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情動とロジック 作家性と公共性 

[2009/07/19] | 随想系 | トラックバック(0) | コメント(1) | TOP ▲

 長文のコメントをいくつもいただきましたので、本文でコメレスさせていただきます。TOMMYさんが「私の履歴書」富野アニメ体験プロフィール【前編】【後編】というような興味深い記事を書いておられたんで、私もそんなのを一回まとめてみたいんですが、こんな感じでしょっちゅう部分部分の富野アニメ体験を振り返っちゃってるんで、まとめるというと難しいんですよねー。w

ニコ子さん

>だからダンバインやイデオン、皆殺しではないけどゼータなど、「ああ分かる」って感じでした。 嫌悪感どころか共感、ですね。ところが、エヴァにはどうにも共感どころか観ることさえ拒否してしまう自分がいます。

>何でそうなのか、単に捕食シーンや人殺しシーンがイヤなのか分からないんですが、受け入れることは出来なかったんです。
それは多分昔の私と意識が変わったのでしょうね。

 このブログではよく、私よりずっと若い皆さんとお話させていただいたりするんですが、ティーンエージャーのときに観た作品には格別なものがあるというのは、否定できないですね。私の場合はイデオン発動篇に「共感」といいますか、魂を奪われた体験だけは、その後(アニメに関心を失っていた期間を含めて)繰り返し頭の中で反芻されてきた、無比のものです。

 思い出してみれば、その後太宰治とか、遠藤周作とか、青年期らしい青臭さでかぶれた作家というのはいろいろいたんですが、そういう感じ方の根っこになる部分はイデオンで育まれていた(笑)という事実は自分で否定しようもなく、厳然としてあります。

機動戦士ガンダムの時代 1981・2・22 アニメ新世紀宣言

 ただあれが当時の「アニメ新世紀宣言」とか「イデオン祭り」みたいなイベント的な時代の熱狂を伴っていたからそうなのかというと、多少はそうなのかもしれないんですけど、私はそういう第一世代オタク的なものは少し覚めた目で見ていたような記憶もあり、作品の、フィルムだけの力だけで圧倒的だったという思いがあります。

 自分の、そういう体験を踏まえて、エヴァンゲリオンに熱狂する世代の人たちの感性のあり方も理解するように努めてはいるんですが、越えがたい壁があるということも事実です。
 あるいは庵野監督は、当時むしろ距離を置こうとしていた第一世代オタク的なもの、そのものだったりしますから、そうなっているのかもしれませんね。

>他の作品ならOKでしょうが、トミノ作品はその背景を見、トミノの言葉を知らなければ理解するのは難しいと思うのです。

 んー・・・そこはどうでしょうか。昔はインターネットとかなかったし、上記のような次第で私はアニメ誌とかあまり読まない青少年でしたから、富野御大の言葉に接するようになったのは、正直な話、ここ最近のことなのです。
 自分だけの感動としては、作品さえあればよかったような感覚が私にはある(富野小説さえ遠ざけていましたから・・・)んですが、こうやってブログなんかを書くようになって、その感想を他の人と話し合うときに、どうしても微妙な差異があって、じゃあ富野監督本人は何て言ってたんだろうか・・・というような興味の持ち方のような気がしています。個人的には。

 私はアムロ・レイと同い年なので(苦笑)、今の私の歳ぐらいの時に監督は『ZZ』とか『オーラバトラー戦記』だったんだなー(参照:富野年譜)とたまに思ったりします。最近のお言葉は、聞いていてためになることもよくおっしゃっていますが、昔の発言なんかでは、けっこう読んでいても気恥ずかしかったり、アイタタタと感じるものもよくあって。
 ただ、そういうのを含めて(作品だけでなく)あの方の存在自体にちょっと感動するのは、いい大人になってしまって以降でも、真摯に生きていれば人間っていうのは成長できるんだなーと勇気付けられる好例というのが、実はあったりします。

のりのりさん

>富野監督というのは、ロジカルな人間だからロジックベースで話をされる、のではなく 極めて強い情動で突き動かされる人間であり、本人が情動のままに動かされることをよしとしないがために、それを乗りこなそうと強固なロジック(らしきもの)を必要としている、ということではないかと。

 強く同意します。というか、いつもご教示を得て嬉しく思いますが、今回もすごく納得しました。

 「情動のままに動かされることをよしとしない」のは、「情動」そのものの否定ではないんですよね。ロジックだけなら、それをどんなに強固なように見せかけても薄っぺらい。だけど情動のままに突き動かされるだけの表現者だったら、私はこんなに魅力を感じないと思うんです。

>あ、旧エヴァのあれにはなーんの意味もないでしょうね、ビジュアルイメージで
あれ(バシャ!)採用したんだと思います。

 ふぎゃー!(笑)

 今のままじゃ、そうなのかもしれないですね。私はそうでないと思いたいんですが。

 「それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせ」というのは、フィクションとか表現そのものの根底に触れる否定の言葉であって、本人とすればやけくそ(あるいは火事場の馬鹿力)で発したものであったにしても、表現に携わる仕事をし続けている限りは、どこまでも背中を追い続けてくる言葉でなくちゃならないように思うんです。
 というのはつまり、上でも書いたように、私は庵野監督という人も成長する人であってほしいと願っているからなのかもしれませんが。(アニメ業界ではともかくとして、表現者としてはまだまだ若いんですし。)

 そういう意味では、『ヱヴァ:破』は、まだ余裕をかましていて私には面白くありませんでした。(彼の言葉で言うなら、「パンツ脱いで」いない。w)
 ただ、だからこそ、次の『Q』では火事場の馬鹿力を見せてくれるんじゃないかと期待はしています。

通りすがりのコモンさん

 あー・・・(苦笑)。「ぐだぐだ」云々は、そこのコメント欄の流れがずっとそれで続いてしまってきてたんで、枕詞にしても、もういいかなーと思っただけでして、通りすがりのコモンさんに対する苦言ではないです。こちらこそすみません。

>今見てみればあんなに夢中になった「ファーストガンダム」(この言い方も…なんだかなあ、ですが)も、 当時は一話残らず傑作だと思っていたのですが、今見るとさほどやっていることは変わりないんですね。

 「ファーストガンダム」という言い方もなんだかなーというのは共感します。便利だからつい使っちゃうんですけどね。(苦笑)
 テレビ版が一話残らず傑作・・・ではなかったというのも同意できるんですが、『機動戦士ガンダム』と『聖戦士ダンバイン』では、全体としての出来にやっぱり一線を画すものがあるかなぁという印象はあります。(皆さん、ファーストは「テレビ版が神」とおっしゃいますが、私は劇場版『めぐりあい宇宙』が一番好きです。)

>なので、「まず感動させる」ことによって本来のメッセージに注目させようとしているのなら、 「どっちの方法を使って注目させるのか」(ネガティブな結末に驚かせるのか、安心させる大団円に感動させるのか) は、商品を作っている人間からすれば「塩味にするか醤油味にするか」程度の違いでしかありません。

 これは強烈ですね。ここで「伝えたいメッセージ」が明快に存在するかどうかが、富野監督がよく自分にはなくて宮崎監督にはある“作家性”というものなのかなぁとか、ふっと思ってしまいした。(それか、あるいは味付けへのこだわりか。)

 劇場版『新訳Z』というのは、結末の味付けを変えただけで、全体のメッセージも反転した作品だったと思います。作っている人間からすれば「塩味にするか醤油味にするか」程度の違いでしかないというのは事実そうなのでしょう。表現者の側からはその程度でしかないものが、ときに受け手の側にとっては魂を奪われた無比の体験になってしまったりするので厄介なのですが・・・。(富野さんが押井監督の作品を批判するのは、そういう“公共性”の問題ですよね。)

 情動とロジックの関係が、そのまま作家性と公共性の問題に重なり合うわけでもないと思うんですが、いずれにせよ、そういう狭間のギリギリのフチのようなところで作品を作り続けていることが、富野監督の垢抜けないところでもあり、しかし他の誰にもない魅力でもあると私は思っています。

>ちなみに私個人は、ダンバインはイデオンと比べるとはるかにハッピーエンドだと思います。 それは地上界が残ったから、とかバイストンウェルが滅ばなかったから、などということだけではなく、 唯一つ、主人公たちが最終的な目的(オーラマシンと、それを使う悪意の排除)を果たすことが出来たからです。

 なるほど。そうですね。イデオンでは、自分たちは何のために生きてきたんだという主人公たちの叫びが痛烈でした。その分、彼らの魂の救済までも描かれているので、それが明示されない『ダンバイン』は、『イデオン』以上に救いのない悲劇だと私は思ったのですが、生まれてきた以上は何かの役割を果たして去るものだという見方は、これも大きな救済ですね。納得です。

 旧世紀エヴァの結末は・・・。納得できないというか、実のところ思い出そうとしてみても私には感想らしい感想というのがなくて、あれは深読みする気がなければ何も伝わってこない映像だったような気がします。(私がわがままな観客なんでしょうかねー?)

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[tag] エヴァンゲリオン fc2ファビコン イデオン fc2ファビコン 世代論 fc2ファビコン 富野由悠季 fc2ファビコン 庵野秀明 fc2ファビコン

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コメント

> 富野さんにかぶれていました。

なるほど、ご教示をありがとうございます。
私の場合、小学生の時にガンダムと衝撃的な出会いをしまして、物語のもつ意味など分からないながらも懸命に考えたりしました。
やがてガンダムのサントラを買うようになり、そこに付いていた小冊子の富野さんの言葉にそそられまして。
あれ、子供に読ませる内容ではなかったですね。
明らかに大人向け。
その一語一語に、中学生になっていた私はものの見事に「かぶれ」てしまいました。
しかも私の周りにはガンダムについて話が出来る人など一人もいませんでしたから、一人でガンダムって何だ!と考えるしかなくて。
富野さんのテクストに頼り、かつ、かぶれまくっていたので、私の場合はまず富野さんありき、だったのです。
いわゆるアニメ雑誌なども片っ端から読みまくり、「トミノ」を見つけたら何度も何度も読み返し、富野さんの小説や本を見つけたら貪るように読み・・・と言う事をしていたので、「トミノを知らずして~~」という考えになりました。
今思うと、ドップリ富野さん漬けな青春でしたね。
でも、そうではないアプローチの仕方ももちろんあるわけで(というかまずストーリーに拠るのが普通かな)、私の偏った思いであることも今は分かります。
今なら富野さんの「イタイなぁ」と思う言葉なんかも、当時は「神の言葉」のように受け入れていましたし、かぶれるってことは怖い部分もあります。
ちなみに私は30代なんですが、この年代って、オタクが出始めた頃なのかな?

まぁそんな富野体験が根底にあるので、おっしゃる通り、エヴァは受け入れ難いものです。
息子がエヴァにかぶれることは理解できますが、
自分がエヴァに、ということはありえないです。
息子世代との壁を感じるとともに、自身にとっての富野体験がこんなにもスゴかったんだと、改めて知る次第です。


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