スポンサーサイト 

[--/--/--] | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) | TOP ▲

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

日帰り京都出張(三十三間堂を拝観しました) 

[2009/10/23] | 雑記 | トラックバック(0) | コメント(3) | TOP ▲

 今日は日帰りで京都へ出張でした。上司と一緒だったので、読書なし。超真面目な方なので、居眠りもなし。もちろんビールもなし。記念写真の一枚もなし(ごめんなさい)。うーん、緊張したなー。(笑)

 京都は二年ぶりぐらいでしょうか。何度見ても、あの駅ビルは「スゲーッ!」って思います。そういえば平成ガメラでぶっ壊されてましたねー。

 そういえば、そういうシーズンでありました。修学旅行の子どもたちがそこいらじゅうにわらわらと。ちょっとびっくりしたんですが、小学生の修学旅行って、最近はタクシー使ったりするんですね。「○○小学校○○班」とか札がついたタクシーがあちこち走り回ってました。助手席に二人、後部座席に四人とか乗ってる風景はちょっと異様。でも道が狭い街ですから、合理的なのかも。

 用事が終わって、少し時間があったので、河井寛次郎記念館三十三間堂を見てきました。

 河井寛次郎記念館は少し奥まったところにあって、ごくこじんまりとした入り口。外から見たら「やってるの?」って思うような感じでしたけど、入ってみたらけっこうお客さんはたくさんいて、さすが観光地だなーと。(入館料は900円でした。)民芸運動の人だけあって、それ風の素朴な味わいがあるけど、でもすごく凝った建物。かなり大きな登り窯が保存されていました。今じゃあ周りにも民家がびっしりなんだけど、昔は違ったんですかねぇ。
 非常にユニークな彫刻があちこちに置かれていて、特に説明もなかったので、あれも河井寛次郎の作品なんだろうか?焼き物しか知らなかったので、ちょっと意外な感じがしました。
 「撮影希望の方は受付に申し出てください」と書いてあったんだけど、写メでパシャパシャ撮ってる人がけっこういました。あれはどうなんだろ?一方では、すごくのんびりとした時間をゆったりと過ごしている感じのお客さんもいて、私のほうは時間があまりなかったので、ちょっとうらやましかったです。

 三十三間堂に行ったのは高校生のとき以来かなぁ。入り口なんかが観光客をさばき易いように整備されていたのは、まあ悪くはないんですが、拝観している間にどうも違和感があって。
 ずっと昔に見せていただいたときには、表側には千手観音、帰りに見る裏側(「通し矢」をやるほうの側)に、背中合わせのように二十八部衆(っていうんでしたっけ?)が置かれていたと思うんですよ。それが千手観音様の前にずらっと二十八部衆が置かれていて。
 まあ二十八部衆のほうも国宝だし。素晴らしいものでしたし、こちらは鎌倉時代の作品なので、観音様の「静」に対して動感豊かで対比も面白かったんですけど。やっぱり観音様の様式美はそれとして、単独で見たかった気がして、両方詰め合わせで見せられても、何だか違うかなーっと。

 そんなわけで三十三間堂の千手観音様のほうは、横手から一番じっくりと見たわけなんですが。線香の煙でかすんでるずーっと向こうまで、一点透視図法で観音様が並んでいるのを拝見して、思わず「まるでCGみたいだなー」と感じてしまって、自分の想像力も映像に毒されているんじゃなかろうかと少し反省したりしました。

 あと日本の仏像彫刻というのは、正面性を重んじているんだよ、という常識が刷り込まれていたんですが。千手観音様のほうはたしかにそうなんですけど、鎌倉時代の二十八部衆のほうはそうでもなくって、側面から見てもかなり写実主義的というか。頭が小さくて、プロポーションがいいんですよ。顔以外はちょっとギリシャ彫刻みたいだなーと思いました。(中国風の甲冑を着てますしね。)
 そういう意味でも、あれは観音様とは対照的で、一緒に見るべきものではないと思いました。平成4年以来、ああいう展示の仕方に変わったとか書いてありましたから、もう十数年経ってるってことですけど、久しぶりに見たらそんなことでした。

 車中で上司と少しお話をしたんですが、「伝統、伝統」などと言いますけど、日本人というのも、最初から「侘び」やら「寂び」やら古いものに価値を見出していたわけではないんですよね。(古くはほとんど大陸から来た)外来の新しい様式は、その都度の新しい思想や技術を体現するものとして重んじられてきた。
 そのへんは明治以降も、新しいものがもたらされる先が中国からヨーロッパに変わっただけで、実はあんまり変わってないんじゃないかと。

 修学旅行の学生を含めても、三十三間堂を拝観しに来ていたお客様の半分ぐらいは外国人の観光客でした。何ていうか、ふっと思ったんですけど、今の日本人は本当に「侘び」とか「寂び」とか分かって見てるんでしょうか?
 「古い歴史があるもの」を尊ぶのって、歴史の浅いアメリカ人なんかはそうだったりするんですけど、今の日本人が古い神社仏閣に感じるのは、むしろそういうのに近いんじゃないかとか。

 それぞれがひとつの時代を代表する様式の美であるわけで、それらを乱暴に「古いもの」「ありがたい国宝」でひとくくりにして、一緒に見せてしまう感覚っていうのは粗雑なのかもしれないなーと思った次第です。昔の記憶が美化されているのかもしれませんが、あの空間はもう少し静謐で荘厳な空間のままにしておいて欲しかったと。

関連記事

この記事のはてブ はてブの数 livedoorクリップ クリップ数 Webスカウター情報

permalink | トラックバック(0) | コメント(3)

[tag] 日常雑記 fc2ファビコン

TOP ▲

コメント

>

とりあえず。

「錆び」じゃなくて、「寂び」ですよ~。


私が京都に行った時も、熱心に見てたのはむしろ外国の人たちでしたね。
むしろ日本人観光客はほとんどが、上っ面だけ見て満足して帰って行きます(笑)。

そういう文化財とかって、別に古いから偉いんじゃないんでしょうね。
そもそも仏教だって元をただせば外から入ってきたものですし。
ただ、そうやって外部から取り入れたものを、どうにかして
自分たちなりに使いこなそうとしてた、その最先端のエッジだから凄いのかな、
とか最近思います。

アニメーションも元は外から入ってきたものでしょうが、
ハリウッドが最近やる事に行き詰って、逆に日本の漫画やアニメを元に
作品作ったりしてるのを見ても、同じような気持ちになったりします。
気づいたら日本人より海外の人の方がアニメや漫画を真剣に見てた、
なんて事にならなきゃ良いんですがね(笑)。

> アイタタ

いつもスミマセン。あわてて訂正。w

新しい思想や技術を体現するっていうのは難しくて、しばしば大いなる勘違いの産物のような、変なものが歴史に残っちゃったりもしてますよね。
現代の美意識からすると何じゃこりゃ、みたいな。

そういうのも全力でやっちゃってるのとか、私はわりと好きなんですよ。どっちかというと、分かった風の現代の美意識なんてくそ食らえって気分はあります。
たぶん、そういうのがアニメを見てるときにも同じようにあるんだと思います。

>

そうですね。
むしろ、恐れずにその「何じゃこりゃ」をやっていく中から
独自の文化というか、我々らしいものも生まれていくんでしょうね。

たとえば、日本が漢字を中国から仕入れた時、もし言語体系まで仕入れてたら
我々は今ごろ中国語を話して、ここにも中国語で書き込みしてたはずです(笑)。
けど、それをうちのお国柄に合わせて、ひらがなとかカタカナとか、
当時最新の文化である中国の価値観からすれば「なんじゃこりゃ」なものを生み出して、
結果今の日本があったりもする。

そういう意味では、当座の美意識を称揚してるだけ、という中からは
新しいものは生まれてこないんでしょうね。
私も、町中にある変なものとか好きですしw

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://zmock022.blog19.fc2.com/tb.php/1493-c528e4b4

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。