『オネアミスの翼』感想追記・延長戦 

[2006/01/29] | 感想系 | トラックバック(0) | コメント(2) | TOP ▲

『オネアミスの翼』の感想の話の続きを少し。

坂本龍一について述べた件。音楽は、いい感じだったとは思ってますよ。ただ教授が全部やったわけではないと、どこかで読んだ覚えがあって、それで「ブランド志向」な面もあったのかなぁ、という感想を申し上げました。音楽にはひどく疎くて申し訳ございません。

森本レオの件。この人も、個性のある声の持ち主ではあると思いますが、イメージが固定化しちゃう気がして・・・。今から考えれば「ラストシーンのあそこにピタッとくる声」というところから逆算しての選ばれ方だったのかな、と思いますが・・・。主役の声というのは、作品全体の印象を大きく左右してしまう要素であり、私はやはり「いい選択」ではなかったと思います。その名前で客を呼ぶ気でなかったのなら、なおさらそう思ってみたり。

時代背景の件。この話は簡単ではないですね。当時の邦画自体が閉じていたのではないかというご意見のほかに、「アニメ村」の村内でも、同時代のものとしては、。『プロジェクトA子』『くりぃむレモン』『北斗の拳』『キャプテン翼』・・・といった名前を挙げて、当時としてこれらへのカウンターとして、『オネアミスの翼』が果たした役割を評価すべきではないかというメールもいただきました。
そう言われれば、確かにそれらの作品に飽き足りないから、「自分たちの手で本格的なものを」という思いは理解できます。
これこそ、まさに「アニメ史」ですね!
ただ難しいと感じられるのは、「評価」というものは時代時代で刻々と変わってしまうという、歴史の残酷な一面です。この時代の中ではすばらしかったことが、現在の時代背景の中でも次代の指標となる価値を示せるかどうかは一概には言えないでしょう。
そして善意で熱心に取り組んだことが、まったく不本意ながら後世のゆがみの原因となることも、しばしば起きてしまう悲劇です。

次代を見据える・・・この観点から見たときに、改めて知名度の高い音楽家や俳優を作品中に使うということも考えるべきだというご指摘もいただきました。それも富野さんがプロデューサーとしての西崎義展を評価した例を挙げて。・・・慧眼だと思います!! 
クリエイターたちがプロデュースということに対してウブ過ぎるということですね。知名度の高さを利用し、使いこなしてこそプロデュースであるわけですが・・・。

若い作家たちも自分で演出するばかりではなく、アニメ村の枠を越えるべく自らがプロデューサーに回ることを選ぶ人が出始めました。
「オネアミス」の監督・山賀氏もエヴァではプロデューサーを務めていました。「キングゲイナー」「プラネテス」のプロデューサー・河口氏もターンAのころは演出でした。富野さんが西崎氏をなぜ評価したのか・・・その意図を理解する若手は出始めています。 


というメールをご紹介しておきます。
富野さんも努力は分かるけど、空回りも少なくないような気もしますよね。
・・・アニメ村の中では、この点でかなりうまくやってきた先駆者だったはずのジブリは、最近ではクリエイターとプロデューサーが、違う方向を向き始めてしまったのでしょうかね?どうなってしまうのか、詳しくはないんですが気にかかっています。
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コメント

> 私もそうですが

日本人って「プロデュースという事についてウブ」なんではないかと思いますね。プロデュースの上手い人をやっかんでみたりおとしめたり。特に「自分自身のプロデュース」について下手ですよね。
最近アニメ作品のプロデュースが向上してきたのをよく感じますんで、却って過去作品のマズい所が目についてしまうというか・・・。

>

プロデュースはバランスですからねぇ。「売る」部分と「本気」部分が分業していても、よいというご意見も以前にありましたが。それでは愚民は永遠に愚民であるのかもしれないと、危ぶんでみたりもします。

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