『星の鼓動は愛』は女性に何故うける?
劇場で見回しても、男女比は圧倒的に男が多かったと思うのに。おかしなことですよね。
男ってのは理屈がとにかく多いわけです。女性は感覚的ですよね。
まあオールドファンの立場で言うと、テレビ版のカミーユなんてのは、主人公ではあっても全然ヒーローじゃなくて、どっちかというと見下してやりたくなるようなキャラクターでした。女性ファンが「カミーユ可愛い!」とか言ってるのを見聞きすると、正直「馬鹿ジャネーノ」と思ってたもんです。
男が惚れる男ってのは、やっぱシャアでしたね。カリスマのあるヒーローですから。テレビ版でも既によく見りゃヘタレでしたが、第三部では見事にヘタレを演じ切りましたねー。第一部ではヒーロー復活かと思ったのに。でもそれは彼が退化したんじゃなくて、カミーユの成長に比べて相対的にヘタレたんですよね。
『ガンダム』『イデオン』『Ζガンダム』と夢中で見ていた中学生、高校生の頃、私は富野さんの大ファンだと自分で思っていたんですけど、今思ってみれば、その良さなんてほんの表面だけでしか分かっていなかったかもしれないなー、とつくづく思うんです。だから『星の鼓動は愛』を観て、やられたなぁって。
・・・男の『ガンダム』ファンのほとんどの人、胸に手を当てて考えてみれば、実はどうしようもなくモビルスーツとかのかっこよさが好きだ、という事実があったりしませんか?私はそうです。物語だ何だとか言いながら、かたわらではガンプラとかガンコレとかを買ってしまっては、喜んでいる自分がいる。
けどね、「モビルスーツが好きだぁ!」という目線は、これはやっぱり「子どもっぽさ」を引きずってるものなんだって強く自覚すべきなんじゃないかと思うんです。『星の鼓動は愛』という作品の感想をあちこち読み比べしているうちに、そういうことはもう少し、きちんと“後ろめたく”感じなきゃならないもののような気がしてきました。
戦記ものとして考えると、もともとテレビ版の時点から既に、1年「戦争」に比べてグリプス「紛争」レベルの小競り合いなのが『Ζガンダム』の物語なのですよね。そのスケール感は、劇場版ではさらに小さい。設定の背景を考えていけば本来は、そのほうがリアリティがあるんだと思います。ですが、派手な戦争劇を見たいのが男ってやつですよね。人の死を扱う戦争ものの話をしてるのに、ドンパチの規模が小さいことについつい不満を感じてしまったりする。こういうのも理屈じゃない感覚的趣味の領域なんで、もう少し後ろめたそうに言わなきゃ、世間に言葉を発するときの品性の問題だと思う。
けど、男ってやつはメカとか戦争とか、どうしてもかき立てられるものがある。だから、その辺の執着はやむないものとしても、もうひとつ上の目線からも洞察してあげなくては、大人のアニメ論になり得ない。
感情レベルのわだかまりにたいそうな理論武装をほどこして、何のために誰を攻撃してるのか分からないような非難を繰り返すのは、『Ζガンダム』という物語の登場人物たちと同じ迷いの中にいるような気がしてならないのです。
あのカミーユ。馬鹿だと思って見下してたカミーユが、今回の三部作の中で見事に成長したんでね、本当にびっくりですよ。理屈じゃなく感覚で洞察するやり方は、優れて女性的なものだな。(「女性が支配する時代が来る」ってセリフは残ってたんでしたよねー。)
禿オヤジめ、正直な話、「こっちもいつまでもガキじゃないんだ、もはやたいていあんたのネタは割れた!」かのように、いつしか見くびってた面が私にもあったようなのですが・・・。
ここまで考え込ませれるパンチ力が、まだあったなんて!(しかし、これは男としては、完全に少数意見かもしれないですね〜)












