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また言葉足らずでした 

[2006/03/30] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(5) | TOP ▲

>イデオンのキャラクターもメカも、考えてみればあんまり好きではない

個人的に湖川氏の絵は嫌いなので同意しますが「あの絵だからこそイデオンは名作なんじゃないか?」とも思います

難しい事は分かりませんが、アニメでも劇でも「見て」物語を感じてる訳だし・・・



 41さんにコメントをいただいて、自分が書いたものを読み直してみると、なるほど、“劇”という言葉に対しての説明がぜんぜん欠けているなあと。
 イデオンのキャラクターとかメカとかが、「あんまり好きではない」と書いたのは、止まっている絵として見たら、あまり私の趣味には合わないというつもりでした。湖川さんの絵は、動いてナンボっていう感じで、ほんとにアニメ向きというのか、漫画向きではないというのか。メカのほうは・・・主役メカのイデオンが、ねぇ・・・(笑)
 重機動メカは考えてみれば、かなり好きです。

 ビジュアルアートじゃなくてパフォーミングアートとか、生意気なカタカナを出してみたのも、そういうようなことで。つまり動きがあって、でも作画がどうこういうよりも、セリフの勢いとか、あと重要なのは音楽というのもあったりして。
 そして、そういう多様な要素を個別に云々するのではなくて、そういうようなものの総合力で、「ワッ」と情感に訴えかけてくるっていうのか・・・。そういうこと全体で「劇空間」を作り上げるというのか・・・。もうちょっと言うと、例の何度か書いてきている「芸能」ってやつになるんですけどね。
 アニメ的には「絵コンテ主義」ってのがそういうのなのか、正直よく分からないんですけどねー。音楽の力ってのは本当に大きいと思うんです。「劇伴」とか言うみたいですけど、伴ってるんじゃなくて、それも劇の一部なんだよっていうか。

 実は今、『ブレンパワード』二周目(笑)を、そのままレンタルで見てるんですけど、これでなんか大丈夫なような気がしたんで、並行して『エヴァンゲリオン』を(ようやくね、)見直し始めたんです。エヴァの影響がブレンに・・・とか、よく言われるみたいですけど、それぞれの第1話第2話を並行してみていると、「違うなぁ」って。むしろ好対照に感じられると言うか。
 エヴァは細々とよく作りこまれていて、主人公を中心にガチガチに物語が動いていくんだけど、ブレンはよく言えば大らか、悪く言えば「荒い?」感じ。ヒギンズとかコモドとか、どれもこれも何か劇中で語り尽くされていない性格みたいなものがあって、それがメインの物語に絡むんだけど、それだけじゃないと言うのか。エヴァのほうだと「裏設定」みたいな感じなんだろうけど、ブレンのほうは「裏の情」とでも言うのか・・・。
 エヴァは、この物語冒頭では、ほんとオタク向けの「サービスサービス」な要素がてんこ盛りで。(ミサトのギャグ的独白とか、ペンペンとか・・・なんつうか少し引いちゃいましたけど。)ここからねじれて反転していくわけなんで、この辺だけ見ていても、あまり感想にもならないですね。普通に面白いですよ。

 えー、つまり何だ(笑)
 「情」ということを言いたいんだと思うんです。設定だったり筋書きの進行だったりの説明ではなくて。で、なまじ美男美女ではない方がむしろよいぐらいのほうが・・・というのが私の個人的趣味みたいです。美男美女ってのは、かえって没個性だったりしますからね。

 駄目ですねぇ。自分の好みを自分の言葉で語ろうと思うと、なんだか歯切れが悪いや。学がないからなぁ。(笑)

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コメント

> ρ(゜)

言葉は10言おうとしてようやく5~6ぐらい言えて、そのうちの3~4ぐらいしか受け取って貰えない、って前に言いましたっけ。
だから、言葉足らずは「あとから補足すればいい」ッスよ。

> 「芝居」をしているか

話は違うかもしれませんが、
Zの劇場版を見て、登場人物が芝居や演技をきちんとをやっていたなあと感じました。

つまり、声優さんの芝居、演技だけではなく、
画面に映るキャラクター自身が芝居をしていると感じたのです。

例で言えば
ミネバがハマーンを見る視線のさまよいかたとか、
カミーユの深呼吸とか。

彼らは、
ものを目で視て、息をしているキャラクターだというのを感じました。

モノを眼で視るような人たちであるからからこそ、コクピットから出て、
肉眼で確認するのでしょう。

必要がなければ、CG(バーチャル)で表示された「敵」と言う「マーク」をみていればいいはずです。
悪口ではなくガンダムSEEDって対照的なんです。
瞳のハイライトが消えて(何も見えてない表現にも使われる)、
的を黙々とロックオンするあの演出は。

あれは眼の前に視えるもの以上のモノを視ているのか(大局観)なのか、
それとも自分以外の世界から眼を閉ざしているのか?
少なくとも眼の前のものは視ていない
ととれます。

ーーー
日本のアニメがリミテッドアニメであったため、
その動きには限界があり、その対応策(だけではないが)として物語性を追求してきたという
流れがあって、
ガンダムなどを得て、思想(のようなもの)を
語ることができるようになるという進化を遂げているように見えます。

それが逆に
頭でっかちな抽象論を振りかざす人々
(オタクかな?)を
生み出してきた、という経緯があるのではないでしょうか?

閑話休題
ーーー

他のアニメ、すべてではないけど悪いものだと、
アニメのキャラクターが泣くときは
絵には「泣いている」という記号的な表現を埋め込んでいるだけに見えます。
記号的になってしまったものについての不足分を
声優さんの演技に頼っているために
アニメ声優は「演技過剰」といわれるのかもしれません
もしくは記号にあわせた演技だと
声の演技も記号にならざるを得ないのかもしれません。

> あらら

囚人さんの言う「劇空間」が言いたかったのですよー
何となく物語に比べて映像が軽視されてるような気がしたので・・・

私も言葉足らずですみません

> エヴァとブレン

たしかに好対照です。
個人的にはエヴァって見てると辛いんですよ。精神攻撃をかけられている感じです。
それにくらべブレンは温かい気分にさせてくれます。この2作の差って、極論すると他人を受け入れるか入れないかなんだと思う。

富野アニメって立場の相違による断絶というか、結果的に他人と折り合いがつかないって結論であったが、ブレンにおいて他人を受け入れる作風に変わったんだと思う。ブレン以降の作品ではむやみに人を殺さなくなりましたしね。

> 観劇する視点

劇として、というのは実に新鮮な視点です。
舞台劇というものはライブなので、明らかに観客の動向に影響を受けます。お互いのリアクションがキャッチボールのようにやり取りされる。
いわば、見る側も含めて、ひとつの芝居を構成していくようなところがあります。

なんかね、ふと思ったんですよ。
オタクである事の条件のひとつが、
「より強い作品世界へののめり込み」であるとするなら、これはむしろ芝居の観客とひどく似通ったところがあるんじゃないかって、ね。


もちろん、キャッチボールの時間差は、お互いではずいぶん違う訳だけど。

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