エヴァンゲリオンとザンボット3 

[2006/05/03] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

人類補完計画など作品中では明瞭にその全貌や実体が明らかにされない数々の伏線を散りばめたストーリーはSFファンを中心に人気を集め、最終話に向けて視聴者の期待は盛り上がったが、第弐拾五話と最終話の2話はそれまでのストーリーとは断絶した主人公の内面世界の物語として描かれた。このエピローグについてはファンの間で賛否両論の物議を醸し、アニメファン以外にまで認知され、人気は拡大していったといえる。しかし、オタク向けアニメの印象もついている節も見られる。
新世紀エヴァンゲリオン - Wikipedia


 アニメの話は久しぶり?(笑)
 のんびり私は見てるので、やっと12話(「第拾弐話」とか書かないと怒られる? 笑)「奇跡の価値」を見終えたトコなんですけど、ここまでの前半を見た限りでは・・・「オタク向けアニメ」は印象じゃなくて、それそのものですよね。もちろん後半に向けていろいろあるんでしょうけど。
 ただですね、ラスト見てナンボ、劇場版見てナンボというのは、イデオンと一緒だなぁという話は前にも書いたと思うんですけど、未見の人にイデオンのテレビ版を「是非ご覧くださいませ」とはなかなか言いにくいものがあります。イデオンは(ファーストガンダムだって本当言えばそうなんだけど、)テレビ版について「荒い」ということを言い始めたら、ブレンなんてものじゃなく荒いですよね。もちろん時代が違うのですが。
 エヴァの同時代のテレビアニメなどというのを、実はほとんど知らないので分からないんですけど、たしかにエヴァは「細かい」と思う。ここで細かいという言い方は緻密なクオリティという誉め言葉のつもりなんですけどね。
 だからファーストガンダムやイデオンや、もっと言えば宇宙戦艦ヤマトの頃の同時代のアニメに比べて、それらの作品がどう凄かったのかってのを、実際体感してない人たちに私なんかがいくら話したって通じないのと同様に、今の私にはエヴァの凄さっていうのは(前半だけでは)かなり微妙。
 OVA的なこだわりを地上波でオンエアしたなんてことででもあるのかな。それこそ「オタク向け」クオリティであるような気もしますが。

 何しろようやくテレビ版後半で、・・・にしたって、劇場版まで見なきゃ話にならないわけで。それで、ためらい傷のような劇場版を何作も見なきゃならないのでありますねー。(今、見ることの出来る劇場版の順番ってのさえが、よく分からなくなっちゃうんだ、これが。)

 物語として「セカイ系」のはしりだという。(Wikipediaはまた、「中立的観点」で議論中のようですがw)価値観の崩壊、物語への不信。

「セカイ系」という社会や世間、国家等の第三者的概念が省略された形の物語が強い形で受け入れられた背景には、ファンの間に第三者的権威への強い不信感や、都市部における「どんなときも絶えず他人(第三者)が側にいる」という人口過密状態への拒否反応があることが伺える。


 テレビ版エヴァの前半ってのは、そんな感じですかね。変なことを言うけどムードとしては『ザンボット3』(富野御大)とか、どうなんです?ザンボットでは第三者は省略どころか、無理解ないし敵視を投げかけてくる在りようが直視されていますけどね。
 そのムードはザンボットではラストワンカットで反転されるんですが、エヴァもラストでひっくり返ってるんじゃあないのですか。(ザンボット3論についてはyasuakiさんの考察をご一読ください。)
 ザンボットの信じられないほどの無骨な苦さと、エヴァの言わば甘美な口当たりのよさと・・・・・・そんなことを考えながら、ゆるゆるとエヴァ後半へ向かって行きたいと思っています。
追記:
 読み返してみたら、言ってることが混乱していますね。
 ウザい第三者を直視して鬱陶しくなっているのがザンボット3で、ウザいものはいないも同然の扱いをして(ある意味)心地よい場をつくっているのがエヴァンゲリオンという意味では対照的なんだ。
 共通しているのは、それをウザいものだと捉えている視点と、(おそらく)ラストでその視点が反転する構図。
 私が興味深いのは、一部の優れた論者ではなく、多くの大衆からエヴァンゲリオンが支持されたというのは、オタクにとって心地いいセカイなのか、ラストで反転された価値観の方なのか、というところなんだと思う。
 
 ガンダムの評価のされ方が、富野さんにとって本意なものであったかどうかと同様の疑問なのですがね。
関連記事

この記事のはてブ はてブの数 livedoorクリップ クリップ数 Webスカウター情報

permalink | トラックバック(0) | コメント(2)

[tag] エヴァンゲリオン fc2ファビコン 世代論 fc2ファビコン オタク fc2ファビコン セカイ系 fc2ファビコン ザンボット3 fc2ファビコン

TOP ▲

コメント

> エヴァとザンボ

ザンボエースが好きだったなぁ。ブルとベースはエースのヨロイみたいなもんです。それにしても当時は気にならなかったけれど作画が悪いです。それだけで観る気がなくなる方もいるんじゃないかと思う。

エヴァとザンボともに2クールの作品ですが、ザンボの方が視点が多く、そして人の無理解はこちらの方がはるかに絶望的だったように思う。

ザンボは無理解に対しての諦めがあったが、エヴァは理解してくれなかったらどうしょう、で延々自問自答してて終わったという印象がある。

> 踏み込むか、ためらうか

これもまた、時代の違いかもしれません。

ザンボットは少なくとも、苦悩を一人で抱え込む話ではなかったんですね。たとえそれが血族、という限りなく閉じたコミュニティであったとしても、共有出来るものがいた。
エヴァはもう、ハナっから「家族」の断絶を前提としている。つながりを求める思いは、言葉によるコミュニケーションをすら否定する。

「僕の苦悩」を共有出来ないというのは、ほんとうは個人主義という概念からは外れているように思う。一見すると出口のない絶望のようにすら見えます。でもきっと、この断絶は人間関係の終末を指すのではないと思いたい。問題提起と受け止める事で、何かの始まりと考えたいです。結局、僕らは、オトナになって行く(来た)のだから。

そういう意味で、ザンボットは作中人物とともに歩む作品、エヴァは外から観客の立場を意識し続ける事を求められる作品、なのかな、って僕は思ってます。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://zmock022.blog19.fc2.com/tb.php/325-8c7d4bca