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バルタザールさんのZIII感想を読ませていただいた 

[2006/04/17] | 新訳Ζ | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

 皆様に広くご紹介はできない某所で、バルタザールさんの『星の鼓動は愛』感想を読ませていただいた。さすがに面の皮が厚い私でも、某所からサルベージしてくるのは気が引けたのですが、恐る恐るお願いしてみたところ、快諾をいただけたので、ご紹介させていただきつつ、若干思うところを。

前もって説明しとくと、俺は模型君だったのでメカは全て区別がつくし、登場人物も名前と大まかな背景は知ってる。データはある。でも話は分かんない。先日まで、知りたくもない、と思ってた口だ。TV版は前半くらいまで見て、あとは飽きちゃった。不愉快な奴ばっか出てくる話だな、という印象がある。映画版の1、2も未見。これがデビューって訳だ。
本作しか見てないから、見当ハズレな感想もままあるだろうね。ご勘弁ご勘弁。


 不愉快な奴ばっか(笑)。TV版はたしかにね。

おっと、やっぱりいるもんだな、求道者のような眼をした「帰還兵」。俺より一回り下、ジャストミート世代だな、彼は。


 劇場の中の人々を観察。求道者ですか・・・(笑)
 しかしついに公開終了してしまいましたねぇ。バルタザールさんがご覧になった終了間近の時点で、まだ劇場に来る観客というのは、さもありなん。

新作シーンとそうじゃない部分のインフラ未整理は、確かに感じた。冒頭のモニタ画面から意図的にノイズをのせていく、というのは苦肉の策っぽいけど個人的に許す。気遣いの仕方に良心的な誠意を感じる。


 そんなバルタザールさんの視線にも誠意を感じます。

「そうじゃない部分」については、作画の古さより「演技」の古さ(効果?演出?しっくりくる言い回しが見つからない)の方が気になる。驚く時の表情の付け方とか。振り向く時の所作とか。


 富野さんの演出って、かなりセオリーどおりの手堅いところは確かにあるんですよね。(「古さ」と言われると、少し悩みますが。)

うん、たしかにロボ(露悪的な差別表現をお許しください)カッコいいね。新作シーン。ネモとかジムとか、「数だぜ兄貴」な仲間達が、きちんと、そこにいる。やられるためとかやっつけるためとか、そういう意図的なシーンに引っ張りだされるのでなく、仕事してまっせ、て感じで「出演」してます。好感持てるね。


 「ロボ」いいんじゃないですか?なんたって「ロボットもの」ですから。

シナリオについては、「あらすじ」だね。
新勢力登場、交渉、失敗、小競り合い。
新勢力登場、交渉、失敗、小競り合い。
拡大。戦闘。なし崩し最終決戦。テンポいいと言えばいい。


 『星を継ぐ者』『恋人たち』なしで、第三部をご覧になると、そうかもしれないですね。第二部と第三部で一つの作品みたいだ、と御大も反省してましたし。キツイけど、素直な感想として耳を傾ける価値あり。

カツ君は、ヒーローになり損なった少年なのかな。
ヒーロー無用。これは、戦争なんだ。
と、くりかえしビダン君は説いて聞かせる。
あとになって、アニメ的展開で散っていく一連の者達「全員」に、「戦場ではしゃぐから!」などと叱りつけたりする。今度の彼は、まじめに戦争してるねえ。
俺の眼には、彼は、キーとなるべき観客層と同世代くらいに見える。もうガキじゃない。廻りに対する作用反作用(TPO)も理解してる。守りに入らなくても自分はキープ出来てる感じ。好感持って当然だと思う。彼は、見に来てる俺たちとほぼ同じ立ち位置にいるんだもん。


 「まじめに戦争」っていうか、それが普通なんですよね。
 今、私はエヴァンゲリオンを見てるんですけど、シンジ君を見ていて、「こいつ変な奴だなぁ」って素で思っちゃいます。

ただ、ガールフレンドを名字で呼ぶ悪癖は治ってないな。ユイリイ、って呼んでやりなよ!なんだ、ファって!もう。


 おぉ、なるほど(笑)
 トミノ世界の苗字と名前の関係はワンダーワールドですからねぇ。(一般兵からも妙にフレンドリィな「シャア」大佐とか。 笑)

書き足されたシーンでは、「なるたけ、演出としての殺しを描きたくないなあ」という思いが感じられるような気がして、ナマヌルイかも知れないがちょっと共感だ。敵兵との撃ち合いのシーンで、蜂の巣にしないでタタラ踏ませて逃げるに任せる、なんて演出、悪い気はしない。
まあ、そのあとで轟沈しちゃう船なんだが…。


 「お約束」に囚われない視点からだと、そういうポイントに気付くのですね。なるほど納得。

どうにも分からんのがMr.シロッコ。本作だけ見てる分には、なんで覇権をとりたいのかさっぱり分からん。優れた自分をディスプレイしたいのか?などと邪推。


 そういう意味では、第一部、第二部を見ていても、彼に共感(彼の心情を理解)することは、私にも難しかったです。天才の頭の中を理解できないのは仕様です。・・・という言い方は不誠実だとすれば、彼は天才にしてはやけに親切に、愚民を導いてやろうという志を持っていたんでしょうかね?

どうでもいい事だが、振った女がふた廻りもみ廻りもオトナになってあらわれた時の男のビビり方と言ったら、これほどみっともないものはないのであるなあ。あ、古傷からまた血が…。


 これ、ハマーンが理解できたというより、クワトロ大尉にえらい共感を覚えていらっしゃるんですねー。なるほどなぁ。

ためらい傷の如き「名」シーン2つ。ビダン君のフェイス開けとノア艦長の「子供ってことだ」発言。もうひと演技つけてやればいいのに。派手に演出するのが気恥ずかしかったのか、根っこにシニニズムを隠しているのか。深読みしたくないシーンなんだが。


 これについては下記の追伸がありました。

バイザー開けについては、わたしゃ風の谷の族長殿を思い出したもので、ものすごいワンダー、とは行かなかったのですよ。


 ああ、ナウシカも腐海でマスクを外しましたね。うん。ナウシカは確かに最後、笑って見せた。そこで笑って見せて観客にも分かりやすい宮崎監督と、笑えねーのが“現実認知”ってもんだろうという富野監督の違いか。私は「もうひと演技」付けない富野さんが好きですが、これはなかなか鋭い指摘ですね。
 「誰が子どもの戯れをきけるか」(?)は、深読みして正解だと思うので、「もうひと演技」付けたら、かなり身も蓋もないでしょう。これは通じる人にだけ通じればいいという種類のメッセージだと思います。

最終決戦は、TV版に準拠しているんだろうか。俺はあんまりほめられない。共感出来ない。「思いの強さがそのまま実力になる」とか、「死者の想いを取り込んで自らの力に加える」とか、どたんばでマンガ文法に頼ってしまうのかあ。「そういうのは”なし”ね」っていうのが取り決めだと思ってたのに、結局、そこに頼るのかあ。
しかも、そんな理不尽な人外の力を恃んで、正気で帰ってこられるのはちょっとずるくないかあ?確かに、大団円で無事帰ってきてくれて嬉しいには嬉しいんだが、それもまた主人公特権ぽくて、マンガ文法的で素直に喜べないなあ。
クワトロ大尉の「最後」の方がまだ納得出来るなあ。


 「マンガ文法」はキツイですね(笑)。
 「そういうのは“なし”」というお約束がガンダムにはあるように信じられて来ているわけですが。どうなのかな?
 これにも下記の追伸があります。

ハイパー化。そうか、そういう言い方していましたねえ。
一旦外の空気を吸ってから出戻ってみると、こういう描写はやはり気になります。本作はリメイクという事もあって、「現用兵器で戦闘」な感じの演出は丁寧に描写されています。なので余計ファンタジック(悪い意味で)に感じられて、全体の調和がとれない印象を持ちます。
ここは暴言になってしまうかもしれないが、そういう表現に頼る限りはオトナの観賞に堪えないとさえ思います。確かに、「彼(彼女)の背景や思念の強さを「映像で」表現するにはやむを得ない手法ではあるかもしれません。でも、カスタムメイドのキャラクターが、カスタムメイドのマシンに乗って、決めのシーンであれをやるのじゃあ、素直に乗っかれなかった、少なくとも私は。人物(と、その想い)を描くにはお手軽な手法だ、と感じてしまったのです。


 いろいろ思うことはありますが、とりあえずまとまりません。いくら現用兵器っぽい味付けはしてあるといっても“巨大な人型兵器”という大嘘が違和感なく見えて、なのに“ニュータイプ”という嘘が目障りになってしまう物語の世界は、世界観として破綻しているのかどうかですね。(しょせん“ロボットアニメ”、されどロボットアニメ・・・。)
 語りつくされてきたような話題ですが、巨大兵器が“人型”であることの意味というものがあると思うのですよ。古来、巨人(ないし巨神)の活躍する物語に人々が託してきたもの、それが異型のモノではなく、人型だからこそ、表現できる何かが。カミーユが無事だった、よかったぁー・・・というシーンでは、ご丁寧にスーパーロボットさながらの「決め」ポーズまで披露してくれています。
 しかし、たしかにね。私たちもブライトさんのラストシーンに学ぶべきものは少なくないのかもしれない。

さて、無事すんだな。各所に続きを感じさせる部分もある訳か。「次回作」、必ず見に行くかどうかは分からない。でも今回のこの作品。けっして、つまらなくはなかったよ。
とりあえず、1と2を見るか。連れからDVD借りて。


 そういうことっす。(笑)
 そのぐらいがちょうどいいスタンスなんだ、きっと。(ホントは)

なんだかんだ言いつつ、やはり022さん始め、皆さんのレビューを読んでから見たのはよかったと思ってます。「大きな光」とか、TV殆ど見ていないですから、鑑賞の助けになった部分がずいぶんありました。
だから、やっぱり、ありがとうなんですよ。


 ちょうどいいスタンスの人に喜んで見てもらえる何かの助けになったなら、ものすごくうれしいです。

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コメント

> あらためて、ありがとうなんですよ

ほぼ全文引いていただいて、照れくさいやら恥ずかしいやらコメント恐縮するやら忙しくしておりますがいかがお過ごしですか。

丁度いいスタンスであるかどうか、自分では判断しにくいですが、ともかく過不足ない、身構えのない状態で見る事が出来たのは本当によかったと今でも思います。もちろんこちらで紹介された様々な言葉に助けてもらった部分がずいぶんあり、あらためて022さん始め、皆さんにお礼申し上げます。

マンガ文法、お約束については、ガンダム全般についてというよりは、この作品について、「TV版からの視聴者だけでなく、より裾野を広げる(初めてZガンダムに触れる人も想定する)意図がある」ことを想定したので、その意味でちょっと戸惑った、くらいの印象です。

3部作の再3部しか見ていない、というのはきっと不真面目な見方なのですが、その観点では「ニュータイプ」というものの描写が唐突に感じられ、「そういうものが(普遍的で有る無しを問わず)あらかじめ設定された世界」とは感じられなかった、というのがきっと、戸惑いの内実であったのだと考えています。
そしてそれは、「描かれたカットの多寡」で量り得るものではないと僕は思います。ようするに、いまだにニュータイプ、というものがよくわからない。これ無しにこの物語を受け止め、理解する事が出来ないようなファクターだとは思えなかった。

種としての人間の成熟という事象を、あたかも「別の種への進化」のように描写し、選良にも近い解釈をこの世界の住人(の一部)にさせ(ということは、「テロ屋の理屈」で片付けているマジョリティの存在を示唆してもいて、なぜかこっちはイメージ出来る)、「いずれ全てにつながる変革」なのか「時間的スパンの中で結局は従来のようなヒエラルキーを産み出すだけのもの(ただの革命じみたもの)」であるのか、示す事なく放り出すというのは、テーマにしては扱いが曖昧で、薬味にしては味が濃すぎて、それを深い描写とは受け止められなかった、というのがきっと真相なのです。僕にとってのニュータイプは。

まあ、「Zガンダム」というのはニュータイプの独立戦争じゃないんですけどね。そこを考え始めるとガンダムという作品群が、とたんに取っ付き辛いものに変貌してしまうので、今回は敢えて考えないようにしていたのかもしれません。

補遺というか、いいわけがごっつ長くなってしまいました。失礼しました…。

> 今更ですが(_o_)

 別件ですが、今更何言ってんのというTB差し上げました。もう劇場版Ζは過去のものとされているようにお見受けしておりましたが、この記事拝見してやはりお出ししてみようかと(_o_)
 ただこのバルタザールさんのご感想で気になったのが、「マンガ文法」への違和感。自分の感覚だと、一般化したかったからこそ、窮屈な理屈なんてどうでもいいから、マンガ文法でしか描けないカタルシスを持ってきたように思えるのです。フツーのドラマ見てても「うわーマンガじゃん」って演出多いと思いますし。ニュータイプ論もTV版の先鋭さなどからすれば、知らない人にはどうでもいいくらいにまで後退したように見えました。TV版Ζにそう馴染みのない方の感想を拝見していてもこういう部分は見事にスルーされてると思います。ΖにしてもVガンにしても富野作品は基本的にファンタジーだと思ってる自分はただのトミノスキーだとは自覚していますから、個々の感性の問題とは承知していますけど。

 あとこれも別件ですが「ファスト風土化する日本」に触れられている箇所はΖヒストリカ02巻にもありますので、よろしければまたご覧になってみてください。

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