BSアニメ夜話スペシャル その2 

[2005/08/23] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(8) | TOP ▲

駄目だ駄目だ、避難所に退避だ。(こんなんぢゃ本当にクビかもしれん。)

えーと(…引きつり笑い)。前回は引用ばっかりで、これでは布教活動にならない(笑)と深く反省されました。これからはもう少し、考えて書くようにしようと思います。
シャアとかアムロとかの話を私がしている場合、たいてい頭の中には、ルロイさんが「逆襲のシャア」について触れた、この考察が頭にこびりついています。

シャア・アズナブルは富野監督の代弁者

ガンダムを望む人の意思は、サイコフレームをオーバーロードさせるほど強く存在しているのである。しかしシャアは言う。「この暖かさを持った人間が地球さえ破壊するんだ」と。ちなみに後に、ガンダムという大地には、Vガンダムというアクシズが落とされ、そこから∀ガンダムという世界が生まれるのだが、それは別項の話題である。


シャアは富野監督の理性であり建前であり理想であり負の感情である。アムロは富野監督の人間性であり現実であり正の感情である。「逆襲のシャア」は、富野監督自身の正負の感情の争いの物語でもある。


未読の方は、ぜひご一読くださりませ。私の中ではこの考察を最初から前提として話をしてしまいますゆえ。

その上で、たとえば前回の「シャア命名談義」。シャルル・アズナブールとやらいうシャンソン歌手起源だという従来の定説を覆す「またしても電波発言か!」と読まれてしまいそうだけど、これは“スポンサーサイドに説明した際の話”だってよく読めばちゃんと言っている。・・・にしても、そもそもが歌手の名前というのでさえいい加減適当な話だが、そうは言えなくて「シャーっと来るから・・・」と言ってしまうのは、御大がいかにシャアを嫌いになるべく努力したかという逸話として読むべし。べしったら、べし!これに対して、名前からして強くなさそうなアムロのほうは、御大がどれだけ大切に育もうとしていたか、と敢えて読むべし。べしべし!

はぁはぁ・・・。
で、ようやくシャア専用ブログ様の書き起こしを読み起こす(?)続きなんですが、名前談義が・・・また切れないじゃないか!愛するセイラさんの話じゃあー。(笑)


富野
僕はファーストガンダムのときのレギュラーメンバーの名前の半分位が大嫌いなんです。さっき言ったシャアも嫌いだったし、ミライ・ヤシマも嫌いだし、カイ・シデンも嫌いだし、ハヤト・コバヤシの名前もみんな嫌いなんです。嫌いだったおかげで何とか名前に似合うキャラクターにしなくちゃいけないっていう。あぁ、セイラ・マスの名前も嫌いでしたね。安易につけたっていう印象がもの凄くあるので。

それはご自分の中で?
富野
そうです。セイラ・マスっていう名前だったら、嫌いな理由が明確にあったんです。セイラとかマスとか思わせないように、この子を高みに置いちゃおうと思ったんです。この子っていうキャラクターを高みに置くってのはどういう事かというと、徹底的に要するに気位の高い娘にしてくとかっていう努力をするわけです。

セイラ・マスって名前は何で嫌いだったんですか?
富野
これはテレビコードに引っかかりますから喋れません。


こ、これって!わが愛するセイラさんにそこまで言うのかぁー。いやー、まさに信仰の深さを試されているようだ。(爆)・・・ちなみに名前を嫌われてない主要キャラってブライトとかフラウとかですか。ララァはどうなんだろう?

富野
だからセイラに関して言えば、そういう泣かせ方をする。シャアっていう僕にとっては恥ずかしい名前、「お兄さん」つって泣くんだよね、って「馬鹿ーっ」って思いながらコンテ切ってるもん。「この漫画みたいな事やるんじゃねぇ」と思いながら、ここまで行けば形になるだろうなと。
井上
だから逆にセイラって凄く聖的な部分もあるし、もの凄く俗っぽい部分、両方ありますよね。
富野
勿論。だからそれでその揺れ動き、キャラクターとしての面白さになってくるわけだから、っていうのは本当に全部を好きになっててキャラクターが作れるとはやっぱり思えないな。



偶像になっちゃうものを創造しておいて、こんなに突っ放しちまうなんて、凄いな。偶像を破壊されたら何も残らないエセ信者は、これ聞いたら御大を殺したくなるよな。(笑)
(うぅぅ。。。オイラ隠れキリシタンのように生きなきゃならんのだろうか。)
これもある意味では「キャラ萌え」だけで用が済んでしまう人々への「嫌がらせ」と言えなくもないが、こうして読み返してみると、もう一つ大事なことも言っている気がする。「全部を好き」でキャラクターを作ってる作品って、裏返してみるとたとえば庵野氏にとってのエヴァとかがそんな感じだと受け止めればいいのかな?(あまり自信なし。)
良かれ悪しかれキャラクターへの作者の自己投影は御大にもあると思うし、庵野氏もキャラを突っ放したことも言ってるとは思うんだが、一線を画すところは何だろう?
キャラクターの世界の中に作者の視点としての「対立軸」があるかどうかというようなまとめかな。で、その中で確信犯的に「漫画みたいな事」を徹底してやり切ってしまうんだ、と。・・・ちょっと難しいな。うまい言葉が見つからない

また長くなりすぎるよ、これ。オイラ本当にやばいわ。
自分のメモ代わりではあるのだが。「生活をかけて」までやることなんだろうか?かなり壊れ気味だよなぁ。でもみんな「アイツはおかしい、電波なやつだ!」って自分はおかしくないようなことを言うけれど、こんな病んだ世の中で「正常」ぶるやつの神経のほうがオイラにはよく分からないんだ。。。。ブツブツ。。。
混迷を深めつつ、次回に続く。
君は生き延びることができるか?ジャンジャンジャカジャカジャン
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コメント

> 深い!

とは言っても私の場合、最初から富野信者ではないので、結構温度差あるかも知れません。

最初観た時、はっきり言って「なんだか判んなかった」って言うのがホントのとこですし(笑)。確か「敵の補給艦を叩け!」だったんですけどね。「大型特殊」は出てくるわ、「補給艦」は出てくるわロボットはいるわ(笑)で。「???」な感じでした。
セイラさんも最初からやな女でしたね、今思いだしてみれば。

私にとってエポックだったのはやっぱり「旧型ザク」です。セイラさんよりも(笑)。後はやっぱり「ジム=ガンダムの生産型」ですね。この辺は富野さんも「結構好きだった部分」なんじゃないかなぁ、と思うんですが。違うかな・・・?

> いやひとの受け売りですから・・・

それに、いちいち作者のコメントの、背景にある真意まで考える必要があるのかどうかも検討されるべき問題です。
フィルムがすべてという見方のほうが本来正しいわけなのですが、「使用上の注意」「取扱説明書」を作品と同列に賞味する傾向(そういうのを富野氏は「電脳化」とか「デジタル化」とか呼んでいるのかと思いますが、)がここまで広まってしまうと、・・・(書き出すと長くなるので、いつか本文でこの続きを。)
設定に関しては、「SF論争」というのが富野氏にもたらしたものがどういうものであったかという分析をせねばならないと思うのでありますが、こちらについてはなかなか手がかりが見つかりません。「プラネテス」がガンダムの子孫だという見方は正しいと思うので、これを見る頃までに、富野氏がこの作品にどんな言葉を出しているのか知りたいな、と考えています。

> 自己投影

実は私は富野御大のZ以降の作品で、好きなものがあまり無いんです。
理由は単純で、
「全てのキャラを同一人物が演じている」ように感じるのです。
キャラ別けはきちんとできている筈なのに
富野節が前に出すぎていたからだろうか?
「自己投影」の仕方がまずかったのかなぁ・・・
色々考えますがよく分かりません。

そんな訳で新しい作品が出るたびにガッカリし続けて、やがて∀。
最終話でいい年して泣いてしまいました。
あんな柔らかい富野作品は見たこと無いです。
自己投影という見方をすれば、監督自身が変わったとしか思えません。
劇場版Zも見違えるようになってたし・・・

・・・いけませんね。酒が入るとろくな事を書かないorz
よっぱらいのヨタ話と笑ってください。

追記:初めて1st見た時の観想は「何?この白タイツ」でした。
本編見始めるとカッコよく見えてくるから不思議です。

> 実は同感できる部分があります

Ζ以降∀までと言ってしまうと、ΖΖ、逆襲のシャア、F91、Vガンダム、ガーゼィの翼、ブレンパワードといったことになります。ルロイさんの受け売りですが、アムロもシャアも出ない作品に、監督は何の思い入れも持ち得ないとすれば、見るべきものは「逆シャア」だけですね。Vの頃が一番壊れてた時期でしょうか(笑)。ただブレンパワードは∀への流れで見れるとのことなので、私は見たいと思ってます。(Vを見る勇気はなかなか出ないですねー。)今見ているキングゲイナーは∀の次の作品ですが、最高です!!感想はやがて本文で書きますが、∀のよさが分かる人であれば、これも是非!
今日はコレだけで。。。

> 逆シャアは好きです

Z,ZZと自分的には頭を抱えながら見ていたので
当時は逆シャアもあまり良い印象もってなかったんですが(絵コンテは当時から好きです)
ヘタレなシャアも見直してみると良い味出てます。
当時は許せなかったのに(笑)
歳をとるってこういう事なんですかね。

> Z,ZZは…

本当にいやいや作ったのだったでしょうね。私も正直、大嫌いでした。「逆シャア」は何も期待しないで見に行って「おぉ!?」と感じた思い出があります。(「ヤマト」の続編とか、そういうのと同じだと思って見に行きましたから。)
>ヘタレなシャア
やっぱりそうなんでしょうね。yasuakiさんのところで読みましたが、「35歳以上の人に見て欲しい」と富野さんも言っていたそうですし。カッコイイものを見たいと子どもの頃には思うわけですが、大人になると違う見方があって当然です。(いくつになっても「子どものような見方」しかしない人が多いので頭が痛いわけですが。)(笑)

> いくつになっても

「子供のような観方しかできないアニメファン」って、これ、昔っから言われ続けてるけど減りませんねえ。かの富野氏もそう云ってましたし、それこそSEEDの脚本家さんもそう言っていたとか。
「子供みたいな事を言うガンダマー」とそれをメシの種にするバン○イは、ガンダムを作る人達にとって「本当に頭の痛い人達」なんでしょうね。また、そう言う人達が居ないと喰っていけない自分(アニメ作家)が居るって事実もあって。

まあかく言う私も「子供みたいな観方しかできないガンダマー」なんでしょうけどね。

Ζは本当に当時「いやいや」だったでしょうねえ・・・。「Ζからだけはガンダムに入ってきて欲しくない」って言ってましたし。でも新訳Ζは「ホントに面白いです」って言ってたんで、多分「ノリノリ」で作ってるんでしょうね。

> 作家の個性を出すというのは、

バランスが本当に難しいものなのでしょう。Ζ、ΖΖでの独走ぶりが反省されたのか、「逆シャア」で富野氏は、作品の根幹に関わる部分で「周囲の意見を取り入れる」ということをしているそうです。それは小説「ベルトーチカ・チルドレン」と映画「逆襲のシャア」の差、たとえばアムロが妻子もちになっているかどうかということに現れているわけですが、シャアだけでなくアムロもかっこ悪いこの設定こそ、富野氏が本当にやりたかったことなのだとすれば、そこで妥協するのはどうだったのだろうか、と。頭のおかしい独裁者のように言われている富野氏ですが、むしろそういうバランス感覚の、振り子の針の振幅がある人なのではないか、と。自分の思いと周囲の意見を安定してうまく調整できるようになってきたのは、∀以降と言ってもよいのではないでしょうか。

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