富野アニメの余韻 

[2006/05/11] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

 Ζガンダムというのは、「正当」なビルドゥングスロマンのアンチだったんじゃないのかという話を整理してみたいのですが、もう少し時間がかかりそうです。それとは別に、富野さんの仕事というのは「反形式主義」というような言い方が出来るような気もしてきているんですが、こちらもまだアイデア段階の話。
 ミケランジェロと中島みゆきですか。(笑)
 「リアリズムと、ものすごいロマンティシズムが攻めぎあいながら競合」というのは言い得て妙ですね!形式化をすることが高尚なアートだと思いがちなんですが、その形式を自ら打ち破っていくエネルギーというのは、そういうものなんだろうなあ。
 「意図的にビジュアルを完璧に整えるのを避けている」というのは普通には分かりにくい話でしょうが。(ビジュアルだけではないですよね。)そのわりに絵コンテの映像原則は守る、という話もあって、そこはなんとも不思議なんですけどね。
 富野作品には打ち切りが似合う、と言ったら語弊ありまくりですが、荒いぐらいの未完成感は、私には「余韻」と感じられます。
 「宇宙世紀ガンダムもなんだか物語が完結しないっていう雰囲気が残されている気がする」というのは、『F91』みたいな続編の存在を示唆するものという意味ではなくて、『逆襲のシャア』のような余韻の残し方のことですよね。たぶん制作時には「これぞ完結篇」として作られた逆シャアでさえ、ああいう終わり方をするというのは、なんとも象徴的だと思います。
 非宇宙世紀ですけど、『∀ガンダム』のラストも余韻を残すものでした。この作品は形式的には一番整っているもののような気がしますけどね。(思いつきで「反形式主義」という言葉を考える場合に、対比すべき「形式主義」を想定しなければならないのですが、とにかく型を整える、ということになるのでしょうか。裏の裏、またその裏。難しい話だ。)
 しかし「Vガンを見るときはターンエーが保険になるかも」ですか。(笑)
 早くそこへたどり着きたい・・・。

ブログランキング


関連記事

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://zmock022.blog19.fc2.com/tb.php/335-fe4292a5