人といった取り上げられ方をしてきたのではなかったかと思うのですね。なのに、下手にこの部分だけ切り出して聞いていると「芸能=客への媚」優先みたいな誤解を招きかねないことを思い切り言ってしまう。
富野さんの言う「エンターテイメント」ということをどう考えるのかというのもなかなか微妙なところです。男女の情は絶対にはずせないところであり、個別の要素ではなく全体的な情の流れでモノ語りにノッてもらうことが肝要であるらしいですが。
前にも言いましたが、芸能という言葉が喚起するイメージが、「ビジュアルアート」であるよりも「パフォーミングアート」であるということが、ともかく私にとってはとても新鮮で興味深い所のような気がします。
アニメが単なる「テレビ漫画」ではない存在意義を明らかにする可能性を、こういう方面に求めているということがとても貴重なのではないかと思っているのですが、どうなんでしょうかね。

それで、少し視点を変えて、どうして私が御大の用いる「芸能」という言葉が気になって仕方がないのかということを、少し考えてみたいと思います。
なんでアニメが好きなんでしょう?(いきなりですが・・・。)
アニメだからこそできること、アニメじゃなきゃできないことというのが何かあるはずだと、ずっと考えてきました。今も考え続けています。
半年ぐらい前にこんな記事を書きました。こういうわりと根本的な疑問というのは今も変わらずあるんですが、たどっていくと、たぶん四半世紀(笑)ぐらい前、(私はそういう世代ですので)第一次アニメブームの直撃を受けていた頃以来、そういうことを不思議なこととして考え続けてきているような気がします。
で、そういう青春真っ盛りからアニメだって「ゲージュツ」(今だったら「アート」と言うんでしょうが)なんじゃないかとか、あまりよくもない頭でろくに勉強もせずに、自分に問い続けてきたわけですが・・・。
ゲージュツというと、やっぱり「絵」かと思ってきました。動画ってぐらいで、絵が動くからアニメーション・・・・・・というイメージだと、やっぱり商業ベースのアニメーションよりいわゆる「アートアニメーション」のほうが、それっぽいのですね。確かにそれも嫌いではありません。
でも、いわゆるテレビアニメ的なものがそれに劣るとも感じられなくて、そういう人は少なくないと思うんですが、そうするとこだわりを持つ人は「作画」というところへ普通は目をやるみたいなんですね。
それは作画はいいに越したことはないんですけど、でも自分が「これは面白い」と思う作品は、必ずしも作画がいいものばかりではない。これはどういうことなのかな、とまた自問自答が始まります。
そうしたところで、富野監督の「芸能」という言い回しを耳にしたときに、やけに気になったんです。私が求めていること(それはたぶん「アニメだからこそできること」のようなもの)の答えの一端はその中にあるんじゃないかと。
アート系ではなくて、むしろエンターテイメントであろうとすることとか。
あるいは「作画」よりも重視されるのが、おそらく「作劇」ということであることとか。どうも「動き重視の絵コンテ主義」って言うのよりもさらに、「作劇主義」みたいなところのほうが、(あくまで自分の趣味嗜好の話ですが)すごくしっくりと来たんです。
そして「劇」というのは単なる物語の絵解きだけではない、読み聞かせだけではない、と考えたときに、「そうか、『芸能』か!」ということなんですね。
昨日書いた「芸能」についての話の中で、富野さんは最後にあっさりと主義よりも芸能って言い切ってました。これ、私としては「すごい!」と思ったんです。
富野監督といえば、作家性のあるアニメ監督、物語の中にメッセージ性や主義・主張のある人といった取り上げられ方をしてきたのではなかったかと思うのですね。なのに、下手にこの部分だけ切り出して聞いていると「芸能=客への媚」優先みたいな誤解を招きかねないことを思い切り言ってしまう。
富野さんの言う「エンターテイメント」ということをどう考えるのかというのもなかなか微妙なところです。男女の情は絶対にはずせないところであり、個別の要素ではなく全体的な情の流れでモノ語りにノッてもらうことが肝要であるらしいですが。
前にも言いましたが、芸能という言葉が喚起するイメージが、「ビジュアルアート」であるよりも「パフォーミングアート」であるということが、ともかく私にとってはとても新鮮で興味深い所のような気がします。
アニメが単なる「テレビ漫画」ではない存在意義を明らかにする可能性を、こういう方面に求めているということがとても貴重なのではないかと思っているのですが、どうなんでしょうかね。

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