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世代を重ねることの意味 

[2006/04/24] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

1979-80  機動戦士ガンダム
1985-86  機動戦士Ζガンダム
1988    機動戦士ガンダム 逆襲のシャア
1991    機動戦士ガンダムF91
1993-94  機動戦士Vガンダム
1995-96  新世紀エヴァンゲリオン
1998    ブレンパワード


 のりのりさんのコメントどおりに考えると、時系列はこうなわけです。

逆シャアの時なんて一番酷くて、クェスとかハサウェイとか、富野のおじさん理解できないっていう状態だったようです


 これは実感としてとてもよく分かります。
 エヴァがVガンとブレンの間にあって違和感がないというのは、親と子のディスコミュニケーションという事象を捉えて言えば、確かにそうなのでしょうが。いかにも“鬼子”という印象もあります。富野さんがエヴァについて、「ごめんね」と言う言葉を口にするわけですね。そう考えてくると、『F91』の挫折というものの意味はとても大きかったと言わねばならないのでしょうか。
 ガンダムを見て育った子どもが人の親になる頃にエヴァが現れたとも言えるわけですか。
 ブレンパワードという作品は、決して難解だとは私は思わないのですけど、安易な言葉で理解したような気にもなれない、味わいの深い作品だと思います。
 ブレンの序盤の方で「世代を重ねる意味」という言葉がポンと出てきます。それはたしか生物学(遺伝学?)的には、突然変異が生じることで種の多様性が生じ、環境の急変が起きても種の絶滅に繋がらない可能性の確保なんだ、とか昔(遠い昔)聞いたような気がするのですが。(理系にはものすごく弱い人間なので、かなり不確かな記憶 笑)
 富野さんがそこでどんなことを考えていたのか、よくは分かりません。ただ、そこには何かの意味があるのだと。
 異なる世代の間で相克が生じることには、意味があるのだと。
 どうなんでしょうかね?
関連記事

コメント

> 補足

海のトリトン
ザンボット3
ダイターン3
>ガンダム
イデオン
ザ・ブングル
ダンバイン
エルガイム
>Zガンダム
にした方が分かりやすいかと

> 世代を重ねる意味って

種の絶滅に繋がらない可能性の確保ということだったんだ。
単純にニュータイプ論の語り変えかと思っていました。人は歴史を重ねることにより、いつしか分かり合えるようになり、争うこともなくなるというような。

富野作品が続く前後の作品にリンクってのはそうかも。ブレンとターンエー前半、ターンエー後半とキンゲってどこか雰囲気が似てるような気がした。

エヴァというより、ブレンの方にエヴァの影響が見て取れるような気がする。ただし、エヴァの方向性とは真逆な感じですが。エヴァって実写やアニメ作品の引用が多いので、単純に富野作品のオマージュって訳でもないと感じてしまった。

>

確かに、エヴァは過去庵野監督やその同世代人が受けた多くの作品の色に染まっていますね。

例えば、この時代のSF者なら、敵を倒すのに敵の力そのものを使うという「デビルマン」モチーフが大好きですし(機神兵団とかもそうか)。

ただし、Vガンに関しては放映当時の庵野監督のコメント等を見る限り、
エヴァを作る重要なトリガー(引き金)になっているようです。

理想的なまでにできすぎた少年
ウッソの名前を「嘘」からきていると(まあ、シーブック(見本)の例もありますから)コメントしており、
そのため、逆に
無気力で何もできない少年の名前を
シンジにしたのは「真実」からきてるんじゃないかといわれるわけですが。

それ以上に、庵野監督の興味は劇中の細かな要素よりは、絶望感から富野監督の黒い部分がさらけ出されているという、作品の私小説性の高さにあると思われます。

彼には、自らをコピー世代と称する人のオリジナリティは自分をさらけ出すしかないと思い込んでる節がありましたし(この点、すなわち宮崎監督や庵野監督のオリジナリティ論に関しては異を唱えたい部分がありますが)。

あと、ブレンパワードの
キャッチコピー
「頼まれなくたって生きてやる」は
エヴァの「だからみんな、死んでしまえばいいのに」
もののけ姫の「生きろ」
に対する返歌であります。

ちなみに、
ヤマト、エヴァ、クレヨンしんちゃんと
富野監督は仮想敵があるときが一番元気がいいそうです。

「世代を重ねる意味」については
そんな遺伝的アルゴリズム的な話ではなくて、
単に
人は
手前1人でおぎゃあと生まれて1人で勝手に死んでいくものではなくて、
それには他の人が大なり小なり関わっていることを忘れさせないための言葉でしょう。
少なくとも縦の繋がり(世代)は無視できないですから。

横のつながりでいえば、
たとえば好きな女を守るというのがあります。しかし、ただ本人の命を守ればいい、というのは短絡的で、
彼と彼女に関わるすべてを守らなければならない。
変な話、彼女が命をつなぐために食事をするなら、その食べ物が彼女に届くまでに関わるすべての人を守る、すなわちその役目を滞りなく果たせるようにしないといけないわけです。

その意味で、「僕が君を守る」などという言葉を安売りしているライターについて、私は評価がきわめて微妙なものになります。

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