シロッコという反・英雄(あるいは) 

[2006/03/23] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(0) | TOP ▲

久しぶりに“芸能”の話の続きなぞを少し。
引き続き教科書(笑)は、三國連太郎・沖浦和光『「芸能と差別」の深層』(ちくま文庫)

「時代感覚と芸術的表現」ということで、「人の世」にはオモテとウラがある。

その裏側を見通す生活感覚といいますか、この浮世の暗部や深部はあえて見まいとする態度が、現代では日常化してきましたね。それにつれて、今日の芸術表現はだんだん薄っぺらくなってきましたね。そのせいですか、寓話を書ける作家が全くと言っていいぐらい少ないですね。


こういう話、私のツボです。「このままだったら、日本の芸術史でもこの二十世紀末は記録に残る作品が少なくて」と沖浦先生は仰っておられるのですが、そういうところで富野さんなんかは作品を作っていると思うので、アニメも観ていただきたいものだと(笑)。
多くの芸能が、大衆との間に距離を作ってしまい、「特異な鑑賞物」になってしまったのは観阿弥・世阿弥に比べて「創造的精神の失墜」だと手厳しい。(「天覧歌舞伎」の話など、今日のアニメの話題として読むとなかなか興味深い。)

歌舞伎にしても、一見きらびやかにみえる様式美の背後には、怨念・憤怒・猥雑・怪奇・幽界・鎮魂といったさまざまな<情念>に彩られた世界が展開されていますね。


やあやあ、私には富野アニメの話に聞こえる(笑)。(きらびやかな様式美は違うか?)
「ひそかに脱出口を求めていた民衆のひそやかな願い、そして彼らの鬱々とした意識化にある何ものかを表現する」…これが芸能の役割なのですよね。うん。

例えばね、先日バルタザールさんから問題提起のあった、戦争を物語の舞台としてしまいがちな問題。世阿弥の『鵜飼』『阿漕』『善知鳥』といった名曲が、<不殺生戒>を犯さねば生きていけない海の民、川の民の魂の救済がテーマだと言えば、どうです?気になりません?
儒教的倫理観や、勧善懲悪思想ごときは「皮相な人間観」とばっさりですよ…うーむ。(笑)

『忠臣蔵』の外伝として描かれ表裏の物語として同時上演された、鶴屋南北『四谷怪談』の話も興味深い。立身出世のためには手段を選ばない近代的エゴイストの先駆者としての伊右衛門。武士道倫理に反逆する男を時代に先んじて造型し、表現するための手の込んだ技巧。

歌舞伎で「表面は二枚目であるが、色事を演じながら女を裏切る悪人の役」を<色悪>と言うんだそうですが、これってシロッコのことですかねぇ?(笑)
こうしたアンチ・ヒーローの活躍する生半可な内容ではない「不条理劇」。際立った異色の人間像は「観客の目が高くなければ、作者の意図もよく通じない」。やあやあ、何だか他人事に聞こえないであります(笑)。
生き抜くためにアウト・ローになった伊右衛門が結局は破滅していく物語は、「秩序に対する背反だけでは語り切れない複雑な時代の流れ」を感じさせたと書かれていますが。

新時代の到来を告げる予兆はいろいろ現われていたんですが、まだまだ浅薄な勧善懲悪的思想が色濃いこの時代では、破滅的人間として生きるよりほかはなかった。


<反・英雄(アンチ・ヒーロー)>の生きざまとして考えたときに、シロッコは今日、新しい人間像として捉えられるかどうかというのもありますね。

野卑・下品・奔放…洗練された上品さの対極を芸能は志向すべきものなのですが、私も含めて今日の大衆は。いや、でも大衆というものはいつもそうであるのか?うん、なかなか難しい。

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