「映画は大衆芸能である」の続き 

[2006/02/19] | 新訳Ζ | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

富野総監督インタビュー完全版」(サーイ・イサラ)の感想の続きです。前回は制作にあたっての意識のような話が中心でしたが、今回はやや具体的にどう作ってどうだったかというようなところ。

1部がかなり高質なロボット戦闘ものにもなってるし、さわやかな部分もあるよね、というのに対して、2部は物語として群像劇というのが前面に出ていて、事態だけが進んでいるのを追いかける、という見え方があります。


自分で「高質」とか言ってしまうところが御大の可愛いところですよね(これでは"信者"だ?)。「第2部は単純に1部の印象を受けたうえで、3部につなぐための期待感を持たせる作品」とも言いつつ、1部に比べると「観る方の印象がどうなのか」と正直、懸念している風情が読み取れます。(残念ながら実際、1部より動員数は下がりました。)3部への期待は、私としては盛り上がっているので、御大の期待通りなのですが、世間の大勢はそういかなかったと言わねばならないでしょう。

「僕の感じている若い人たち、つまり『マトリックス』以後、観客はこのテンポについていけるだろう」と言いながら、「ただ、初めて見る人には、ちょっとキツいだろうな」とも述べていて、起きている現象は、たぶん言われるとおりだと思うのですね。

僕としては、専門用語なんてどこにも入ってないと思っていたんです。でも見たことのない人にとっては“ガンダム”というのも専門用語なんですよね。それをこちらとしては、一般名詞だと思いすぎていました。まだまだそういう迂闊さがあるな、というのは非常に反省しています。


ファースト劇場版三部作では、そういう迂闊さはなかったと思います。ほんのちょっとしたことですが"モビルスーツって何?"という人にも見せてやるんだという最低限の配慮があった気がします。アニメ村の村内では"標準語"でも、外では通用しない。目指すものが上にあるならば、この感覚を忘れてしまっては、永遠に"負け組"でしょう。ここは素直に重く反省していただきたい(笑)。
「意味が解らなかったら、そんなものは飛ばして見ていただければいい」「人物の動きだけを見ていれば、『Zガンダム』でやっていることは解りますよ」…たぶん、反省は足りない(?)。今度宮崎アニメでもそういう目で見返してみます(笑)。ファースト三部作でできたのだから、ロボットもののハンディという言い訳もダメでしょう。
しかし『マトリックス以後』ですよね。ここも微妙なところ。映像クリエイターとしてアニメ村の外にも目が向いているのは当然のようでもあるけど、あれもジャパニメーションの影響下に出てきたものとすれば、あれをして"大衆"の基準においていいものなのかどうか。難しい。

“懐かし映画”にするのなら、一番イヤだった部分を綺麗にするという作業ができなくなるんです。当時のままでまとめるしかなくなります。それに、20年前のZのテイストを現在に当てはめることはできないし、絶対にやってはいけないんです。


作者と自分を同類視しているらしい"アニメファン"(もっと言えば"ガノタ")といった人々が、監督のこういう思いを汲まないで、改変が加えられたことに反発している状況は滑稽だと思うのですね。結局は自分の好きなように見たいだけじゃないのかと。
批判の立脚点はどこなのか。20年前のフィルムで表現されていたものは、それだけのものに過ぎないのに、あれこれと勝手に足し算引き算して、自分たちに都合いいように理解してきたということが、それほど立派なことなのか。どうもそこがよく分からないのです。どうせガンダムなんかは初めから不完全な作品なので、自分たちの解釈を加えてようやく成立してきたものだとでも言いたいのかな?
スタッフでも同業者でもない人たちが、自分たちは"一人の観客"ではないと言うのならば、その存在は無視するしかないというのは分かります。しかし現実にはそれらの盛大なノイズに足を引っ張られるのがガンダムという作品の宿命なのですよね。

極端に言うと、『Zガンダム』が、ロボット戦闘ものが“癒し系”を目指しているんです。それは、第3部でもっと鮮明に出てきます。


盛大なノイズの向こう側にいる、"一人の観客"たちの希求するものに(それはまだ少数かもしれないけれど)目が届き始めたことは、作家として本当に大きな進歩だと思います。いや、かつては見えていたのかもしれないけれど、いつしか見失っていたものなのかもしれませんが。

映画の機能を使うと、これだけのものが放り込める。そう考えると、他の映画屋さんっていうのは、どうしてひとつのことだけで平気で2時間の映画を作れるんだろう、と不思議になってくる


映像のプロとして、こう言い切るだけのものはあるのだと思うのですよ。「ひと息で見られる長さというのは先人たちが作っていた1時間半から1時間50分、興行にかけて、みんなで同じ場所で見ていて、隣の人の体臭を嗅ぎながら我慢してみていられる長さというのは、非常に大事だと僕は思います。」などというのも、さすがだと思うんですよね。思うんですが・・・

・・・"ガンダム"じゃなければ、ともついつい思ってしまいます。どうしてこうなってきてしまったのやら。(もう少しアニメ史を振り返ってみねば。)
しかし、与えられた状況の中で最善の解を出すのがプロならば、間違いなく『新訳Ζ』は貴重なプロの仕事だと思います。
今の富野さんならば、目標として掲げた大台を突破できなかった反省も含めて、やけにならずに仕事をやり抜き、次へと続けてくれると信頼が出来ます。だから最終章を見届けるのが、私は本当に楽しみなのです。

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コメント

> こんな人・・・

作者と自分を同類視しているらしい"アニメファン"(もっと言えば"ガノタ")といった人々が、監督のこういう思いを汲まないで、改変が加えられたことに反発している状況は滑稽だと思うのですね

 こんな人いるんですか?私個人的には、1年間、あのストレスドラマを、これでもか、と見せつけられた経験から、「頼むから、TV版の焼き直しだけは勘弁して欲しい」という願いはありました。不満に思っているファンはおそらく「DVDで1話から50話まで1週間ぐらいで流し見した程度の」ファンでしょう。サラやレコアの裏切りを1ヶ月近くも鬱々と見せつけられたらいい加減切れましたよ。どうでもいいシーンだから倍速で見ればいいというファンに「改変けしからん」と言って欲しくないですね。だからこそ、監督が「所詮、映画なんて娯楽作品なのだから楽しめる作品を目指した」というコメントは嬉しかった。
折角の映画化なのだから、監督の思う存分、作り直して欲しかったですね。
「新訳」と謳っているのですから、過去に拘らなくていいと思います。
 私から言わせれば「TV版という重力に魂を引かれた人々」を開放する魅力を第3部に期待したいですね。

> 正月に

地元の友達と話しました。彼はガンプラーですが、TVΖを見ていません。
「1はよかったけど、2は速くてなんだか判らんかった。でも3は観るよ」だそうです。
やっぱりまだ速いんだなぁ・・・。マトリックス以降を視野に入れてる時点で、やっぱりまだまだ「アニメ村の中だけ」でしょうね・・・。宮崎アニメにも専門用語はあるけど、ちゃんと補足説明されてると思います。Ζは・・・、が観て「敵味方が判りづらい」って思うんですよ?

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