今日は珍しいぐらい、ただの日記 

[2006/04/09] | ブログ日記 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

 北陸路にも遅い桜前線がようやく到達。
 今日は愛車の冬タイヤを夏用に交換する予定だったのですが、ちょっと運営をお手伝いしているボランティア(NPOっていうのかな?)団体のホームページが調子悪いと言うので、貧しいHTMLとCSSの知識をフル動員して一生懸命メンテナンス中であります。
 ウェブのバリアフリーというのは本当に難しいですね。基本的には「正しい」HTMLで書いてあれば、どんなブラウザでも「正しく」表示されるはずなんですが、世の中で出回っているホームページやブログで、「正しい」HTMLで書いてあるところなんて、めったにお目にかかることがない。
 このブログでも、間違ってる部分があることは分かっているんですが、素人のユーザーレベルで直せるものじゃなさそうなので、あきらめています。普通の言葉遣いとおんなじで、少しぐらい間違ってても、ほとんどの相手には意味を汲み取ってもらえるんですが、一部の相手には、ささいな言い間違いで全然意味が通じなくなってしまうことがあるんですよね。
 まぁ、それもこれも勉強だ!(笑)

 「勝ち組負け組」の話には、「競争社会」について両極端なコメントをいただきまして、そういうものなのかなぁと。
 個人的に私なんかは、スポーツでさえ「結果が全て」ってのは大嫌いな性分です。そういう指導者ばかりでなければ、もう少しスポーツ好きな青春を過ごすこともできただろうに、などと思ってみたり。

 受験生時代にも、なぜ競争させられなきゃならないんだろうかと、悩まないでもいいことでくよくよして、ずいぶん無駄足も踏みました。その頃にたまたま目にしたキャッチコピーで今でも好きなフレーズがあります。
“Try Your Best!”
 こんなもの、とても月並みな励ましなんだろうなと思いながら、ついついだらけてしまう自分に負けないように、自分に言い聞かすには、なかなかいい言葉でした。人と争うのは今でも嫌いです。ただ自分には負けたくない。そう思えば、自分なりに頑張ってベストを尽くしたとさえ思えれば、結果がどうであっても悔いは残らない。
 そう言いながら、振り返って考えてみれば、ベストを尽くせなかった悔いも多々あるのですが、それよりも今、悩むのは、自分はこれから何に向かってベストを尽くしたいと考えているのか、答えが容易に見つからないことのような気がします。それはつまり、人はどうあれ、自分なりの価値基準を持とうと考えてきたはずなのに、それが必ずしもうまくはいっていないということなのでしょう。(それでも人からは、“偏屈もの”“頑固者”とよく言われますがね。 笑)

 あぁ、こんなことをしている間に、陽はドンドンと傾いてゆく。人間とりあえず、やれることをやれるうちにやらなきゃ駄目ですねー。(苦笑)
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コメント

>

話題に出遅れ。
前回の記事で引用されている文章を素直に読めば、「経済的勝者こそが勝ち組」っていうよりも、「経済的勝利を、自分にとっての「勝利」だとしてしまった方が、他のやり方よりも「楽」だ」という文脈のように読めたのですが、どうでしょう。「これが勝ち組になる一番楽な方法だ」という一文に注意。
何をもって勝ちとするか、それはもう人によって千差万別なので、囚人022さんのような考え方も当然あって良いと思いますよ~。
もっとも、経済的な「勝ち負け」も、バカにならないなと今の自分は思わずにはいられませんが。

まあ、元記事を読む余裕はないので(ていうか、明日が抱えてる原稿の締め切り)、的外れなこと言ってたらごめんなさいでした。

> んー。

やっぱり私、表現が下手なのかなー・・・。
競争社会を肯定しているからって、結果が全てだとは言ってないんですが・・・。私は「頑張って頑張って頑張り抜いて負けても、その負けには価値がある」と考えていますから。ただし、最初から競争を否定した所には「なにも生み出さない」と思いますよ。スポーツでも「楽しければいい」でちゃらんぽらんにしてきた物は、ほとんど何も残らないけど頑張って頑張って頑張り抜いた一回戦負けにはもの凄く価値がある。

そこの「負け=無価値」という価値観自体が「競争原理を理解していない」と言ってるんですが。例え一時的に経済的敗者になったとしても、ちゃんと競争してきた上での負けは、あとで取り返せる可能性がある。そう言う事です。

そのために「真の競争社会」にならなければいけないんですよ。徒競走でみんな一緒にゴールして「平等」というような、偽りの平等は要らない。真の競争社会は、真の平等を実現しますよ。

> むむぅぅぅ

大変難しいコメントばかりで、私にはコメントする隙が見当たりません・・・
勝負は争いではなくて、競いあいで良いんじゃあないかと思います。
結果は死んだ後で・・・言い方はおかしいですが、目に見えない物、形に出来ない評価が、もっと重要視されれば良いのにと思います。
『不幸に鈍感で、幸せに敏感でありたい。』昔高橋洋子さんに宛てた手紙の返事に書かれていた言葉です。その言葉を思い出しました。
勝負の結果、人を傷付ける事は、どんなにちいさな勝負も争いのように思います。勝負の結果、新しい何かが見えるのが競う事だと思います。
勝ち組?負け組?そんなクラスわけしなくて良いと思いますけれど・・・色んな人がいてこそクラスも楽しいと私は思います。

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