ここのローカルルールは「まったり対話」(笑) 

[2006/04/15] | ブログ日記 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

まずは格差社会の話
 バルタザールさんのおっしゃるとおり、明らかに不慣れな話題だったのですがついつい気になって。私の脳内の流れとしては「勝ち組負け組→格差社会」といったようなことだったんです。(言い訳)
 わんこさんのご指摘どおり、高齢者がお金を貯めておかないと不安というのも自分の親を見ていれば納得なのです。スカルさんは「福祉いらん」派ですが、「公的サポートが怪しげで頼りない」→「自分でお金を貯めこまなきゃ不安」という構造ですよね(一部の突出した金持ち高齢者を除けば)。それである意味、悪循環というか経済にも良くない影響があるのなら、どうしたらいいんでしょうかね?(相続税をもっと高くしたりとかなのでしょうか?でも金持ちほど上手に対策を立てていて、割を食うのは平民層になりがちな世の中だよな。)

教えて君問題
 誰でも最初は初心者なんですけどね。だから本当の初心者には親切にしてあげるというのは、ここに来てくださる皆さんの間では、あまり異論はないようなので、私も嬉しいです。(私自身が上記例のように、不慣れなこと、自分のあまりよく知らないことを書いて、優秀なるコメンテーター各位の教えを受けるということが、ここではわりと日常的風景だし 笑)
 とすれば、いささかでも考えるべきことは、検索の方法ぐらいは考えれば分かるような人で、「そもそも調べる気がない場合」でしょうか。調べるより聞くほうが早い、というならまだしも、調べるのが面倒だから聞くほうが楽だ、というような人。たしかに時たま見受けるような気はします。そういう人に限って「教えてくれて当然」みたいな態度で、それを注意されたら逆切れしちゃう。
 ごく一部にそういう人がいることが、「分からないことを質問すること全般」を問題視するような、反感を育てているのではないかという印象が、私にはあります。たしかにネット上では「リアル初心者」と「な~んちゃって初心者」の区別はにわかには付かないですよね。
 私はオンラインゲームというものをやりたいと思ったことがあまりありません。人によって能力はさまざまで、だからどんなゲームでも、それを楽しめるゲームバランスというのは百人百様だと思うのです。一人でゲームするときでもそうなんですが、ゲームをしながら「楽しめるバランス」を自分で探すことそのものが楽しいようであったり。だから複数プレイできるゲームでも、けっこう気の合う仲間同士で、お互いが楽しめるバランス(ある意味ローカルルール的なもの)を探したいと思うほうなので、不特定多数の人たちとゲームするっていうのは、たぶん楽しめない。かえってストレスになりそうな気がします、私の場合には。
 WEBはゲームじゃないんですが、私の場合はゲームもそういう風にコミュニケーション的に楽しむほうでしたから、似たような感じ方をする部分があって、話に参加してくれた人たちが楽しめる状況をどう作れるのか(もちろん自分自身も楽しめる形で)ということは、やっぱり思いますね。

「まったり対話政策」宣言?
 最近ゲームはほとんどしないんですが、今から考えてみると、一人プレイでゲームとの仮想コミュニケーションみたいなものを楽しんでいたのは、やっぱりあまり健全なありようではなかったと思います。コミュニケーションは人と人の間でするものなんで、・・・だからラジヨさん、「人間と機械をつなぐ仕組み」じゃなくて、「人間と人間をつなぐための機械の仕組み」だと私は思うんですよ、見直すべきものがあるとすれば。
 スカルさんの言われたように、「教えて君」がいて「知ったかぶり君」もいて、コミュニケーションが成り立っているならそれはそれでいいような気がします、個人的には。

 ・・・というようなことはしかし、ムラ社会的なローカルルールなのでありまして、SNS的な鎖国政策を採っていないこのようなブログ上では、常にこうした「まったり対話政策」が守られるという安全保障は、例え管理人にそれを守ろうという鉄の意思(笑)があってさえも完璧には成り立たないのですよね、残念ながら。
 ただ、では閉じられたSNSの中ではそれが守られるのかと言うと、私にはどうもそうとも思えません。制度とは機械と同じで、単に利用すべきだけのものじゃないかと。
 話している相手がどんな人か分かってくるまで、WEB上では一般に、現世より時間がかかるんだということ。当たり前のことのようですが、これはローカルルールじゃなくて、一般論として皆が知っていてもいい知識のような気がします。

 今回、自分で書いたものを読み返してみて、「だから」という接続詞がやたらと多いような気がした。(笑)
 順々に考えたことをそのまま工夫もなく書いているから、こんな芸のないことになるんですが、読んだ人に「畳み掛けてくるような印象」を持たれたら、それは“まったり宣言”の趣旨に反するなぁと、少し反省しました。
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コメント

> パソコンと電気釜

「人間と人間をつなぐための機械の仕組み」-これはその通りなのですが、囚人さんをはじめ多くの人々がこの問題に関心を寄せていて良い道を模索しています。

しかし、「パーソナルコンピューター」はどうでしょう。価格が下がっただけで、オンライン/オフラインを問わず操作のしずらい難物のままだと思うのです。このマニュアルがアテにならない機械が扱えないだけで、情報弱者と強者に別れてしまいます。10年前にデザインの先生と話したのですが、「PCが独立した状態ではなく、電気釜のような家電製品の中に入っていくだろう」と推測しました。実際はPC+キーボードで定着しましたが、「ソニーと任天堂とiモードとアップル」が提携して携帯端末でも作ったらWEBの世界が根底から覆りそうです。

オンラインの入り口がパソコンではなく、”iPOD”の様な、「マニュアルがなくてもわかる」機械になったら-集う人種も、事情も一変すると思うのです。パソコンそのものが道具として奇形だと思っているので、気になり続けています。

> もうじきかもしれません

>ラジヲさん
実際の使われ方は分かりませんが、テレビとの組み合わせは方向性が見えてきてるような気もします。
ケータイがもうちょっと高機能化するかも、とは思いますが、入出力の便利さから見たらちょっと難しいのかな。

あと、時代が下るにつれて、世代交代の面でユーザー側がこの「不便な出来損ない」に順応していく可能性も、まったくなくはない、ような気もします。


もちょっと気になるのは、「ハードが使い易くなる」のと「ユーザーのマナーが成熟する」のは、あんまりイコールにならないのじゃないか、って言う点です。
TPOとか、行儀作法そのものに気持ちの回らない人間があまりにも大量にあらわれた時、玄人衆と村人達のどちらにもそういうメンバーが大勢含まれるようになった時、というのは、利用者が増える程イメージしやすい悪夢では、あるんだよなあ。

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