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「男の子いかに生くべきか」(ソフトバージョン) 

[2006/03/27] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

 昨日自分で書いたものを読んでみて、あまりの難解さに頭を抱えました。これではまずいと思うので、要点だけかいつまめるものか、やってみます。(自己言及にもほどがある・・・ 笑)

 要は、Ζガンダムは“ビルドゥングスロマン”(=成長譚、教養物語ともいう)として読めるのか、という話。

ビルドゥングスロマンの定義
「若者がさまざまな困難を切り抜け、さまざまな人に出会い、男へと成長していく物語」

正当なビルドゥングスロマンとは?
 目指すべき成長のあり方は「自己形成」。いかに生くべきかを考え、いかに生きるかを決め、つまり自分自身を作りあげるのは、ほかならぬ自分自身です。このために必要となるのが実用知識以外のもの(すなわち教養)ですが、哲学などの素養を高めるだけではなく、今日では「強烈な個性」で自分なりの生きかたを発見することという意味になってきているようですね。

注意点
 Ζガンダムをビルドゥングスロマンとして読もうとすることは、富野アニメを「教養主義的」な視点で見ようとすることのようですが、「教養主義的」という言葉は「今ではほとんど侮蔑語」でさえあるようです。(どうもそれは「エリート」という概念と結びつくものであるかららしいです。)

教養主義はなぜ現在では侮蔑語なのか?
 エリートという概念が差別的である以上に、どうも端的には「人類・歴史・社会全体に対する使命感・責任感」を担う意思を持ったエリートがいなくなったってことみたいですね。

では教養主義なんて時代錯誤じゃん?
 「若い人々が、たとえ努力主義や進歩信仰や西洋崇拝や大きな物語に興味を示さなくなったとしても、いかに生きるかということ自体を考えなくなったわけではない」、「自分探し、自己実現、自分らしさ」はむしろ強迫観念にまでなっているというようなことのようですね。
 「かつては強者にのみ与えられた試練であったものが、現在では、広くわれわれを脅かしている」と言うわけで、エリートだけではなく、皆が考えるべき問題になってきているんだという考え方もできるようです。

で、富野アニメは教養主義的なの?
 御大のお説教癖はさておき、物語の構造を見ると、「主人公が主役ロボットの開発者の息子という構図」はリアル路線から見ればご都合主義的なのですが、そういう出自であるために運命の歯車に巻き込まれていくという意味では特権を持ったものゆえの義務が生じているとも見れる。(“ニュータイプ”という概念もエリートゆえに人々を導く義務が生じていると解釈可能。)
 その他、役回りとして「勉強が出来るだけの典型的優等生」としてのジェリド、「突出した天才」としてのシロッコなどの見方は、優れて寓話的。(「少年を導く大人」としてのクワトロは言うまでもないですが。)
 故郷、地縁、血縁といった紐帯を一旦断ち切り、同時に自分自身の手で、友人関係や師弟関係という新たな結びつきを作り出すことが、自分自身による自己形成の第一歩という意味では、少なくともファーストガンダムは“成長譚”のスタイルにぴったりと当てはまるでしょう。たぶん新訳Ζも合格です。(キングゲイナーはどうなのかな?)
 テレビ版のΖガンダムは、正当な成長の物語を描くことに失敗したのではなく、成長失敗の物語を描いた、と見るべきで、では教養主義的ではないのかというと、そうとばかりも言い切れないと思うに至りました。(例えば旧制高等学校での超エリート生徒の“動機なき自殺”の問題を「或る青春の象徴」とも捉えるのが教養主義の立場なのですね。純粋さゆえの失敗は、失敗ではないということになるのか・・・。)

エリートでもないのに重いこと考えるのイヤなんだけど?
 「人類・歴史・社会全体に対する使命感・責任感」があればこそ「いかに生くべきか」と人間らしく充実して生きることを求められる。(それが生きがいというものですね。)
 一人ひとりがそれを担うことを回避しているとどうなるのかというと、ヒットラーみたいな人の使命感・責任感にみんなが引っ張られていくようになるでしょう、ってことのようです。

すごいね、御大ってまるで教祖様みたい?

現在では、「男の子いかに生くべきか」などと、若い学歴エリートたちに語りかけ、「生きがい」を提供してくれるような教祖様や社会学者、それに教養論には、まずは要注意なのである。


・・・だそうです。気をつけろ!

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どうでしょう?
少しは柔らかくなりましたかねぇ?(笑)
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コメント

> 判りました!

(ロ_ロ)ゞ
とっても読みやすく、解り易いと思います。ようやくここに来て「みんなが何を話しているのか」わかった気がします。なんかねー、ずーっと「蚊帳の外」だった気がしますよ、私。

> みんしゅしゅぎ とか ふつうせんきょ とか

あたまのなかをぐるぐるっとしとります。
おう、あと、 じょうほうかしゃかい 、ってのもぐるぐるしとります。

「俺の居場所を見つけるために、広い世界を見てやろう」ってのは大事だと思っとります。
結局は向こう3軒両隣の生活に収まるとしても、
そのむこうにどんだけ広い世界をイメージできるかで、心持ちも暮らしぶりもずいぶん変わってくるもんだと思うですよ。まあ、飢えない程度の生活が維持できる前提において。

だもんで、ぼくはわりと教養主義マンセーです。
ただ、
>「生きがい」を提供してくれるような教祖様や社会学者、それに教養論には、まずは要注意
には激しく同意。
マスメディアの形でのガイドに導かれるのは、もう誘導だもんね。
所詮どんな情報も教訓もマスだし、オリジナルではない。
でも、大事なのは「俺が自分でそれを見つけた」であるような気がしてます。共感、共有するものではないのかもしれない。
もしくは、しがみつくものではないのかもしれない。
思いも年頃もポジションも似た者達が集う場において、同質の不安に脅かされるなかで、これを見つけるのは大変な事ではあると思いますが。

そして、発見した何ものかが、「おれダケに通用するもの」でなくすためにも、やっぱり世界を見てこねば。

ゴメンナサイ、脱線しまくりです。

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