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ホワイトベース隊の謎 少年たちはなぜ戦い続けたのか 

[2009/08/09] | 随想系 | トラックバック(1) | コメント(1) | TOP ▲

 『機動戦士ガンダム』第20話「死闘!ホワイトベース」を観ての感想を、グダちんさんと話しているうち、ますます疑問が深まったり、自分なりにこうかなーと思ったりしたことのメモ。

 こういうのがあるので、みんなで一斉に同じ話数を見る今回のイベントは面白いです。毎日見るのも意外に大変だったりしますし、お互い忙しいけど、めげずに楽しくやりましょー。

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 というわけで、うーん・・・。(笑)

 サイド7で亡くなった「親兄弟のかたき討ち」という感情で、自分の生命を賭けて戦い続けられるかと言われると、もし私なら自信はないです。(両親には申し訳ないですが・・・ 笑)

 このへんは、実はかねがね不思議に思ってきた、ホワイトベース(WB)隊全体のモチベーションに関わるところでもあり、いい機会なので少し考えてみます。
 WBを降りてもジオンと戦おうと口にした、このときのハヤトたちの考えは、たぶん「かたき討ち」という個人的事情から派生して、「ジオンは悪い、だからやっつけなくては!」(それが社会的に正義だもんね!)ということになってるんじゃないでしょうか。

 脱走から戻ってきたアムロをブライトが独房に入れていることに対し、ハヤトは不満を現しています。でも、じゃあどうすれば彼は満足だったのか。
 すごくリアルな想像をすると、この場合にあり得るのは「リンチ」でしょうね。(指揮官の黙認の下に行われるリンチを、『Zガンダム』では「修正」と呼んで作品の中で描いていました。)
 それも手っ取り早いガス抜きとしては現実的な処置なんですが、いちおうそれ以外の選択肢となると、アムロをWBから放逐すればよかった?という案ぐらいしか浮かんできません。
 しかし「仲間はずれ」にすることが罰になるんでしょうか?どうだ、アムロだけ「かたき討ち」に参加できないだろー、ざまーみろー。・・・ってことで?

 WB隊の中核メンバーが普通の避難民とは一線を画しているのは、ルナツーで「士官候補生と民間人がトリプルAの軍事機密にみだりに触れた」として拘束されたように、実のところは執行猶予付きの犯罪者みたいな扱いをされてることなのでした。
 「あれは生き残るためにやむなくやったんだ」なんて言い訳を、軍は聞く気はないらしい。ただレビル将軍は、「少年たちがWBをちゃんと運用できるんなら、正規の軍人と同様だと考えてやってもいい」と考えてるみたいですよー、とマチルダさんはほのめかしてます。うーん、非道い(笑)。

 アムロがお母さんに出会ったときも、事と次第によってはあそこでWBを彼が降りる、なんて選択肢が本当にあったのか?と不思議に思っていたのです。あの描写を見れば、軍から見れば犯罪者扱いとはいえ、(一人二人なら)むにゃむにゃにWBから降りちゃって市井に身を潜めれば、もしかして、別に大丈夫なんじゃね?(笑)

 この問題は(視聴者も彼ら自身も)ベルファストでもう一度考えることになるんでしょうが、アウトローなキャラクターとして描かれているカイまでが、少なくとも第20話のこの場面では、積極的に組織に帰属したがっている。しかし、その組織の単位は“連邦軍”なのかねー?本当かねー?というのが、この場面での私の疑問点なんです。
 そして自分たちの中での「ホワイトベース」という存在の意味について、たぶん一度離れてみた、この時はじめて彼らは気づき、考えたんじゃないでしょうか。
 それは仲間意識?いわゆる擬似家族?
 今どきよく分からんかもしれんところだと言ったのは、そのへんのことです。普通に言えば、情が移ったとでもいうんでしょうか。恨み重なる敵をやっつけるために戦っているのか、仲間を守るために戦っているのか、そのへんのことかもしれません。

 で、ハヤトやカイが自分たちの問題として考え直したときに、「アムロは何で帰ってきたんだろう?」と思ったんだろうな、と。
 21話では、再びアムロを独房に入れたブライトに、ハヤトが何か意見してますが、(人手不足の状況はあるにしても)今度はたぶん出してやってくれと言ってるようです。カイさんだって、「俺だって、俺だって前の俺とは違うんだ。引かねえぞ!引かねえぞ!」と頑張ってる。
 パッと見では、“何、こいつら態度ころころ変わってるの?キャラクターが一貫してないんじゃね?あー、だから富野アニメは電波だよねーwww”みたいな場面ですよ。でも違うのよねー。観なおせば観なおすほど味がある。

 一人二人なら、こんな死と背中合わせの戦場から逃げ出すチャンスなんて、いっぱいあったのかもしれないと思いながら『機動戦士ガンダム』の物語を観なおすと、また違う味わい深さがあるなーと改めて思うんですよ。ましてリュウの死を眼前にして怖ろしくなってもおかしくない場面で、「ジオンを倒すしかない、戦争が終わるしか。」「それしかないんですよーっ!」と言っているわけです。彼が生命を賭けて救おうとした“仲間たち”を守り抜くには、このメンバーのまま全員で最後まで戦い抜くしかないんだと決意してるんですよ。
 これって凄くないですか?(もし自分なら、彼らのように勇気を持ってふるまえるのか、私には「謎」です・・・。)
 そして、こういう積み重ねがあって、最終回で「ホ、ホワイトベースが・・・」「ホワイトベースが・・・沈む・・・。」という、あのシーンを観るから万感胸に迫るんですよねー。(うーん、しみじみ・・・。)

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富野監督の世界観(アニメ設定的な意味じゃなくて感じ方、という意味)だと
1年戦争時代ってまだ
ご近所コミュニティがそんなに崩れていなかった頃なんじゃないかと感じます。

第3話の段階で合議制で対策を考えることをやっているっていうのが、
コミュニティ内の問題を解決しようにしても、年長者不在なので明確なリーダーがおらず、合議で解決せざるを得ない、というスタイルを早い段階で作り出そうとしていたのではないかと感じます。

なんだかんだで
アムロもご近所の人のために軍に安全な避難場所に移させてもらえるように交渉しようとしてますし、
テムですら、若者が前線で戦うことはない(そのためのガンダム)と考えるだけのまともな大人の感覚を持ってるわけです(ただ、多くの命を救うために、目の前の人間の被害よりガンダムを優先させるような冷徹な計算がありますが)。

とにかく、全員が同一コミュニティの一員であるという意識を当然持っているという大前提があって、
その中で馬の会う人逢わない人、意見の違いがある、という順番になっているから

中途半端な正論は一蹴し、
わからずやはわからずやとして扱うだけの
まともさがあるのでしょう。
コミュニティの力が壊れていると
コミュニティを維持するための大人の理屈が
大人の屁理屈になってしまいますが、それがない。

勇気とかそんなものはあまり関係なく
彼らにとっては当然のことだったんじゃないかなあと。

以前も言ったかもしれませんが
ザンボットがファミリーの話、
ガンダム、イデオンがコミュニティの話、
ダンバイン、エルガイムが大学サークルの話、
Zガンダムが大学サークル仲間の立ち上げた会社が現実を知るころに飛び込んできた高校生の話
という印象があるからなんですけどね。

ちなみに、連邦軍と合流し、彼らの庇護下にある段階では
ブライトもカイの脱走を黙認しています。
これは、
この時点で物量、精神的などあらゆる意味で余裕があること、
ある程度気心が知れた仲間でカイの心情も理解できること、
あとは、モチベーションの落ちた兵をとどめることの危険性など
情と冷徹な判断とあらゆる条件を考慮したうえでのことだと思います。
実戦を経験する前のブライトだったらおそらく杓子定規に軍規を理由に引き止めたはずですが
現場慣れというかすれてしまっているな、と感じていました。

富野作品が電波な理由というので
ふと気がついたことがあるのですが
まあ、これは別の機会に語りたいと思います。

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