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「ビルドゥングス・ロマン」って何でしょか?w 

[2006/03/20] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(4) | TOP ▲

前回、『Ζガンダム』でのクワトロ(=シャア)とカミーユの関係は、『キングゲイナー』でのゲインとゲイナーの関係に酷似しているという話をしましたら、しののめさんから、それは既に『語ろうΖ』で指摘されているとご教示をいただきました。(毎度、不勉強で申し訳ありません。しかし「新訳クワトロとカミーユの試行」とまで言っては、あまりにガンダム中心に話を引き付けすぎな気も・・・。)

ところで、この話題で思い出したのが、下の記事です。

さて次の企画は
Ζガンダム劇場版で見る富野と宮崎の教育観の違い

富野の教育好き=手塚系というくくり方も面白いのですが、とりわけ興味を引かれたのは次の記述。

Ζガンダム以降、キングゲイナーまで「少年が大人の導きで男になる」というビルドゥングスロマンを、正当に描くことに失敗し続けているのが面白い。今回のΖガンダム劇場版は、それにカミーユといういたく90年代以降の少年像を据えた上で成功するかどうかに挑戦をしているという点で興味深い。


(まぁ、もっと失敗しているという“もう一方の雄”の話はひとまずおいておいて・・・。)
学のある方は“ビルドゥングスロマン”とか知ってて当然みたいに使われるので、無学な私なんかは冷や汗が出ます。皆さんはご存知かもしれませんけど、不勉強な私としてはこの機会に少し調べてみました。例えば、こんなことらしいです。

これでも一応、無学ぶりが恥ずかしいので、お前そんなことも知らないのかという人は、以下は読まなくてけっこうです。(って言うか、見ないでお願い 笑)

ビルドゥング・ロマンとは、精神高揚〈せいしんこうよう〉(スピチュアル・エレヴェーション)をドラマの中心においたもので、多くは魂の危機〈クライシス〉というシチュエーションが設けられ、主人公は彼の内部(あるいは、それに照応した外界)をさまよわねばならない。ビルドゥングとは英語のビルディングと同根の独語で、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』やトーマス・マンの『魔の山』に代表される様式だ。
百夜弾琴録~序章のあとがき


ああ、なるほど。Ζやキンゲはかなりそれに該当しそうな気がしますね。この文章はシェークスピアの『ハムレット』について書かれたもので、「生キルベキカ?死スベキカ?ソレガ問題ダ。」という有名な一節の解釈だけでも本が一冊書けるとか、何か妙に親近感がわく話が多くあります。(物語にことごとく明快な解釈が必要だと言う方は、まずハムレットから勝負されたらいいですね。 笑)

まあ、ことは簡単ではなさそうです。ネットで読みかじっても駄目な気がするので、学のない私としては、とりあえず今度本屋に行ったら『座右のゲーテ -壁に突き当たったとき開く本 』(光文社)というやつでも探してこようかと・・・忘れないようにここに書いておく。(笑)
(アニメがきっかけでこういう勉強をしようかと思うのだから、なかなかどうして、アニメも捨てたものでもないなと、これは自嘲。)

ただ“ビルドゥングスロマン”と言ってしまうと、「自己形成」を経て、いわゆる教養主義にすぐ結び付けられてしまうきらいもあるらしいです。成長物語はまだしも“教養小説”と訳されてしまうと、かなり抵抗を感じてしまうものだが、次の記事などを読むと、「そうか、なるほど」と思う。

「教養小説とは、若者がさまざまな困難を切りぬけ、さまざまな人に出会い、男へと成長していく物語」であり、そこで重要視されるのは、「自分自身を作りあげるのは、ほかならぬ自分自身だ」という認識である。それゆえ、「教養は、何より解放の思想」だったというわけだ。

Webマガジンen BookReview 
 高田里惠子『グロテスクな教養』(ちくま新書))


「自分自身を作り上げるのは、ほかならぬ自分自身」であり、それは解放の思想か!なんかカミーユのことが少し分かりそうな気がしたので、よし、この本も買うことにしよう(笑)。

しかし何しろ難しそう!
この国では「教養が常に教養主義批判というかたちでしか存在しない」などという視点が、果たして私の読解力で読み取れるんだろうか?(・・・例えば主人公の成長も説明も放棄した『エヴァンゲリオン』のテレビ版最終回は“アンチ・ビルドゥングス・ロマン”と言われたりするらしい。)
“芸能”についての本も、実はまだ読み終わっていない。でもあれは内容は濃いけど読みやすい、本当によい読書だった!ああいうのじゃなくて、映像と全然かけ離れた、難しいだけの話になるなら撤退かなぁ・・・。

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コメント

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僕は単純に「成長譚」のことだと思ってました。
一言でくくるのは分かりやすそうでいて誤解もしやすい、って事ですね。

男の子の成長は概してさまざまな「闘い」のなかでなされるものではあると思います。
ただ、アニメ作品の場合、とくにヒーローものの場合、成長の機会が「戦争」と言う舞台でなされる事が殆どであり、これが常態化している現状には、僕は少なからぬ反感を持っています。

ヒロイズムをどう織り込もうと、平和への希求をどう語ろうと、殺しは殺しだし、破壊は破壊だ。
失われたものは、返らない。これは常識である筈なのに、「おはなしだからいいじゃん」と言われればそんな気になってしまう。僕自身がそういう空気を吸っていた。
なまじ主人公サイドへの共感を重んじるために、この基本的な事実はお約束に覆い隠されてしまう。
都合良く書かれた「戦争」を本当の戦争と同じように論じてしまう。


本当は危険な事なんです。
そういう事に対するカウンターバランスを、アニメというものは持ち得るのか。架空のものとはいえ、兵器を商うものに、そういう要求を突きつけるのは正しい事ではないと、分かってはいるのですが。

いや、だからといって、売れもしない反戦アニメ(多分に挑発的な言い草である事、深くお詫びします)にその答えがあるとも思えないのですが。

> 心配いりませんよ~

 難しい言葉をさも当然のように使って、「どうだ凄いだろ」って威張ってるケースも多々あるわけなので~。
 本当に明晰な、学のある人の文は知らない人にもわかるようちゃんと配慮されているものですよ。それでいて、読み手に「この事、もっと知りたいな」って思わせる。

 まあ、私も時々「どーだすげぇだろ」ってやってしまうのでw 自戒も込めて。
 また、無意識にやってしまうケースもあるので、難しい言葉使う人全てを批判しているわけでもないので悪しからず。
 そんな。

> こちらも舌足らずでした。

> 「新訳クワトロとカミーユの試行」とまで言っては、あまりにガンダム中心に話を引き付けすぎな気も

 「語ろうΖガンダム!」という書名でガンダム中心に話を引き付けない訳にはいかないでしょう。そうでなくてもあの本は「Ζをダシに語ろう富野!」なのに。というのはともあれ、インタビュアーの指摘を富野監督が肯定して展開するといういつものパターンなので、出来るだけ原文をあたられることをお勧めしたいと思い、コメント差し上げました。

 あと「教養小説(ビルドゥングスロマン)」に関しては、Ζヒストリカ03巻にてTV版での場合について取り上げていますので、こちらもよろしければ読んでみてやってください。劇場版のカミーユは、周囲にちゃんと見守ってくれている人が居るという自覚があればこそ自力で成長できたんだなぁ、という感じがします。

> ネットで勝手に稼ぐ情報商材で勝手に稼ぐ週末会長

結構マニアックなブログですね。
羨ましいです。
MIXIからURLを見てきました。
プチ!!
投票しました。

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