様式化、形骸化への抵抗としての「芸能」 

[2006/07/04] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(4) | TOP ▲

 takkunさん(略していいのかな?)が日常/非日常のギャップからくる面白さの話という記事を書いておられて、マンネリ化を避けるための非常識表現のインフレの中で、ギャグマンガが煮詰まっていく話から、ガンダムにおける日常/非日常の話へと面白く話を展開させておられました。

 シリーズものの宿命というだけでなく、例えばガンダムというひとつの物語の中でも、次々と強力な新モビルスーツが開発されなきゃならない「ジオン脅威のメカニズム」(笑)とか、安易ではあってもエンターテイメントにインフレはけっこう付きものですね。だからこそ、そのパターンの繰り返しだけに頼らないストーリーラインの工夫が作り手の腕の見せ所ですよね。
 日常/非日常で言うと、ガンダムの場合ではカツ・レツ・キッカの存在なんかが、エスカレートしていく戦争ものの中でも「日常」との繋ぎの役割を果たしてたような気がします。同時に、Ζガンダムでの子どもたちは、どうもその辺ではうまく機能していなかったような印象もあります。(新訳では子どもたちよりも、むしろオジサンたちが「日常」感との行き来を見せていたのが興味深い。)

 で、Vガンダムの話が出てきてますが、まだ見始めたばかりですけど、赤ん坊を背負ったシャクティがかもし出す「日常」は、えらい重たいものなんじゃないでしょうか。しかも戦争という「非日常」への反駁はかつてなく強い。
 「日常/非日常」のギャップが物語の面白さに寄与しているとは、少なくとも今、Vガンダムを見はじめてきた範囲では思えなくて、むしろ何か違うことを訴えかけてきているように思えます。
 逆にこのギャップが物語のメリハリに機能している例というと、キングゲイナーでは、少なくともラスト数話まででは、日常から非日常へのスイッチングがとてもうまく行っていた気がして、そう考えていくとこの要素はエンターテイメントとして成功する場合には、重要なもののひとつなんでしょうね。

 モビルスーツの話に戻ると、富野さんはほんとは出てくる敵メカはザクだけでいいんだというぐらいの考えだったという話ですから、スポンサーサイドからの大人の事情で敵MSの能力はインフレ化してったんで、それを作り手として、エンターテイメントのアテにはしていなかったと思いたいです。
 まあ当時、続編を作るつもりはなかったでしょうし。ニュータイプ論というのはエンターテイメント的要請とは、少し別の場所から出てきたものだったと私は思います。
 それでも好むと好まざるとに関わらず、プロとして続編ものを作らざるを得ないとした場合に、旧作から引き続き見ているファンと、新規視聴者の双方を楽しませるというのは誰がやっても難しい問題ですよね。ファンは面白かった作品を見るとすぐに安易に「続編が見たい」というけど、宇宙戦艦ヤマト世代の私なんかは、本気で続編ものはこりごり。(笑)

 ガンダムがシリーズ化してしまった中で、新規参入のハードルが上がってしまったのに、MSという存在一つとっても説明が不足だよなぁというのは、私も以前にF91について書いた中で思いました。そういう意味では、∀ガンダムみたいなやり方というのはうまかったんじゃないかな。その時にも書いたけど、富野さんという人は既成の価値観に挑戦していくべき人なんで、それによってこそ表現も自然に非マニアの人々にも向くんじゃないかと。
 「富野アニメ=難解」という定評は、ガンダムの呪縛に引っぱられている気がすごくするんですよねー、近頃。
 「表現のインフレ」という記事を書いたこともあるんですが、御大が「芸能」という変なボキャブラリーを使うのは、様式の形骸化(形式化、権威化)に対する警戒の意味があるんじゃないかと私は思ってます。このブログでは何回も触れていますが、『「芸能と差別」の深層』という本をぜひ読んでみてください。

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 ガンダムこそは「様式」であり、「権威」でもある。富野さんがいじるのであれば、この厄介な様式と権威に果敢に挑戦するんじゃなければ!
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コメント

> いや…

「芸能」自身が
様式美などを含んでいるものなので
今回の記事のテーマは語感からして
しっくりと頭に入ってこないのですが…

> >のりのりさん

私の考えでは、それは形式化されて権威化した伝統芸能です。
「芸能」について過去に何回か書いているのですが、河原乞食とも言われた芸能者は賎民視されてきた存在で、だからこそその表現には真実の力がある。
(全部、紹介した本の受け売りですけどね。)

> 「頭に入ってこない」

「様式美」云々は一つの例で
「芸能」を議論したいのではなくて
記事のタイトル、記事の内容がどうも
頭に入ってこない感じなんです。

どうやら
筆者の頭の中にはあるけど、
表には出ていない隠れた言葉を足さないといけないんだろう
もっと別な言葉におきかえれば、理解できるのかもしれない、というのはあるのですが。

例えば、タイトルの話に限って言えば

>形式化されて権威化した伝統芸能
といってしまった時点で「すべての芸能が形式化への抵抗ではない」わけで「芸能とは(なんぞや)」というタイトルとずれを生じます。

あえて変更するなら
・様式化、形骸化への抵抗としての「芸能」
とかいうタイトルなら
「芸能」の持つ力の一面を示すことになります。あるいは富野氏が用いる「芸能」という言葉の真意を分析する文章のタイトルにも使えるかもしれません。

*「抵抗としての芸能」という表現については妙ではありますが。単に語感がよいと思ったのであえて。


あと、「エンターテインメント」という言葉を併用している場合、「芸能」との使い分けはどうやっているのか、という点も気にかかりますし。

記事内で言われていることの一つ一つは、常々、私も感じているものもありますし、反論したい部分も含め、理解出来るのですが
文章全体として見たときに、
じゃあ、何についてお話しましょうか?の「?」が残る、
そんな文章でした。

> ご指摘ありがとうございます。

タイトルについて、全面的にご指摘どおりだと思いましたので、素直に直してみました。たしかに言いたかったのは「富野監督が言う『芸能』は・・・」という話だったと思います。
今回は、リンク先の「日常/非日常」の話に反応して書きたかったはずなのですが、そこの末尾に『芸能』という語があったので、それに過敏に反応してしまいました。

指摘されてはじめて気が付きましたが、『芸能』の話については不人気エントリーながら自分で何度も書いてきたので、いつの間にか一見さんどころか常連さんさえをも寄せ付けない独り相撲の暴走振りだったですね。なるほどこれは、表現のインフレと慣れの悪循環の好例(反面教師)になってしまったかもしれない。「過去ログ読んで」になっちゃったらまずいですよね・・・。
過去記事が不人気なのも、書き方が消化不良だったんだろうと思われますし。

・・・書き続けていると、こういうことがあるのですね。一度じっくり考え直して見たいと思います。ご指摘ありがとうございます!

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