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うれしいひめい うれしくないひめい 

[2006/04/02] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 やあやあ、久々にコメントたくさんいただけると嬉しいです。(笑)
 なのに、なのに・・・ちょっと仕事でミスをしまして、二日もブログを更新できない状況でありました。
<(_ _)>

 41さん、私は“物語”という言葉だと抜け落ちがちな部分を“劇”という言い方で強調してみたかっただけでした。ストーリーはストーリー、作画は作画、動きは動き、音楽は音楽、みたいに個別に語るんじゃないような、全部まとめたうまい言葉ってなかなか見つからない。意外と難しいもんですねー。
 のりのりさんが使われた“芝居”って言葉は劇ともまたちょっと違って、なんとも面白いですね。声優さんだけではなくキャラクター自身が、という指摘がすごくいいと思いました。そうそう、そういう感じのことでもあるんです。
 「マーク」を見てれば・・・という話は、観客からのアニメの見方でもいえる話だと思いました。(よく“萌え"アニメで使われる記号論の話にも通じますね。)
 アニメって(特にパーツの組み合わせで出来ているリミテッドアニメだからそうなのかもしれないけど、)もろに“記号”で成り立ってる部分があって、言われるとおり、たとえば「涙」を描けばそれでもう泣いてることになっちゃうんだけど、その「泣く」という一つのことには、本来は振れ幅があるというのか、解釈は一様ではないというのか、記号では語り尽くせない部分があるんだという、そういうことですよね。
 もちろん絵だけでも(あるいは物語の筋だけでも)ニュアンスが表現できる可能性はあるんだけど、他にもいろんな方法論がたぶんある。富野さんなんかは人間味のある“芝居”を、ある意味ストーリーを説明することよりも大事にしているという気がします。絵、以外のあらゆる技法をも駆使しながら。“芝居”という少し泥くさい感じもする言葉(笑)に、すごく納得です。(そういうのってのは、監督一人じゃなくて、原画描く人とかスタッフみんながその情”の流れを感覚的に理解してないとやれないから、ほんとに難しいんでしょうねぇ。)

 いくつもの記号をぼんぼんと時間軸の中に放り込んでいくだけでも、見た人が頭の中で記号を繋いで物語は成り立つし、たぶん話のラインとしては分かりやすいんだけど、ある意味で一本調子。人間くさい“情”ってのは、いつも響き合って共鳴し合って、常にいくつかの旋律が重なり合ってるって言うか。そうすると、一本筋ではないから主旋律が見えにくかったりはするんだけど、でも、そこがたぶん面白いんですよね。うん、頭で考えるんじゃなく、体感するって言うか、情を情で受けるって言うか。
 アニメ史の経緯の話は日本的な美意識とかとも結びつけて考えたいと思ってるんですけど、平面性とか、象徴性とか、なかなか難しいんですよね。宮崎監督は、海外の人たちが日本人の長所だと考える所をしっかりと押さえてやってる人だという気がします。(富野さんは日本人の苦手な部分をあえてやってるのかな?)

 わんこさんが、ブレンやターンエーが人々に受け入れられにくいようだと言われるのは、今、言ってきたようなことを総合した話じゃないかと思いますよ、スカルさん
 なんだろな、いっぱいの要素が「わーっ」ていっぺんに来るから、個別の記号に分解して頭の中で組み立てなおそうとしてたらグジャグジャに思えるのじゃないだろうか。「わーっ」と来たものは「それはまー、そういうものだ」と素直に思って、その都度感じ取れたものを、とにかく全体で味わえば、それでいいんだけど、少し詳しくなっちゃった人っていうのは、むしろそういう習性がなくなっちゃっているのかもしれないですね。
 富野アニメみたいな作品には、常に記号と記号の行間を頭の中で補いながら見るのが当然だと思いながらアニメに対している人にとっては、過剰なほどの情報量があるのじゃないでしょうかね。それは、アニメが好きといいながら、アニメごときはその程度のものだと高をくくっていると言えなくもないような。
 スカルさんが言えることは思ってることの50~60%、伝わることは30~40%とおっしゃられた、そういうことともどっかで通じているのかもしれないんじゃないかな。
 わんこさんが、エヴァに感じるつらさと言われたのは、私の言葉で言うと単旋律の厳しさじゃないでしょうかねぇ。アニメって一方通行じゃないですか、作り手から受け手に向かっての。だから一本調子だと受け手側が作り手の規定したペースに合わせていかなきゃならない。(強制される感じ。)
 ブレンの暖かさというのは、「他人を受け入れるか入れないか」と言われたとおりだと思うのですが、もう少し具体的にどう受け入れられるかというと、振れ幅のゆとりがある分だけ、受け手の側がその時の気持ちや体調に合わせてさまざまな受け止め方が出来るんじゃないでしょうか。その懐の深さの違いなのではないかと。
 バルタザールさんはキャッチボールという面白い言い方をされましたが、作り手から受け手の顔が見える舞台に比べると、アニメでキャッチボールを成立させることは難しいですよね。ただ、舞台劇であっても、台本と役者の演技力に幅があるかないかで、見る側も巻き込みながら一つの芝居をかたち作れるか否かは決まるのだと思います。
 富野アニメがブレン以降、どう変わったかというのは難しいのですが、(SF的なリアリティという意味ではなしに、)現実を直視しようとする姿勢は変わりないと私は思います。かつては“社会”の現実を直視していたのだと思うのですが、最近はそれ以上に“人間”の現実を重んじるようになったのじゃないでしょうか。
 いい芝居の観客のように、オタクが作品にのめり込んで見ているかどうかは、私は疑問です。オタク的なのめりこみ方というのは、どちらかと言えば最初に書いたような分析的な見方であって、役者と客席が一体となって劇を作り上げる“いい芝居”では、観客にはそうした分析をしている余裕もないはずではないかと私は思うのですが、どうでしょうか。

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コメント

> そうなのかな・・・。

判んないけど・・・。>わんこさんの意見
私はとにかく、∀ほど富野監督が描きたい物が前面に出ているのもないかなぁ、と思うんですけどねえ。CCAとか、F91とかの方がよほど「何が言いたいか判らない」んですよ、私。

言いたい事云々は私自身の実感ですので、世間一般では違うかも知れませんね。

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