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「パンツを脱いだ人」 

[2006/02/22] | 御大 | トラックバック(0) | コメント(5) | TOP ▲

ラジヨさんに富野さんがこう言われていたとコメントをいただいたのですが、「パンツを脱いだ人」の話で私が思い出せるのは、宮崎さんと庵野さんの話だけでした。

さっきの話まで戻りますが、宮崎駿作品は、どのあたりで嫌になってきたわけですか?

『トトロ』まではまだ良かったですね。『魔女の宅急便』あたりからかな。
『紅の豚』はもうダメです。あれが宮崎さんのプライベート・フィルムみたいですけれど、ダメでした。
僕の感覚だと、パンツを脱いでいないんですよ。なんか、膝までずらしている感じはあるんですが、あとは足からパンツを抜くかどうか。
パンツを捨てて裸で踊れば、いよいよ宮崎さんは引退を決意したかなと思います。

庵野さんは毎回パンツを脱がないと気がすまないでしょう。

自分のリアリティなんて自分しかないんですよね。うけなきゃもう裸で踊るしかない。ストリップしかないと思います。
基本的に作家のやっていることって、オナニー・ショウですから。それでしかないと思うんですよ。
あとは下世話な話ですが、四畳半で一人シコシコやっているのが絵になるかっていう問題ですね。
それが舞台の上に立って、パーッとやった方は、僕のオナニーはショウになりますっていうふうに。で、客は顔にかけてくださいってね、それで顔にかけてあげる。(エヴァンゲリオンの)最終回はスペルマじゃなくってバケツの水をかけたようなものです。スペルマを待っていた人たちは「違うこんなんじゃない!!」と怒る。
あれ(マンガ版『ナウシカ』の7巻)が僕と同じものだって感じがしたんですけれど、『ナウシカ』も、もうきちんとしてしまって。しょうがないんですね。『ナウシカ』の7巻と同じテーマでやらなきゃしょうがない。
あれは生きていけないわけですよね、旧人類としてのナウシカが。
共生を否定しましたね。自分達が生き残るためにナウシカは血で汚れてよかったです。忌み嫌っていた巨神兵の火で破壊しなければいけない業の深さ、これがいいんですよ(笑)。もう、いつわりのない宮崎駿のポリシーが出ていてとにかくあそこではパンツを脱いでますから。
マンガではパンツを脱いでチンチンを立てている(笑)。同じことをやってくれるように「もののけ姫」では期待している。いくら小さいとはいえ、やっぱりチンチンを立ててもらわないと。大きい小さいは関係ないんだから。立てたチンコの心意気ですよ。人前で立つってことはたいしたもんですよ。それでどんなに小さくても胸をはってショウを見せるのがすごいわけです。
自分のチンチンをですよ。
いや、みっともないとは思いますよ。でも、やるんです。みっともなくてもかまわない。自分のチンチンが小さいのは、これはもうしょうがないことだから。かといって、そこでペニスケースとか電動コケシでごまかすっていうのもダメ。小さいからといっても代用品で女を喜ばせるどうかと思う。

(『yasuakiの新批評空間』より)


長文引用失礼しました。「(注)ここで言っている女を喜ばすこと=観客を喜ばすことの意味であり、チンチンを立てる=自分の内面性をどこまで本当にさらけだすということである(たぶん・・)。」とyasuakiさんも言っておられますのでまあ、このブログではあまり見ないような字が並んでいるのもご容赦くださいませ。(どうせ女の人はあまり来ないし・・・。)(笑)

まああまりと言えばあまりな例えですが、分かりやすいような誤解を招きやすいような・・・。
ただ、この比喩で御大を語るならば、
四畳半でシコシコは駄目、
舞台上でマスターベーションはさらに論外、
大きいか小さいか分からないけど、代用品ではなく、
自分自身のモノで女を喜ばせようとしている、

そういう人なのではないかと。

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ラジヨさんのブログにも『シャアの話』が書かれていましたので、トラックバックしておきます。
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コメント

> なんだか

ウチのブラウザ(Safari)では記事が見えない

> あ、見えた。

すいません。駄レスを付けてしまった!
あとでほかしといて下さいな。

作家性の問題ですね。
「どっちが正しい」って事はないと思うんですけどね。まぁ、庵野監督、富野監督はどっちも一般受けはしないわね。(--)(__)

> 作家性

僕にとっては「作家性」というものは出るものであって「出す」ものではないと思うのです。そんな風に考えるから窒息するんだよ、と宮さんとアンノさんに直接言いたいですが、縁がありません。僕の中で「パンツを脱いだ人」というのはただ単にフリチンなだけです。問題はそこからです。自分がフリチンなまま走れるかためらうか、が重要なのです。宮さんもアンノさんもオナニーとか女とかインパクトのある言葉を使いたがるところを見ると、本当はあまり性(セックス)には詳しくないみたいで、説得力がないのです。ネットで言う「非モテの語る性論はアテにならない」といったところでしょうか?

>

参考までに、富野監督のエヴァンゲリオン評を引用。
出典は切通理作『ある朝、セカイは死んでいた』文藝春秋刊

《SFアニメでは『ガンダム』以来の話題を呼んだ『新世紀エヴァンゲリオン』を富野が嫌いだということは巷間漏れ伝わっていた。
「と言っても、オンエアの一本しか見れなかったです。それ以上は見れたもんじゃない。エヴァが、僕みたいな年代とか、僕みたいな感覚を持つ人間から見たときに、あのキャラクターは生きてるキャラクターではない! って断言できる。だって、生気がないじゃないですか。みんな病人じゃないですか。死んでますよ。生きた子どもが、身をよじって『イヤーン、プリンプリン』ですか? でもセックスにしたって生きてるから出来ることでしょ? その境界線を判ってない奴らが作ってるっていう意味で、人の見る物ではない。要するに、ビデオとかインターネット上のオマンコ見てセンズリかいてるだけでセックスに極度に興味を持てないって言うことと、さっきいった『死ぬこと』が実感出来ないって言うことが一緒になった感性の人々の存在っていうのは……困っちゃうんだよなぁ。たまには本気でセンズリかけって言いたいね」》

 作品づくりなんてオナニーだ、それをショウにできるかどうかだと例えた人に対して、富野監督が「本気でセンズリかけよ」って言ってるのがちょっと面白かったり。
 まあ、私はエヴァは作品としてあまり評価していないので。
 そもそも、コミック版ナウシカのあの結末を「旧人類としてのナウシカは生きていけない、共生の拒否」としか読めない程度の批評眼の持ち主は、私はあんまり信用しないかな。

 ああ、庵野監督がお好きな方がいらっしゃいましたら失礼。偏屈モノの戯言と思って流してくださいな。

> 病気

 昔、朝日新聞のコラムで富野氏は「エヴァの少年は成長を拒絶しているでしょ?それは病気なんだということに作家自身も気がついていない」とコメントしていました。

 でもこれは、庵野氏を責めるために言ったことではないと思うのです。「病気」はあくまで病気であって罪悪ではありません。治癒されるべきものです。だからこう思うのです。「自分を責めすぎるという病を治療して健康の獲得を目指すべきであり、それが一番いいんだ」。

 そういう意図であえて、強い薬(言葉)を処方したのだと思います。

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